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THE ART of the SPRINT : For Coach Tom Tellez and the Santa Monica Track Club Speed Demons, the Point Is Not Just Winning the Race, but Perfecting the Run. 訳③

 どうもアクセルトラッククラブの草野です。前回に続き、敬称は記事に合わせて略させて頂きます、ご容赦ください。
原文は以下から↓ 

 伝統的なスプリントの走り方の指導は『全力でいけ』、そして多くがフリースタイルのように無秩序なものだった。テレツは学生時代まずまずのハードラーであり、時としてアメフトのハーフバックとして多くの時間を過ごしてきた。そしてブエナパーク高校、フラートン大学、UCLAの新進気鋭のコーチとして名を馳せてきた。彼は伝統主義者であり、彼が指導されたようにアスリートを指導していた。
『コーチが言うのは「GO,GO,GO」という言葉だけだった。ランニングはブードゥー教のように考えられていた。ある人が他の人よりも速いのは、その人が持っている不思議な力のせいだと』
と彼は話した。
 やがてテレツは、最速のランナーには共通点があることに気づき、明確な基準がなくフリースタイルで選手を走らせているのは問題であると感じるようになった。
『すべてのランナーに適応できる科学モデルを作成したかった』

 そしてテレツは、速度、てこの原理、解剖学の基本的な概念を学んだ。彼は科学雑誌や古典的なトラックの教科書からメモを取っていった。図書館ではランニングのメカニズムに関する修士論文や博士論文の宝庫を見つけた。彼はそれらをすべて読んだ。ヨーロッパやソビエト連邦の雑誌、入手可能なあらゆる映像、あらゆる角度からの写真、あらゆる時代の写真、ジェシー・オーエンスよりも前のものまで、彼は自分の図書館を作りあげた。テレツは何度も何度もその資料を見続けた。
『ほとんどのコーチはランナーの非類似性に気づく。私は類似点を探していた。よく見てみると、身体は一つの方法でしか最高の働きをしないことがわかった』
とテレツは言った。

 オーエンスや他の偉大な選手達を映像から研究し、彼らのぼやけた体を1コマ1コマ毎にスキャンし、生体力学的な原理と実際の動作を照合しながら、テレツはレースがどのように走られるべきかを検討し始めた。そしてテレツが学んだことの多くは、常識を覆すものだった。当時レースはゴールを視認しながらスタートするものだと思われていたが、テレツは顔を最初にトラックに向けるかのように、視線を下に向けるべきだと判断した。型破りで居心地が悪いのは事実だが、それはテイクオフのために体の他の部分を適切な位置に強制的に配置することになる。最初から最後まで、彼は機械的な完璧さを他の要素に対しても求めていた。背骨がまっすぐであること、頭まで一直線に並んでいること、腕を使って均等なバックスイングをすること、大きなストライド、自然な動作で膝を畳みスイングスルーすることなどである。

 優れたメカニズムを備えたランナーがより速いランナーであるのは当然のことのように思えた。この理論を武器に、テレツは1976年にUCLAのアシスタントコーチを辞め、ヒューストン大のヘッドコーチとなった。そしてヒューストン大ではその理論を用いて典型的な学生アスリートの多くを全国レベルのアスリートへ変貌させていった。その3年後、異形ともいえる圧倒的才能を持つルイスが入学した。テレツはスターをスーパースターに変えることができたのか?確かにテレツはできた。
 『カールがどんどん良くなっていくのを見ることは、本当に嬉しかった』
と彼は言った。
『放物線曲線や加速度曲線など、私が持っているすべての情報を彼に伝えたところ、彼はそれを実行に移してくれた』
ルイスがトラックに足を踏み入れるたびに、ランニングの科学が芽吹いていくようだった。

 ルイスの時代までは1968年のオリンピックでのジム・ハインズの9.95という異常な走りを除けば、100mで10秒を切ることは事実上達成不可能と思われていた。しかし過去10年間では、ルイス、バレル、マーシュ、そしてテレツのトレーニングを受けていないが同じく科学的思想のコーチに指導されているカルビン・スミスとデニス・ミッチェルは何度も10秒の壁を打ち破ってきた。

 評判が広まるにつれ、スプリンターだけでなく、ハードル、走り幅跳び、走り高跳び、棒高跳び、槍投げ、十種競技の選手など、自分達のパフォーマンスは運動の法則をどれだけうまく利用できるかに大きく左右されることを理解している選手達が、指導を受けたいとテレツの居るヒューストン大へ来るようになった。テレツは何人かの選手を受け入れ、何人かの選手を断った。彼の基準は競技成績よりも、トレーニングへの意欲と厳しい批評やトレーニングに耐えうる精神を重要視していた。そして彼らが資格を得ればテレツの専門知識は基本的に無償で提供される。例えばサンタモニカ・トラッククラブはテレツが大会に同行する際の費用を支払っているが、テレツの収入となっているのは、オリンピック選手のコーチではなく、大学での仕事であった。


パート④に続く

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