人生に『思いもよらない出来事』が起こる理由。〜自分の意思以外の願いって…??〜
今日私は、
免許の更新に行ってきたのですが、
その時にふと、
改めて思った事があって、
それは、
『自分の願いっていうのは、
自分の意思の願いだけではない』
っていう事です。
免許センターで講習を受けるのですが、
その時に毎度おなじみの
事故になったら大変だよシリーズの
ビデオを見せられます。
私は感情も伴っちゃいそうなので、
あんまり見たくないなぁ〜…と
感情移入しないように
なんとなく見てました。。
その時に出てくる人物の言葉で、
「それまでは全く他人事だと思ってました」
「まさかこうなるなんて
考えた事もありませんでした」
という言葉。
現実創造の観点から言うと、
事故に遭うかもしれない、
そうなったらどうしよう、怖い、
という意識を向け続けて、
いつも心配の感情ばかりで暮らしていれば、
やがてその創造の種は大きくなり、
現実となって現れます。
でも、、色々聞いていると、
なんの心配もなく、のほほんと、
幸せな気持ちで暮らしていた最中に、
突然見ていたテレビの電源が落ちるかのように、
人生が一転し、、
『まさか!!』という状況に
変わっている人が多いように思ったのです。
自分の過去の経験でも、
もちろん、今までの自分の感情や態度が
アレを引き寄せたんだろうなぁ…と、
思い当たるような出来事も
沢山あったのですが、、
先述のように、
『なんでこんな事が起きたんだろう?!』
というような、、
引き寄せの事で考えてみても、
全く分からない事も、
人生には確かにある、と思ったのです。
これは、自分の考えている
「自分」というものが、
全体のほんの一部だからだと思うのです。
その、認識している自分のことを
人間意識とか、自我、顕在意識等と呼び、
他の部分を神意識?とか潜在意識
と言う風に表現したりします。
そこは、自分では認識出来ない部分です。
その認識できない部分を含めた
『全体的な自分』が創造したいと
望んだものを私たちは創造してるワケです。
例えば、
私たちが『自分』として見ている
『自我』が生まれるのは、
物心つく頃、大体4〜5歳くらいです。
0歳とか1歳の時なんて覚えてないし、
生まれてくる前の事なんて知る訳ありません。
(肉体ではなく魂が本質で
生まれ変わりがあるという前提)
でも、生まれてくる時点でもうすでに、
私たちの『現実創造』は始まっています。
まず人間で生まれようと思った。
こんな人種でこの国のこの家族に
生まれようと思った。
その生まれた場所が、時には、
虐待のような沢山問題のある家庭だったり、
五体不満足で生まれてきたりします。
そういった事は通常、
私たちの『自我』的に言えば、
ネガティブな事であり、
望むなんてとんでもない、
と思う事だと思います。
途中で、交通事故に遭い
寝たきりになる、という人生も、
自ら望む人がいるとは到底思えない出来事です。
なのに、
物心つく前に叶えている現実、
思いもよらない事が突然起きる現実、
というものがあるのは、
自我ではない「大いなる自分」が
それを体験したいと望んだから。
というふうに考えられるのです。
そして、その出来事が一般的に
ネガティブな出来事であればある程、
私たち『自我』には、
それを体験したいと望む理由など、
1mmも理解することが出来ません。
「何で私だけこんな体験
しなくちゃいけないの…?」
そういう気持ちは分かります。
けれど一応、、
『全体的な自分』が自ら望んで起こす。
という説もあるんだ…という事を、
知って頂けたらと思います。
そして、その場合、
その起きてしまった現実が、もしも、
自分の魂が望んだ事なのだとしたら、、
自分の魂はそこから
どういう成長や体験をしたくて
その事を起こしたのかな??
という視点で、
『大いなる自分』の意図を
汲み取ってあげる事を意識すると、
そこから、
その闇の出来事を光に変えていったり、
一見超ネガティブと思える
その出来事をきっかけに、
自分の天職と思える道や、
心から幸せと思える道へと進んでいく、
『幸せのキー(鍵)』を
もらえるのだと思うのです。
そうやって、「大いなる自分」と、
いつもの自分、自我の部分が一緒になって
協力し、共同創造していくことで、
私たちの魂は、
今生で沢山の学びを得て、磨かれ、
何倍にも成長した状態で、
お空へと帰っていく事が出来るのです。
私たちの願いは100%
引き寄せの法則で引き寄せたもの。
それに間違いはありませんが、
その100%の内訳には、
このような事もあるらしい、、
という事を心の片隅に
置いて頂ければと思います。
今日もあなたの心が
愛でいっぱいでありますように…
佳奈
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