【藝術日記】蓮沼昌宏「制作、テーブル、道」(長野県立美術館 公開製作vol.3)レビュー
以前、藝術日記では蓮沼昌宏さんと畠山直哉さんとのアーティストトークを紹介した。
蓮沼昌宏さんの展示「制作、テーブル、道」は、長野県立美術館で2月4日まで公開されている。アーティストトークで、「状況を作り出したい」と語っていた蓮沼さんの言葉を思い出しながら、足を運んだ。
「どうそじん」と道
オープンギャラリーの中に入ると、展示スペースそのものが道になっているという印象を受けた。それは、日が差し込むガラス張りの壁と、絵画やキノーラが展示されている白い壁紙との境目に、「どうそじん」を見たからだ。壁際にこぢんまりと設置されたその作品は、顔料で白く塗られた長方形の板に、目を閉じて寄り添った二体の神様が描かれたものだった。積もった雪を指でなぞった後のように、神様のシルエットがぼんやりと浮かび上がっていた。土台を合わせても、膝の高さほどの小さな作品だった。
絵画や机の作品を作った時の、端材かもしれなかった。端材であるかどうかに関係なく、蓮沼さんの手で描かれた「どうそじん」からは物語が感じられた。二体の神様が寄り添い、何かを考えながら、静かに道を見守っている。
「どうそじん」に見守られる展示には、手回しアニメーション装置キノーラの「道」に関係する作品や、木の板に描かれた絵画や、「つくって、こわして、つくってのテーブル」などがある。「つくって、こわして、つくってのテーブル」は、個々の机を細い板で橋渡しているので、ひとつの机とも別々の机とも考えることができた。
絵画作品は「雪のテーブルの道」「山のテーブルの道」などのタイトルがついているように、壁に展示された絵画でありながら、テーブルでもあるようだ。枠はきれいな四角ではなく、丸みを帯びていたり、でこぼこだったりする。そこに描かれた道も、あるものは真っ暗で、あるものは短くて細くて、あるものは長く複雑に曲がりくねっている。ワープを描いた絵画もある。道の外は明るく、瞬く星が描かれているのに、車や人が進む道はおぼつかない印象を受ける。
こわして状況をつくる制作
蓮沼さんは、ご自身のテキストで、ドイツ滞在中の経験からアート鑑賞者は作品を通じて「存在に触れているのかもしれない」と思うようになったと紹介している。
蓮沼さんがアーティストトークで話された、「状況を作りたい」という言葉は、鑑賞者が新たな存在に触れ、日頃持っている価値観から離れられるような場を作りたい、ということかもしれないと思った。そうだとしたら、世間の世界観から離れた場を作る制作過程は、蓮沼さんが描いた道の心許なさに似ているのではないか。新しい世界や状況を作ることは、周りの状況が強く、明るく星が瞬いているように見えても、からめとられずに自分の価値観や、先の見えない道を選ばなければいけないことなのかもしれない。
蓮沼さんの5歳のお子さんは、積み木遊びをしている時、「こわしたら遊びだけど、今はつくっているだけ」と話したという。蓮沼さんはその姿から、制作の気づきを得たと紹介している。
今回の展示は、木材から作品をつくったりこわしたりしながら、テーブルでありながら絵画でもある絵画作品や、絵画として壁にかざされる可能性のあったテーブル作品を制作したのだと分かる。テーブルなのか絵画なのか、普段は明確に引かれる境界を曖昧にして、鑑賞者に新たな線引きを委ねる様な状況を、試行錯誤しながら制作したのだと感じられた。
蓮沼さんがつくるキノーラ作品の登場人物は、鑑賞者自身がハンドルを回すことによって、様々な出来事に反応しながら、歩みを進めていく。
車は思いがけず滝に打たれて、蟻はあめ玉にまとわりついて、進む。新しい境界と、まっすぐは続かない道と、それぞれの道を進むものたちの観賞を通して、今まで知らなかった価値観を進んでいくだれかの存在に気がついた。私自身がどのような価値観を持つのかと、自分に問うこともできる場だ。(小古井遥香)
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