シリーズ「霊の中に生きる」 No.11人の霊(11)③

シリーズ「霊の中に生きる」 No.11
人の霊(11)③

「直覚」とは何か

●聖書の最高の教えは『霊の中に生きる』ことです。

シリーズ「霊の中に生きる」の第11回目です。

今回も「人の霊」について扱います。
今日はその第3回目です。

人の霊(11) - 牧師の書斎


1. 「直覚」とは何か

人のからだには視覚・聴覚・触覚・味覚・臭覚といった感覚があるように、人の霊において似たような感覚があります。

イェシュアとパウロには、直覚という機能があったことを記している箇所があります。

A. イェシュアの場合
(1) 【新改訳2017】
マルコの福音書2章8節


彼らが心のうちでこのようにあれこれと考えているのを、イエスはすぐにご自分の霊で見抜いて言われた。


(2) 【新改訳2017】
マルコの福音書8章12節


イエスは、心の中で深くため息をついて(原文「ご自分の霊の中で深く嘆息してから」)、こう言われた。


(3) 【新改訳2017】
ヨハネの福音書 11章33節


イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのをご覧になった。そして、霊に憤りを覚え、心を騒がせて、


(4) 【新改訳2017】
ヨハネの福音書 13章21節


イエスは、これらのことを話されたとき、心が騒いだ(原文「霊の中で騒いだ」)。

そして証しされた。

「まことに、まことに(アーメン、アーメン)、あなたがたに言います。

あなたがたのうちの一人が、
わたしを裏切る。」

B. パウロの場合

(1)【新改訳2017】
使徒の働き 17章16節


さて、パウロはアテネで二人を待っていたが、町が偶像でいっぱいなのを見て、心に(原文「霊に」)憤りを覚えた。


(2)【新改訳2017】
使徒の働き 19章21節


・・・パウロは御霊に示され(原文「霊の中で決心して」)、マケドニアとアカイアを通ってエルサレムに行くことにした。


(3)【新改訳2017】
使徒の働き 20章22節


ご覧なさい。私は今、御霊に縛られてエルサレムに行きます。そこで私にどんなことが起こるのか、分かりません。

イェシュアにしても、パウロにしても、霊におけるある種の感覚を記しています。

つまり、霊による洞察、憤り、悲しみ、決断、捕らわれといった感覚を見ることができます。

しかしその感覚は霊によって引き起こされるもので、私たちの生来の感覚とは異なるものであることを考慮する必要があります。

イェシュアが「いのちを与える御霊」となって人の霊の中に入ることによって、人の霊は御霊とミングリングして働くようになりますが、その区別は必ずしも明確ではありません。

しかし、霊の中で生きることによって、霊とたましいの感覚の違いは段々と気づくはずです。

そんな霊の感覚である「直覚」を、以下の二つの箇所に見ることが出来るのではと思います。

一つ目の例は、サウロが回心した箇所で、彼が「目から鱗のような物が落ちて、目が見えるようになった」という経験です。

二つ目の例は、(サウロの後の名前である)パウロとその一行の第二次伝道旅行の時に、当初考えていたことを「聖霊によって禁じられた」、また「イェシュアの霊がお許しにならなかった」と彼らが感じたことです。

使徒行伝16章6〜7節

『直覚』によりトロアスからマケドニアへ(ヨーロッパ伝道へのスタート)

第二次伝道旅行 (2) 神の導きの確証 (2) - 牧師の書斎

つまり、これらの表現の背後に直覚の機能が働いていることを示しています。

私たちはこの地上の日常生活の中で渇きと祈りをもって『生命を与えてくだる霊』なるイェシュアの『直覚力』によって、強力なキリストの花嫁(王なる祭司)として新創造されていくのです。これがイェシュアの私たちに対する当初の目的でありご計画です。

三一の神はあなた方の霊のただ中におられます。


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