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地球は丸かった?(頭が可笑しいわたしの記憶。)

最近フラットアースって言葉を知りまして、「地球が丸いなんて言ってる馬鹿どもお前たちは騙されているんだぞ!」って感じのね。わたしはずっと地球は丸いし青い空は宇宙と繋がってて宇宙にはいくつもの惑星、星があって月にもロケットが飛んだしどこかの惑星に移住しますか?って話もそんなに遠い話ではないと思ってたんだよ。

あとわたしはもうそろそろこういう生活にも飽きてさぁ目を覚ましなさい!っていう世界も少し信じてて、今頃フラットアースをどう自分に説明して解釈するか脳ミソにそう信じ込ませるか?考えてたらもう宇宙に何かを願うことも、ひょっとしたら神様もいないのか、宇宙なんて物は無いのか?お日様は沈んでるんではないのか?どちらが腑に落ちるか。ずっと丸かったものが実はペラペラの紙の上だったって急にいわれて、ほら地図の上を行ったり来たりしてただけって。UFOも宇宙人もいないのか、無重力ロケットも偽作りもののSF映像だったの?

わたしはここに来る時に、ほんとにいろいろな感情の重しをたくさん付けて降りてきて、それを付けないとここには降りられなかったの。色々な重い感情とか、生きてる間に使うたくさんの鉛みたいな増悪を持たないとここには降りて来れない場所だった。遠い昔にそういうサスペンス劇場みたいなVR体験できる惑星がココって記憶があるから。なんかすっかりこの劇場型な地球の生活に浸り込んでしまって、自分で選んだ苦しいこともコレトコレトコレモ!ってコレもイイかなってチョイスしたもので。そういう喜怒哀楽の世界に憧れてここに体験学習に来たけど、ほんとはふわふわ浮かんで楽しんでいたのでした。ふつうに飛べてたし。無重力とかいう言葉も無くそれがふつうの事でどこでも飛べて行けたし言葉が無くても話せたので無駄に誰かを傷つけることもなかった。いわゆる察する。子どもの時にわたしなんで今此処居るのかなぁって箱のように並んだ同じような他人の家の玄関を見ながら、ボヤ~っとしてたんだけど自分で選んだストーリーってことはもうすっかり忘れて過ごしていた。そのうちにどこから来たのか何しに来たのかって忘れてるんだよね。体験しに来たの人との摩擦とか愛以外の憎しみとか人を殺したくなるような感情とか、愛されないこととか。全身を使って痛みをも感じる、愛だけの世界から見たらとても魅力的な感情を楽しむ体験映像の世界。「実は地球は丸くなかった!」ってことで逆に目が覚めたの。もう気づいても遅いよ!って言ってみんなに気づかせないようにしてることも。帰る支度は簡単いろいろもういらない感情は捨てること。軽くなって無になって。丸くても平面でも地球を蹴って飛び上がったら、もう来ないけど、またね!っていう。地球が丸いとか平面とかもうわたしには関係が無い。最終的に自分が幸せだったときの記憶に戻るから。

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