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出雲大社の自由研究①~出雲大社って何?~

只今、人生の夏休みを過ごしている私

何のきっかけか忘れたけども
「出雲ライナーに乗って出雲大社に行ってみたい」と数年前から思っていたのですが、先日お友達に話したらなんとセッティングしてくれたんです
私は何といい友達をもってるんだ・・・(TOT)
幸せの極み・・・!!ということで

本格的に出雲大社の都市伝説
・高い建物が立っていたやつ
・ヤマタノオロチとの関係
・エジプトのピラミッドの中と同じ構造

という、あいまいな記憶をちゃんと研究(?)しようと思いました!!

まぁまずは
都市伝説の前にそもそもの出雲大社ってどういうものか調べるのが先決だと思い
出雲大社の公式HPを確認!

http://www.izumooyashiro.or.jp/about/ookami

ん???

「出雲大社とは」のページじゃ全然意味わからないんですけど。。

・出雲大社と大国主大神
・いなばのしろうさぎ

はぁ、そうですか、よくわかりません、
そもそも言葉が難しくてわかりません
という感じなので

とりあえずyoutubeで
「出雲大社 謎」で検索したものを書きなぐってみる


■出雲大社にまつわるミステリー参拝の仕方が特殊?しめ縄が逆?

<謎その1>参拝の仕方

一般:2礼2拍手1礼
出雲:2礼4拍手1礼

説1:【一霊四魂】人の霊魂は天と繋がる一霊「直霊」(なおひ)と4つの魂から成り立つ
説2:東西南北を守護する「四神(しじん)」に対して敬意を示している
説3:幸せの「し」を意味している

などあるが、時期、理由共に明らかになっていない

他、新潟「弥彦神社」大分「宇佐神宮」東京「桜神宮」でも行われている
関係は不明

<謎その2>かつて大神殿だった?
【現在】
高さ:24メートル
面積:約99平方メートル
巨大な木造建築

【大昔】
高さ:48メートル(もしくはそれ以上)

理由
→2000年ごろ発掘調査
1248年ごろのものと思われる巨大な柱が発見された

→平安時代の「口遊(くちずさみ)」という本
「雲太、和二、京三」という言葉がある
日本で最も高い建物の順番
1位:出雲大社
2位:東大寺大仏殿(奈良)
3位:平安京大極殿(京都)

を表していると考えられている

Q,なぜそんなに大きな社を作る必要があったのか?
A,出雲大社の御祭神は「大国主神」とされている
日本神話には彼が登場する「国譲り」というエピソードがある

~エピソード~
大国主神が君臨していた日本(芦原中津国)を高天原(たかまがはら)の天照大御神に献上する。高天原(たかまがはら)から送られてくる使者に抵抗しながらも結果国を譲ることにした大国主神は、ある条件を提示。
「私の国をお譲りします。しかし、その代わりに私の引退後の住まいとして神々が暮らすような立派な神殿を立てて欲しい」
それを聞いた天照大御神は、この条件を受け入れて現在の島根半島に立派な神殿を建てることにした。
※これが出雲大社の起源といわれている

しかしこの大神殿については平安時代から鎌倉時代にかけての約200年間だけで7回倒壊したという記録も残っており、鎌倉時代には現在の高さに落ち着いたと考えられている。
※当時の技術では大神殿を維持するのは難しかったのかもしれない

<謎その3>(「国譲り」神話を踏まえて)出雲大社は大国主神の怨霊を鎮めるために作られた?→否定派も多い
出雲国の主であった大国主神をヤマト王権が倒し、その怨霊を鎮めるために天皇の御所よりも大きな出雲大社を作ったともいわれてる

「国譲り」神話は平和的なものではなく、実際にはヤマト王権が出雲国を滅ぼしたことを表しているのではないかとも言われている。出雲国、出雲王朝の存在に関してはさまざまな説があるが、島根県の遺跡から大量の銅剣などが発掘されているという事実がある

【根拠】
1、出雲大社のしめ縄の向き
一般的な神社のものとは張り方が左右逆になっている
※神社神道では神様に向かって右側が上位、左側が下位となっている
※しめ縄は神域と現世を隔てる「結界」という意味もある
日本神話に登場する天照大御神の天岩戸隠れのエピソードで再び外に出てこられた天照大御神が二度とお隠れにならないように結界として縄を張ったのが始まりといわれている

結界でもあるしめ縄を逆に張ることで大国主神を閉じ込めるとともに自分が死んだということを自覚させているのではないかと言われている

2、南向きの拝殿に対して西向きに祀られているいる大国主神

<説>
・参拝させないようにしている
・怨霊は真っすぐにしか進めないから出られないようにしている
・参拝者の正面にいる御客座五神は大国主神が祟らないように監視している


