学び舎の僕らは大海知らないまま


「海って、知ってるか?」

放課後、隣にいた泳ぎを止められないマグロに、イカのオクトパは質問する。

「名前だけは知ってるよ。」

「俺もいかんせん本での知識しか無いからあれなんだけどさ。そこに書いてある海っていうやつはめちゃくちゃ広くて、もっとたくさんの魚たちが暮らしていてさ!凄いんだよ!場所によってはカメ?やイルカ?っていう生き物も…。」

目をキラキラと輝かせながら、オクトパは自分が得た知識と、それに対する海というものへの大きな期待を、マグロへ一生懸命自分の触手を使って説明する。
しかし、マグロは止まることなく、オクトパの周りを泳ぎ続けながら、彼に現実を突きつける。

「まあ、僕らには縁のない話だけどね。」

そう、イカのオクトパとマグロがいるこの魚の学校と呼ばれているこの場所は。
魚たちを美味しく育てる為の、水槽だ。

それに気づいた、いや、知ってしまったのはつい最近のこと。
火曜日の放課後、学校に忘れ物を取りに行った2人は、教師たちの話を聞いてしまったのだ。
水曜日の遠足、ではなく出荷日に、誰を、どの魚を連れていくのかという話を。
その日は、忘れ物の事なんてどうでもよくて、ひたすらその場を離れる事だけに集中して逃げた。

自分達は、誰かに食べられる為に生まれ、育てられていただけなんだと。そんな現実を、受け止めたくなくて。

そこからは、ひたすら水曜日の遠足に怯え続ける毎日を送っていた。
もし次、自分だったらどうしよう。
嫌だ、嫌だ。
まだ食べられたくない、まだ死にたくない。

だがしかし、水曜日に選ばれる【成績優秀者】が自分じゃなくても、もう以前のように、笑顔で友達に手を振ることはできなかった。

「もうすぐ…水曜日か。」
「今週はいよいよ、僕らのどっちかが…なんてね。」

笑えない冗談を周りにバレないように話していると、職員室の方から興味深いとある話が聞こえてきた。

「え、人間?しかも生徒として?」
「ええ。教師だけ人間だと、怪しむ魚たちもいるんじゃないかと思いましてね。」
「しかし、もしその人間にこの学校の仕組みがバレてしまったら…。」
「大丈夫、その時はきちんと【対応】しますから。」

職員室のドアからこっそり聞き耳を立てる2人。
「人間が転校してくるって…。」
「しかも生徒として…これって好機なんじゃないか?」
「え?どういう事?」
「人間なら僕ら魚よりずっと知識がある。もしかしたら、この学校をなんとかする方法も一緒に考えてくれるかもしれない…!」
「でも、そんな簡単に人間が僕らの味方になってくれるのか…?」
「大丈夫、きっと…。」
続きを言おうとしたその時、オクトパの触手が誤って近くの物に当たってしまう。

「!?誰だ、そこにいるのは!?」

教師たちがドアのほうに目を向け、声を荒げて問いただす。
しかし、オクトパは混乱と焦りがぐるぐると回り続け、どう行動することも出来ず、固まって動けなくなってしまった。ただ、頭の中で最悪の想像だけがどんどん膨らんでいく。
ここでもし俺が聞いてたってバレたら、きっと、次の遠足は…

「先生すみません!僕です!教室に忘れ物してしまって!」
はっと顔を上げると、マグロが教師たちの前に立ち、弁明をしていた。

「おおなんだ…マグロか。もう遅いから気をつけて帰れよ。」
「はい!先生!さようなら!」
そのままマグロは、オクトパがいる事はバレないように職員室を離れていった。

「…ここまで来れば大丈夫かな。」
そう言ってオクトパの方に目を向けると、彼は何度も謝罪の言葉を述べながら涙をボロボロとこぼしていた。
「マグロ…本当にごめん…ごめん。」
「そんな…泣かないでよ。どうせいつかは、こうなる運命だったんだ。それがちょっと早くなっただけだよ。」
「うう…マグロ…なんでそこまで…。」
そう言われてマグロも、なんでオクトパを庇うような行動に走ってしまったのかは、走り続ける事を強いられてる自分の定めなのかと思っていた。

しかし、あの時の事をきちんと思い出し、ようやく分かった。

「海、行ってみたいんだよね?広い世界、見てみたいんだよね?」

僕はもうきっと行けないんだろうけど。
その言葉だけは、最期まで心の中に留めておいて。

「絶対、君なら見られる日が来るよ。だから、もう泣かないで。僕はオクトパには、友達には、笑っていてほしいよ。」
「マグロ…」
「大丈夫、人間がもし来たら、僕から説得して協力してもらうようにお願いするよ。だからそれまで…いや、まだ遠足に行くとは決まってないから…これからもよろしく。」
「う、うん!」
「じゃあ僕、先に帰るね。バイバイ。」
「ああ、また明日!」
そう言って、先に帰っていくマグロの後ろ姿に向かって、オクトパは小さく震えながら呟いた。

優しく勇敢な彼に、また泣いてるって笑われてしまわないように。


「マグロは本当にバカだなぁ…。」

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