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はじめまして。
坂本佳奈子といいます。


うまく伝えなきゃと言葉を繕ったり
うまくまとめられず長くなりがちな私ですが
このnoteには今思うこと、感じたことを
そのまま。ありのまま書いていきたいです。
お仕事のこと。こどものこと。わたしのことを。

自分の「いま」の気持ちを。

はじめてなので
何を書こうかな。。
でもやっぱり最初は私という
人間について書いてみます。

坂本佳奈子 34歳です。

今年4月に小学3年生、1年生、年少さんになった
男の子3人のママ。

私が生まれたのは
石川県金沢市。今は内灘町在住。
三姉妹の真ん中。
上と下とはちょっとタイプが違って
おとなしくてまじめで優しい子。(って言われてた)
みんなを引っ張ってけるおねぇに憧れてた。
天真爛漫、みんなから可愛がられる
明るい妹がちょっとうらやましかった。

わたしにはとりえなんてないなー
マイナス思考だし、考え込むタイプだし。
そんな風に思ってた。

習い事。スイミングを短期でかじり
絵の教室を習ってたけど妹の方がうまくて
私なんて、、っていつも思ってた。
ピアノはなんやかんや続いていて
弾いてる時は周りを気にせず弾いていた気がする。
今も。ピアノは大好き。

小学校時代は縄跳び鉄棒が大得意。
大好きな年上のおねぇちゃんと毎日
早登校してあそびまくり。
たのしかったなー
中学時代はやりたかった新体操という部活は
あったものの違う先輩に(かっわいいの)
声をかけられほいほいと吹奏楽部へ。笑

自分の意思のなさ、弱さ。
自分の意見をいうことより
思いを突き通すより
人に合わせた方が楽だな、安心するな
って思って生きてきた。
リーダーなんて無理、
仕切ってくれてる人の言うことを
まじめにきいて動くのが楽だった。
居心地が良かった。

今思えばあの頃。
私は何者でもないし
誰の役にも立てないし
わたしにはなんにもない
能力もない
とそう思ってたから
空気のようにいれればいい。
そう思って人に合わせて生きてきた。
楽だった。

でもほんとは合わせたくなかったのかも。

自分の感情はちゃんとある。
心の中にね。
みんなだれしもがあるよ。

あるときから保育士に
なりたいなと思ってたけど
工業高校に進んだし
(部活を理由に進んだけど
 本当は憧れの人がいたからおっかけたし笑)
部活はちゃんと3年間がんばったよ?
あの厳しい厳しい先生の元
やりとげた。

工業高校なのに進学?
保育士?いやいやないねー
なんて言われながらも
自分の意見を突き通して
受けました。
そして受かりました。
受からないだろうなんて言われてました。
でもやり遂げました。

この時私やればできるじゃん、そうおもった。
高校の試験の時もそう。
倍率高めの中受かりました。
受かるためにそれなりに勉強もしたし。
家庭教師もつけてもらってたし。
(←お母さんありがと)

保育の専門の道に進んで
保育士資格もとって保育士にもなれた。

夢のお仕事。なりたかったお仕事。
自分で決めたお仕事。
こどもたち可愛いし楽しいし最高だった。
天職だって。
佳奈子さんにはこれしかないよって
保護者の方にもたくさん声をかけてもらった。
必要とされてること、すごく嬉しかった。
私にはこれしかないのかも。
これだったらみんなに必要かとされて
役に立ててる、そんな気がした。
でもでも。保育士してても
どこか満たされない自分。

ん?これでよかったのか?
これがしたかったの?って。

したかったんだよ。
好きなんだよ。
自分の意思で決めたのに。
ブレずに頑張ってきたのに。
だけどだけどわからなくなるときもあった。

なんやかんやと時は経ち。。
お腹の中に命が宿りました。
私は妊娠、結婚を機に保育士を退職することに
なりました。


やっとこ自分のやりたいや想いを叶えられたのに。
何者かになれた気もしてたのに。


ここでまた私はまたなんでもない人
肩書きのない人になるんだって思った。
肩書きなんていらないのにね。


長くなったので②へ続く。笑

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