★伊勢神宮の存在
伊勢神宮は天照大御神を祀る神社、実はヤマト王権の根付いた畿内地方を中心として出雲大社と伊勢神宮はついとなる位置にある。

それぞれの神社を比較すると不思議と対となる性質が見えてくる

①伊勢神宮 ②出雲大社
存在: ①天界の最上級神  ②地上の最上級神
ヤマト王権から見ると:① 東(日の昇る方向) ② 西(日の沈む方向)
陰陽二元論 :①陽  ②陰


「出雲」雲は太陽神である天照大御神を隠すことができるととらえることが出来る古史古伝「ウエツフミ」では
出雲王朝を開いたのはスサノオであり大国主神はその子孫であるともされている
実際に、出雲大社の御祭神は大国主神ではなくスサノオだった時期もあるそうです
現在でも、本殿の真後ろに鎮座している素鵞社(そがのやしろ)には、スサノオが祀られているのだとか

【興味のあったコメント】
●シュメール人の都はスサとよばれ、スサの王がスサノオとなったそう。
そしてDNAのハプログループで出雲地方だけがD1bの縄文人の割合が本州の中で特異的に高かったそうである。つまり縄文人の王こそがスサノオだったのではないか。国津神である大国主はスサノオだった。そしてヤマト民族(天津神である天照大御神を主祭神とする)に日本をゆずる神話が古事記。また縄文人の遺伝子をもっとも受け継ぐアイヌはシュメール語のアヌがなまったともいわれている。ニビル星からやってきたアヌンナキである。
アイヌの女性は口に入れ墨をしてまるで法隆寺に安置されているサムライとされる顔面が爬虫類のような像に似せるように口をつくっていた。今後縄文文明が明らかにされることで日本と世界の真の歴史が紐解かれるのではないだろうか

●神道における元来の基本動作が「四(ヨ)」である事に由来。

二拝や二拍手は明治政府以降、国家神道の号令の下に簡略化、略式化されたモノ。
国家神道(神社は全て国家の管理下に置かれて、神職は皆、公務員として身分保証されていた)が終戦後解体されて
全国の神社は全て民営化させられ、
神職らは一気に生活の基盤(公務員の身分)を喪い路頭に迷う事に、、、
国家神道の甘い夢物語を享受した全国の神社や神職らのほとんどが求心力のあるモノ(縒らば大樹の、、、)を求めて参画して設立したのが一般宗教法人の「神社庁」。(新興宗教法人です。)

まあ、ライオンズ倶楽部やロータリー倶楽部、青年会議所、みたいな任意団体です?

この神社庁に主だった神社の神職/宮司らが集まってあれこれ協議して採択したのが
いわゆる
「二拝二拍手一拝」の拝礼作法。
但し、丁重な作法、祭儀等に於いてはこの儀に非ず(の但し書きがあります)
この神社庁の半ば公的官庁(お役所)的な押し付けやごり押しに意を唱えて離反したり、元から参画しなかった神社も当然有りまして、

伝統的な作法を尊重、堅持した作法の一つが
二拝礼四拍手一拝。

出雲大社の作法でもう一つ重要なのが
「出雲神言」と言われる唱え言葉

「幸魂。奇魂。守りたまへ。幸へたまへ。」三唱
同じ唱え言葉が三輪山麓の大三輪神社でも伝承されています。


ここからは一般に知られていない内宮に成りますからご注意を、

出雲大社は国が創建したモノではありません。
また、その創建時期は神代にまで遡らず奈良時代になり、
旧出雲王国の二つの元王家が共同して創建ました。
その一管理者に雇用されたが現在の国造家の祖先。(うまく立ち回って横領した)

出雲族の信仰上、「三」と「八」が聖数で出雲のシンボル。

出雲大社があれほど巨大で立派なのに屋根の勝夫木が僅かに三本なのもその一つ。
(伊勢神宮の内宮正殿は10本。外宮正殿は9本)

出雲の信仰は子孫繁栄が全てのベースにあるため男女の交合(セックス)が重要視神聖視されました。
×や+は世界共通化された交合のマーク。
屋根の千木のXは正にそれを表しています。
出雲の千木は縦削ぎ。横削ぎは物部(渡来)系

しめ縄は、出雲族が信奉する龍蛇神を表し、雌雄の龍蛇神が互いに絡み合って交合、交尾している姿。
白い幣は雄龍蛇神の迸る精液(生命誕生(繁栄発展)の根元)


古式?出雲人の拝礼作法は、
二拝。
三拍手(出雲の三柱の最高神)。
祈願(ちゃんと言葉に出して祈願が肝要)
四拍手(お仕舞いの合図?)
一拝。

だそうです。

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