[工芸の五月] 「ガラスの美」松本民芸館

美しいものが美しい 

門から民芸館の入り口までの石畳を歩く。
敷地内の木々や花々からは初夏の生き生きとした生命力が感じられました。

松本民芸館は故丸山太郎氏が「民芸をみるたしかな目」で優れた民芸品を蒐集され、昭和37年(1962)に独力で創館した場所です。
受付を済ませて一番最初に目に入る「美しいものが美しい」という書に、丸山太郎氏の美を見る心が表れています。
 
丸山太郎コレクション、約6000の収蔵品があり、そのうちガラス器類は350点。
企画展『ガラスの美』では、「国内産群」「海外産群」「変わった形群」の三つに沿って選ばれた180点が展示されています。

じっくりとガラス瓶や器、皿を見ていくとそれぞれに表情があり面白いです。
厚い部分は色が濃く、ガラスが薄いところは色が淡い。
なめらかな表面だが、全体を見ると凹凸もある。
また、照明の反射によって、加工段階で刻まれた線や折り目が明らかになり、きらきらと煌めいている。
ずっと昔に、宝石との違いも分からず、ガラスのきらめきに惚れ惚れとしていた頃を思い出しました。

沖縄県の琉球ガラス


地域によってその見た目にははっきりとした違いが見受けられ、沖縄のガラスは他に比べて厚みがあります。
例えば瓶口のような切り口など。


また、細長い瓶の首はまっすぐとしておらず、少し離れて見れば少々歪んでいるのが分かります。
手工ゆえの歪みであり、しかし人が手で作ったという事が明らかにわかるからか、冷たいはずのガラスからぬくもりのようなものを感じられました。

「琉球ガラスは再生ガラスだから分厚い」と民芸館館長の手島学さんは言います。
戦後、米軍基地から捨てられたコーラやビール、ペリエなどの雑多な空き瓶を溶かして再利用して作られたため、分厚く色も茶色っぽいものが多いそうです。

琉球ガラスではありませんが、どう見ても傾いているグラスなど、作っているときに歪んでしまったけれどそのまま商品になった、という成り行きを感じられ思わず和んでしまいます。


岡山県の倉敷ガラス

気泡は写真ではわかりづらい



表面には加工の段階で混ざった(混ぜた?)気泡のようなものが粒になったり線になったり、ガラスが引き延ばされた方向に延び流れていました。


また、霞がかったように混じる気泡は、夏祭りの屋台で買った練り飴を練った、あのつやつやを思い起こさせます。

瓶やグラスの側面についた突起や、紐が巻き付いたかのような線は、手で掴んだ時に滑りにくくする役割があるのでしょうか。

ガラス品は透明なものよりも色ガラスが多い印象でした。
鮮やかな青、緑、黄。
照明に透かしたグラデーションも美しい。
白色のガラスはミルク味の飴玉のようにつやつやと丸っこい。

展示されていたガラス民芸品は「使われる前提のもの」ばかり。
私だったら、このグラスに何を注ごうかなどと考えます。
いつ使えば、どこに仕舞えば満足げな顔をしてくれるでしょうか。
私のものでもないのに、もし自分の日常品だったら、と愛着のようなものが湧いてきました。
これはとても不思議な感覚。

なぜ青や緑の色ガラスが多いのでしょうかとお聞きすると、館長・手島さんは「丸山太郎が好きな色だったんじゃないかな」と笑って言いました。

丸山太郎が現地で「良い」と思ったものが集まるまつもと民芸館。
企画展だけでなく、常設展にもガラスの品があります。

「丸山太郎は、目で見て自分で気に入ったものを買っていた。常設の展示品の方はしかも、名が知られるようになる前に集められたもの」

丸山太郎の目利きがいかに優れていたか、が見えるようなお話でした。

「作品」と書くか「品」と書くか
あくまで民芸品は、生活の中で使われてきた日常品であるはず。
(当時は有名でもなかった)作家の作品だとはたして言えるのでしょうか。
作家の作品、になるまえのものが蒐集されているはずです。

丸山太郎の「美しいものが美しい」の言葉に、何が美しいのか分からない私は不安な気持ちになりました。
「これは美しい」と自身の琴線に触れる美に、私は出会っているのでしょうか。
出会っていても気づけていないのではないかと。
ほかでもない「私」が美しいと思った瞬間に気づかなければならない。

「ブランドや作家の名前で物を買う人が増えた」という手島さんの言葉は、工芸やものづくりに関わる方々が思うことなのだろうと考えます。
無感動に機械的に、世間が良いというから良いものだと判断する現代の私たちに浅からず突き刺さる言葉ではないでしょうか。

同時に、「自分が良いと思えば良いんじゃないかな」とも手島さんは言います。
工芸の五月やクラフトフェアでは、様々な作家や職人が集います。
松本に来て3年目、私も初参加でそわそわと心待ちにしたり。
そこにはひとつ「作った人と使う人」の出会いがあり、きっと「美しいものが美しい」ものとの出会いもあるのだろうと妄想したり。
他人の言う「美しい」とはなんだろう、自分の中の「美しい」とはなんだろう、と考えながら歩き回りたいと思います。

工芸の五月に合わせて、まつもと民芸館では中庭にて『緑陰「用の美」市』が開かれます。
竹細工・やきもの・ガラス・小木工など信州の伝統を受け継いだ職人たちの作品を展示販売。
(工芸の五月パンフレットより引用)

初夏を感じる落ち着いた雰囲気のまつもと民芸館にて、丸山太郎の審美眼に適った民芸品と出会い、「美しいものが美しい」という目を自分の中に探してみてはいかがでしょうか。(N.S.)

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