Twitterでアニメ批判を言わない理由

 ※感想自体への批判的な表現が混じります。そういったのが苦手な方はブラウザバック願います。

 某アニメ批判で私のTLでも結構空気がピリピリしています(私のTL構築的には直接的な批判よりは批判に対する批判の方が目にする感じかな?)。

 私はTwitterで感想に批判は入れないようにしています。否定的な感想を抱きそうになっても(頻度はそんなにないですが)製作者の方は何故“あえて”これを描いたんだろう?と“肯定しよう”とするし、”その方が楽しいから”というのもあります。

 自分としても何故アニメ批判をTwitter上で言わないのかは、「なんとなく」でした。これを機会に一度言語化してみようと思い記事を書いてみました。

 結論から言うと私の拙い批判ではTwitter上では”無価値で済めば良い”がそれを通り越して”害になってしまう“のでは?と思っているからです。

 批判系の批評でも価値あるモノはあります。ブログ全盛期の古い記事(もう閉鎖されたっぽいですけど、悔しい…)だと、主流意見(肯定的な)への批判をしつつ、別の見方を提示し、そこに根拠と論理でしっかり道筋立てて語るような批評がありました。好きな作品でこれをやられたことがありましたが、本当に面白く納得感のある評でした。その作品の新しい視点を得て、さらにその作品を好きになる。そう言った意味での批判的な批評は私(批評者からしたときの第三者)にとって読む価値があります。

 批評の意義とは、作品の価値基準を他者に納得が出来るよう説明すること。そのために多くの批評は根拠と論を用いて、普遍性を持たせることを考えます。

 Twitterではどうでしょうか?

 Twitterでは140文字区切りであることから、満足できるような根拠を提示することが難しい。そもそも論理を構築するのに時間と手間が掛かる。このためかTwitterで見かける感想は、そういった物を構築する必要が無い、自分の考えだけで完結できる、印象批評と呼ばれるモノが大半となっています。

 私もTwitterで印象批評(要はただの感想)を吐き出しています。批判はしないように肯定系オンリーで。肯定系での印象批評であれば、共感という意味で、システムには合っているし良いことと思っているためです。

 また、根拠を提示する感想もあるにはあるのですが、その根拠は受け手が勝手に理想のモデルを脳内に作り上げ、それに沿わない部分を批判するというようなモノばかり。自分の理想から外れればダメ出し、改善提案など延々と挙げ続けられる。かなり簡単な批評の手法で、規範批評と呼ばれるものです。正直、私自身も批判を書く場合はこれになってしまいそうで怖いなと思っています。

 どちらの批評も、批評者の主観・背景を絶対視する批評スタイルです。それは論理という説明できる背景ではなく、批評者本人という曖昧なモノを根拠として持ち出すということ。極端な例だと、印象批評であれば「つまらないから0点」。規範批評であれば「あのキャラクターが活躍するべきなのにしなかった0点」。これらを成り立たせるには他者に批評者本人の背景まで読み込ませる必要があります。

 赤の他人の背景(趣味嗜好)など普通はわかりませんし、興味もありません。ただ、アニメに置いて一定の地位を持つ方。例えば監督やプロデューサー、脚本家の方などが行う規範批評・印象批評であれば、私たちは“彼らの背景まで読もう”とするので、それは他者へ価値を持ちます。

 それ以外で普遍的な価値を持たせようとした場合は圧倒的な知識量、もしくは語彙へのずば抜けたセンス(またはその両方)を要求される批評スタイルと言えます。そういった意味では印象批評・規範批評は相当ハイレベルな技術を要求されるモノです(点数サイト、ブログなどでも凄みのある方はたまに見かけます)。つまり、ここに共感ではなく、批評的な価値を持たせられるのは、製作者や天才などの一部の限られた者だけだと思うのです。

 それなのにTwitterにて展開されるのは印象批評・規範批評が主流になってしまっているし、私がやろうとすると恐らくそれしか出来ない。

(外在批評と新批評のような外部知識重視の批評も見かけます。映画はそっちが主流な気がしますが、アニメではあまり見かけないので触れません)。

 さらに言えば人間、否定と批判は嫌います。その作品のファンが見る可能性を考えると、他の媒体と比べてどうでしょうか。

 ブログでの批判でしたら、批判の前にたとえば「以下は批判的な文章を含みます」などの注意書きが可能ですし、5chだったらアンチスレなどの棲み分けが可能、点数サイトであれば点数ごとでソートすれば良い。ですが、Twitterの場合はそういうことが出来ずにそのまま目にしてしまうことになる(検索避け位?)。RTで知らない人の目に触れる可能性すらある。システム的に配慮が難しい。価値がないだけならまだしも、不特定多数のファンを不快にさせるだけだと考えます。

 上記から、私がTwitterで作品の批判を書いた場合、そこに批評的な価値を持たせることはおろか、ただの害になるだけなのでは?と思っています。

 そのため、私は作品への批判的なことはTwitter上では流さないようにしている、です。

 以上が建前


 以下は本音


 あまりに口が悪い場合は、ミュートかブロックして見えないようにするのが手っ取り早いですし、無駄に正義感発揮してレスバするのもどうかと思います。それがTwitterの使い方ですからね。

 批判への不快感から反論などは巻き起こりますが、規範批評・印象批評は批評者本人を背景根拠するので、ここへの反論って、論にもならない。それどころか、背景と根拠が批評者本人なので、ヒートアップしていくと誹謗中傷に繋がりやすい。議論にすらならなく、何がしたかったの?誹謗中傷合戦?となることが多く本末転倒。だから、なるべく関わらないように批判は入れないようにしている、です。

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