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THE ART of the SPRINT : For Coach Tom Tellez and the Santa Monica Track Club Speed Demons, the Point Is Not Just Winning the Race, but Perfecting the Run. 訳④

どうもアクセルトラッククラブの草野です。前回に続き、敬称は記事に合わせて略させて頂きます、ご容赦ください。
原文は以下から↓ 

 マーシュとバレルはブロックに戻り、再び並んで走り出した。この時は彼らの動きが一度により意図的で、よりリズミカルに見えた。

『OK、that’s a little better』
テレツは彼なりの高い賛辞を伝え、2人は休憩を取り始めた。

 当時25歳のバレルは、ルイスの高校時代の活躍の場からほど近いデラウェア・バレーで育ち、ルイスと同じ大学のコーチから教わりたいと早くから思っていた。1985年、彼は1年生としてヒューストンに到着し、それ以来、テレツのもとでトレーニングを受けている。
『肯定的でファンのように応援してくれるコーチは楽しいけど、基本的には自分一人でやらなくてはならなかった。コーチT(テレツのニックネーム)はその逆だ。彼は自分がやっていることが間違っていると、適切に伝えてくれる』
と、バレルは芝生の上に寝ころびながら続けた。
コーチの中には、選手の間違いを指摘する事で気持ちを傷つけることを恐れている人もいるが、コーチTは違う。彼は躊躇しない

 同じく25歳だが、ヒューストンでは比較的新人のマーシュは、トラック内側の芝生で模擬レスリングをしている男女2人のハードル選手を叱りに行っていた。
『おい、それはやめろ。誰かが怪我をするぞ』
と彼は警告した。テレツがちらりと見渡すと、二人は少しいちゃつきながらコースに戻っていった。テレツの命令で、怪我をするようなバカ騒ぎはしてはいけないということになっている。

 マーシュが座って話し始めた。
『コーチTは責任者だ。彼が行けと言えば大会に行き、彼が家にいろと言えばその通りにする。彼の意思決定に金銭は決して関係がない。私達は彼を信頼している。彼は私たちのキャリアのためのビジョンと計画を持っている。そして今はどうやってバルセロナに行くかだ』
今、マーシュとコーチTは崖っぷちに立っている。ホーソーン校やUCLAでの学生時代に中堅アスリートとしてのポジションを確立していたが、マーシュは新しいコーチと新しいアプローチが自分の運命を変えてくれることを期待して1990年にテレツのもとにやってきた。しかし、最初からうまくはいかなかった。昨年の全米選手権では、200mで5位、100mで7位と苦戦していた。しかし今年、ちょうど全米選手権までに準備が間に合ったこともあり、マーシュは突如として優勝候補へ躍り出てきた。倒すべきライバルはルイス、そして前年の1991年に世界選手権でルイスに敗れたことを除けば、世界記録を保持し続けていたバレルだった。今年のバレルはフォームのマシントラブルに見舞われていたが、どうやら修正できつつあるようだった。
『私は彼に、最後まで足をスイングスルーし続けなくてはならないと言い続けていたんだ』
とテレツは話し、
『1週間ほど前には、それがうまくいった』
と続けた。バレルはテレツの合図で立ち上がると、わずかにうなずいた。例えヨガの修行僧でも、今の彼のように表面上の態度をこれほどコントロールしているものはいなかっただろう。

 すると肩越しにバレルが声をかけてきた。
『コーチTと一緒にトラックに居る時はスターは居ないのさ』
 笑顔とウィンクを添えて続けた。
『彼以外は、ね』

パート⑤に続く

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