シリーズ「霊の中に生きる」 No.13人の霊(13)⑤
シリーズ「霊の中に生きる」 No.13
人の霊(13)⑤
●聖書の最高の教えは『霊の中に生きる』ことです。
シリーズ「霊の中に生きる」の第13回目です。
今回も「人の霊」について扱います。
今日はその第5回目です。
3. 「霊の残り」(「霊の残滓」「霊の残骸」)とその証し
●旧約聖書の預言書の最後に「マラキ書」がありますが、その中にとても不思議なことばがあります。
【新改訳2017】マラキ書 2章15節
その一体の人は何を求めるのか。
神の子孫ではないか。
あなたがたは、自分の霊に注意せよ。あなたの若いときの妻を裏切ってはならない。
この15節はどんな意味でしょうか。文脈を見るなら、2章は「祭司に対する糾弾と祭司の本来の務め」について記されているところです。
祭司たちは神から与えられた務めの道から外れ、多くの者たちをつまずかせてしまっていたのです。
そのつまずきの原因を、祭司たちが神の教えを「えこひいきをしながら教えた」からだとしています。
それは、主の教え(トーラー)を相手の顔(顔色)を見て(伺って)、都合の良いように解釈し、教えることを意味します。
これはイェシュアが弟子に対して「あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」と厳しく批判しましたが、まさにこのことが「えこひいき」に当たるのです。
神の教えでなく、人が喜びそうな教えを語ることを意味します。もし、教会でそのような教えが語られたとしたらどうでしょうか。人が喜ぶとは、人間の肉が喜ぶということです。
それはこの世の教えと何ら変わりません。使徒パウロは愛弟子のテモテに神のことば(神の教え)を語ることを命じています。
なぜなら、「人々が健全な教えに耐えられなくなり、耳に心地よい話を聞こうと、自分の好みにしたがって、自分たちのために教師を寄せ集め、真理から耳を背け・・て行くような時代になるからです。」
(Ⅱテモテ4:3~4)
こうパウロは警告しています。
祭司たちが神の教えを「えこひいきしながら教えた」というマラキの時代は、夫である者が異教の女性と新しく結婚するために、妻たちを離婚させていたようです。
そのような背景の中で語られたのが、15節なのです。
イスラエルには信仰の継承という課題があったにもかかわらず、それを無視する風潮がその時代にはあったのです。それに対する主の声が15節のことばでした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?