シリーズ「霊の中に生きる」 No.11人の霊(11)⑦


シリーズ「霊の中に生きる」 No.11

人の霊(11)⑦

『霊によって生きるとは直覚を働かせること』

●聖書の最高の教えは『霊の中に生きる』ことです。

シリーズ「霊の中に生きる」の第11回目です。

今回も「人の霊」について扱います。
今日はその第7回目です。

『直覚の働き』

人の霊(11) - 牧師の書斎

直覚が働く場は私たちの霊の中です。それはことばにならない、無言の、重いものが潜んでいて、私たちの理解の型紙や感情や意志に対して立ちはだかります。

自分の思いを頑なに押し通すことは、直覚の働きを締め出してしまうことになります。

私たちを常に「新しく造られた者」として、いのちを与えるイェシュアの御霊が、神のみこころに従って、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです(ローマ8:26)。

霊における直覚は、そのとりなしの恵みの結果と言えないでしょうか。

直覚によって神の導きを「知り」、そして思いの霊によってそれを「理解する」という見事な例証です。

この原則は私たちにも適用できます。

そこには「知る」という霊の直覚と、思いの霊による新たな働きがあったことを証しすることができます。

直覚によって神のみこころを「知り」、その後でそれを「理解する」という経験です。

そのことを「心の霊において」(新改訳第三版)、「霊と心において」(新改訳2017)、「心の底から」(新共同訳)と訳しています。

原文では「思いの霊」です。

つまり、これは霊によって心が造り変えられて新しくされた心を意味しています。

直覚によって神の導きを「知り」、思いの霊によって聖霊の導きを「理解する」ようになるのです。

「知る」と「理解する」の組み合わせが繰り返されることによって、私たちは次第に「霊」と「たましい」の違いをより正しく見分けるようになっていくのではないでしょうか。

『知る』と『理解する』

このように霊によって生きるとは、直覚を働かせることです。何をすべきか、何をすべきでないかを直覚によって知ることができたとしても、そのことの意味を神のみこころに従って理解できないことは大いにあり得るのです。

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