シリーズ「霊の中に生きる」 No.11人の霊(11)④

シリーズ「霊の中に生きる」 No.11
人の霊(11)④

『目から鱗(うろこ)が落ちる!』


●聖書の最高の教えは『霊の中に生きる』ことです。

シリーズ「霊の中に生きる」の第11回目です。

今回も「人の霊」について扱います。
今日はその第4回目です。

人の霊(11) - 牧師の書斎


サウロ(後のパウロ)のダマスコ経験


2.「目から鱗が落ちる」という経験における直覚の働き

最初の例として、「目から鱗のような物が落ちて目が見えるようになる」という経験を見てみましょう。

この経験において、“直覚の機能が働いた”ことを示しています。

これはサウロの霊の中で起こった出来事です。

ダマスコにいた主の弟子アナニアが、主から遣わされてサウロのいる家に入り、彼の上に手を置いて(按手して)次のように言いました。

【新改訳2017】
使徒の働き9章17節

「兄弟サウロ。あなたが来る途中であなたに現れた主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。」

アナニアが派遣された目的は、サウロの目が「再び見えるようになるため」でした。


サウロに按手するアナニア

しかしそれは単に“肉体的な目が再び見えるということだけ”でなく、“サウロの霊の目が開かれることを意味しています”。

それは、彼の内側にあることを啓示させる働きがなされたことを示しています。と同時に、彼が「聖霊に満たされる」(「プレーソー」πλήθω、辞書の基本形は「ピンプレーミー」πίμπλημι)ためです

ここでの「聖霊に満たされる」は、外側からの力としての聖霊に満たされることを意味しています。

ちなみに、内側の満たしには「プレーロー」(πληρόω)が使われます。

事実、サウロは数日後に、「イェシュアはキリストである」ということを恐れることなくユダヤ人に宣べ伝えました。

それを聞いたユダヤ人は「うろたえた」と記されています。なぜなら、サウロが上から権威という力を着せられて、ユダヤ人が土台としている聖書を通して論証したからです。

「目から鱗のような物が落ちる」経験は内側にある直覚の働きです。

つまり、イェシュアがメシアであることを「知る」という経験です。

サウルはそのことを聖書から論証することではじめて「理解した」のですが、この「理解する」ということばは「霊と心において新しくされた」 (エペソ4:23) 部分が働いています。

つまり、霊からの指令によって新しい思いとなっているということです。ここで「知る」ことと「理解する」ことの違いを見ることが重要なのです。



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