《往復書簡》金川晋吾より⑤

2010_3月_2_取手forest_17

大崎清夏さま

こんにちは。以前の返信をいただいてから、あっという間に時間が過ぎて7月も半ばになってしまいました。
僕は4月5月はほとんど出かけずに生活をしていました。電車に乗った日も片手で数えられるぐらいだと思います。自分はもともとそれほど毎日働いていたわけではなかったので、収入が減ることについてもそれほどストレスを感じることなく、この2か月間はのんびりと過ごすことができました。
6月になって延期になっていた仕事や企画が少しづつ動き出し、家を出て人と会う機会が増えてきて、今さらながらコロナは自分の生活に物理的にも心理的にもいろいろと影響を及ぼしているのだということを実感して、ストレスを感じたりもしています。ストレスを感じているのだとを最近自覚しました。おおっぴらに人が集まってはいけないというのはなかなか厄介ですね。

 「濃厚接触」という言葉の話、とてもおもしろかったです。今、こういう状況になったので、誰もが平然とこの言葉を口にしていますが、「濃厚接触」ってけっこうすごい言葉すよね。以前なら、公の場で口にするのは憚られるような。というか、以前はこんな言葉は普通には使われていませんでしたね。「濃厚接触を避ける」というような否定のかたちでは使われるけど、「濃厚接触をしに行く」みたいな使われ方はあまりしませんよね。やっぱりそれは、その言葉が指すものがものすごく漠然としているからというだけではなくて、抑圧している何かにふれてくるようなところがあるからなのかなとか、思ったりもします。
 この前の大崎さんの「ポエム」の話につなげるわけではないですが、言葉というのはやっぱり歴史をもっていて、変化していくものとしてあるのでしょうね。大崎さんのポエムという言葉の歴史の変遷のほうに興味があるというのはなるほどと思いました。
 文化庁の長官がああいう声明をさらっと恥ずかしげもなく出せてしまうというのは、本当に不思議ですよね。なんであんなことができてしまうのか。ただ何も考えていないだけなのか。本来は具体的な対策や情報を提示するべきところなのに、それを回避してお茶を濁すためにああいう声明を発表しているという考え方もできると思うのですが、でも、もしかしたら、そういう企みすら本当はなくて、素朴に「文化長官たる自分が今やるべきことは、人々を励ますことだ。明けない夜はないのだ!」と思ってああなっているのかもしれない。そんなふうにも思います。それは本当におそろしいことですが。各住所に2枚ずつ送られてきた布製のマスクのことや、危機的状態を知らせるために都庁が赤く光る「東京アラート」とかもそうです。あまりにもぽかんとさせられて、その虚無の深さに感動のようなものを覚えなくもないのですが、でも、ぽかんとしている場合ではないですよね。いちいち怒る気力が削がれていくようなことが多いですが、でも疲弊しきらないようにはしたいです。最近あらためて、疲弊しきらないようにするための工夫というのは大切だなと思っています。文章の書き方とかもそうです。自分の至らなさをあげつらうようなことはせずに、無理をせずに、できるだけ気楽に書いてしまおうと思っています。

 結婚や出産をゴールとするような考え方から自分がどれぐらい自由なのかは自分ではよくわかりませんが、父親が家庭内の長であるという考えをあまりもたずにすんだ家庭に育ったというのはそうだと思います。それは父親がそういう人だったというのもありますし、母親の影響も大きかったと思います。一言でいうと、ものすごい親ばかということになるのかもしれませんが、母は僕に対して絶大なる信頼、客観的に見れば適切ではないほどの信頼を置いてくれていて、僕がやることに対しては何であれ基本的に肯定的で、「こうでないといけない」というような規範を押しつけられることはまったくありませんでした。それは本当にありがたかったし、今もありがたいです。
 最近、「結婚」や「家族」、「セックス」、あるいは「恋愛関係」や「恋愛感情」みたいなことについて、改めて考え直してみようと思っています。やっぱりなんだかんだで、自分はすでに漠然と存在している規範に自分自身を押し込もうとしていて、それゆえにある種の不自由さを感じているのではないかと今さらながらに思ったりしています(こういうことを考えていると、「今さら」とか「いい年をして」みたいなことを思ってしまうことが最近ちょくちょくあります。でも、「今さら」とか「いい年をして」みたいなことを思うのは本当にくだらないというか、ろくでもないというか、そんなことを自分は本当には望んでいないので、そういう気持ちがわいてきたときには「そういうことじゃないだろう!」と自分に言い聞かせるようにしています)。ヌード写真に対する関心は、こういう問題とも自分のなかではつながっています。また今度、写真をお見せしますね。

 この往復書簡のきっかけになったAXISのウェブサイトでの連載が(おそらく)残すところあと一回になり、この連載を担当してくれていた松渕さんも(おそらく)9月には日本を離れることになり、三人で取材に行くのは次が最後ですよね。そのことにとてもさみしさを感じている自分がいて、少し驚いています。何かが終わるということに、こんなにさみしさを感じたのは久しぶりです。次の撮影もどうぞよろしくお願いします!

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