シリーズ「霊の中に生きる」 No.15人の魂(18)

シリーズ「霊の中に生きる」 No.15
人の魂(18)

新しくされたキリストの「思い」
「上にあるものを思う」

●聖書の最高の教えは『霊の中に生きる』ことです。

シリーズ「霊の中に生きる」の第15回目です。

「人のたましい」について扱っております。
今日はその第18回目です。

人の魂 (2) - 牧師の書斎

【新改訳2017】
コロサイ人への手紙3章1~3節


1

こういうわけで、あなたがたはキリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。


2

上にあるものを思いなさい。地にあるものを思ってはなりません。


3

あなたがたはすでに死んでいて、あなたがたのいのち(「ゾーエー」ζωή)は、キリストとともに神のうちに隠されているのです。


4

あなたがたのいのち(「ゾーエー」ζωή)であるキリストが現れると、そのときあなたがたも、キリストとともに栄光のうちに現れます。

2節の

「上にあるものを思う」とは「神の国(御国)を思う」と言い換えることができます。

それは自分のたましいがすでに死んでいることを認め、「地にあるもの」から訣別して生きることを意味します。

そうした生き方が「霊の中で生きる」ことを意味するのです。

種がやがて花を咲かせるように、御国のうちに隠された私たちのいのち(ゾーエー)の種は、キリストの再臨とともに栄光のうちに現れるときに花を咲かせるからです。

この信仰によって生きることが、「霊の中に生きる」ことなのです。

たましいの「喜び」は、状況によっては「悲哀」に変わってしまいます。

ですから、「霊どもがあなたがたに服従することを喜ぶのではなく、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」とイェシュアが言われたことを正しく理解しなければなりません。

霊的な事柄ではあっても、目に見えることで引き起こされた「喜び」はたましいの領域であることが多いのです。

むしろ、イェシュアは目に見えないことを「喜ぶ」ことを語られたのです。

それは霊から来る喜びです。

ですから、私たちの喜びが果たして霊から来ているものなのか、たましいから来ているものなのか、見分ける必要があるのです。

見分けることを通して、イェシュアがそうであったように、私たちもますますイェシュアのように霊の領域にある感情を持って生きるようにされるのです。


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