劇場版 健康警察 ③


「おう住岡、お前今日初めてか?」

健康警察として初めて現場入りした住岡刑事に、吉野刑事が気さくに話しかけた。

「今日そうです、初めてです。」
「現場は初めてだよな。」

初めてであるにも関わらず、なぜか緊張感は、住岡刑事には感じられない。それもそのはず、彼は訓練学校を主席で卒業できるほどの優秀な人間であり、かつ、彼の兄である住岡警部も、健康警察のエースと言える存在であった。吉野自身、住岡警部にさまざまな事を教えてもらい、もはや先輩後輩という関係では表しきれない、恩人と言っても過言ではない存在だ。
しかし、弟であり、直属の部下となった住岡刑事、彼の優秀さはあくまでも、訓練学校の中だけの話。それを自覚できていれば良いのだが。

「現場はなぁ、訓練学校とかでも色々聞いてると思うけど、お前たちが…今まで目にしたことがない程、凄惨な健康が待っている。」
住岡が気を引きめやすいようにとは言え、凄惨、など、普段あまり口にしないような言葉を使ってしまったことに、少し恥ずかしさを覚えた。
けれど、そんな言葉では住岡にあまり響かなかったようで、
「いやでも僕、結構成績良かったんで、大丈夫だと思いますけどね。」
と、簡単にあしらわれてしまった。

「吉野、きっともうすぐしたら、俺の弟が健康警察として入ってくる。その時は、お前に任すよ。」

住岡警部からの言葉を思い出す。

「いるんだよなお前みたいなやつ。」
吉野は地面に目を向け、鼻で住岡を笑う。
そしてもう一度、彼と目を合わせた。
住岡は吉野と目を合わせた瞬間、少し顔をこわばらせ、顎を軽く引く。
「はい?」
「まあ大体、その年に1人2人、成績優秀者かなんだか知らないが。学校で受けることと、現場で見る健康は違う。」
未だによくわかっていない住岡は、「はぁ…」と、相槌だけ打って、その話を終わらせようとする。
するとその時、自分の腹部に強い衝撃が走った。
「このようにな。」
吉野刑事が、住岡刑事のお腹を突然殴りつけた。
ふざけるな、一体何がこのようになんだ。
理不尽な暴力に文句を言いたかったが、先程殴られた時にあった目の鋭さに、自分が思った以上に恐怖を覚えてたことに、住岡は今になって気づく。
「甘いもんじゃねぇんだよ、現場ってのは。」
「…っはい!」
「わかったか?舐めてんじゃねえぞ。」
「…すいませんでした!」
「…じゃあ、行くぞ。」
「はい!」


「おつかれ。どうだった、初めての現場は。」
健康警察の近くにある公園。
微糖の缶コーヒーを差し出しながら、吉野に今日の感想を聞かれる。
「さっきは悪かったな…。」
「…いえ、本当に先輩の、吉野さんのいう通り…学校で習ったことと全然違ってて…。」

実際の現場には、学校では習わなかったものばかりが溢れていた。
学校では主に、美容器具や健康食品に対する取り締まり方に重きを置いた授業だったのだが、実際はさらに事が進んでいた。
今日行った健康者は、当たり前かのように健康である事を受け入れており、美容器具や健康食品はもちろん、歯列矯正、目元マッサージ、さらには腕時計に扮して、歩数や心拍数などを測る機能がついた機械を自ら腕に取り付けていた。
きっと住岡1人で現場検証を行なっていたら、それらの空気に飲み込まれ、健康犯逮捕もできなかったかもしれない。
学校で優秀だったことにあぐらをかいていた自分が、恥ずかしくて仕方がなかった。

「吉野さんのおかげで、自分の不甲斐なさに気づく事が出来ました、今日は本当に…すいませんでした!」
タバコに火をつけて、煙を吐き出し、吉野は住岡の隣に腰掛けた。
「まあ…あんまり気にすんな。最初は誰だって戸惑う。俺もそうだったし。」
「え?吉野さんもそうだったんですか?」
「当たり前だろ。しかも俺は、お前と違って、学校で優秀だったわけでもねぇ。むしろお荷物だった。」
「そ、そうだったんですか…?あれ?でも吉野さんのお父さんって確か…。」
「ああ、俺の親父も健康警察に所属していた。」
なあ住岡、知ってるか?と吉野がにやけながら住岡に問いかける。
「俺の親父はな、お前のお兄さん…住岡警部の直属の上司だったんだぜ?」
「…ええ!?そうだったんですか!?そんな話、兄から何も…。」
「お兄さんも笑っただろうなあ、自分の上司の息子が、今度は自分の部下になって、その部下が、今度は自分の弟の上司やるってなったんだから。」
「なんか…すごいっすね。吉野さんのお父様は今も、健康警察に所属されてるんですか?」
住岡は、素朴な疑問を投げかける。すると吉野は、再びタバコを口をつけ、長く白い煙を吐く。
「何年か前に、突然消えたよ。電話もメールも、手紙も寄越さず。」


吉野の父親である吉野警部は、優秀とまではいかなかったものの、部下にも丁寧に指導して、家族のことまで気にかけてくれていた、優しい人だった。
それは家族の前でも変わらず、吉野は自分の父親が大好きで、自分もいつか、健康警察になってお父さんの助けになりたいと思っていた。

しかし、
優しかった父は、ある日を境に、
一変した。

無理しない程度の不健康も、食事も生活習慣もどんどんエスカレートしていき、家族のことも蔑ろにしていった。それに呆れた母親は家を出て行ってしまった。
でも、お父さんは仕事の為だからと言い聞かせ、
いつかきっと、前の優しいお父さんに戻ってくれると信じて、吉野は父親の元に残り、そのまま、健康警察の訓練学校に入学した。

「その頃だったかな、お前のお兄さんと、俺の親父がコンビ組んだのは。」
父親は、住岡警部の事をいたく気に入ったらしく、家に帰っても彼の話ばかりだった。
そして、息子の成績が思っているより芳しくないと、父は決まってこういった。
「住岡はもっと上手くやってたみたいだぞ。」
出会ったこともない、住岡という男と比べられる事が、当時の彼にとっては、不服でしかなかった。
その結果、学校の授業をサボるようになり、素行もどんどん荒れていった。

そこから月日は流れ、いよいよ卒業も近くなったある日、吉野は今日も学校が終わり、家路に着く。
父親はまだ帰ってきてない。
最近はいつものことだったし、今はあまり顔を合わせたくなかったので、彼が家に帰ってくるまでにその日はもう自室に戻り、眠りについた。
しかし、次の日になっても、父親は帰ってこなかった。仕事が長引いてるのかと思い、念の為に職場に電話をかけてみると、衝撃の事実が発覚した。

「お父さんは、随分前に辞表を出して、退職されたよ。え、聞いてなかったの?」

「あ…そう、ですか。わ…かりました。」

簡単な質問にも答えられず、というか、事実を受け入れられず、電話を切り、その場に呆然と立ち尽くす。
一切そんな素振りが見られなかった。
いや、きっと俺は、見ようとしていなかった。
自分に都合の悪い事から逃げて逃げて、逃げ続けた結果、
父親が仕事を辞めていたことも、なんで辞めたのかも、なんで帰ってこないのかも分からないまま、時間だけが経って行った。

そして、吉野は訓練学校を卒業した。

そのあとすぐ健康警察に所属となり、
初日の現場で、彼は皮肉にも、何度も名前を聞いていた、あの男とコンビを組むことになった。

おそらく、父が当時、彼が初めて現場入りした時にくれた言葉を重ねられて。

「時に新入り…お前、現場は初めてか?」

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