『私のお気に入り』
〇人物表
凪真司(28歳) 会社員
壱岐波竜二(32歳) 真司の先輩
墨谷瑞希(26歳) 真司の恋人
潮見康太(28歳) 真司の同僚
磯辺課長(42歳) 真司の上司
〇回転寿司店・店内
回転寿司で寿司を食べている凪真司(なぎしんじ・28歳)と壱岐波竜
二(いきなみりゅうじ・32歳)。壱岐波、イカの皿をとる。
真司「またイカですか」
壱岐波「バ~カお前。これはヤリイカだろ。ほら、皿赤いだろ。さっきのはスルメだよ。ほら、白い皿。イカとかマイカとか書いてあるのは全部スルメだからな」
真司「へえ… 壱岐波さん、イカ好きなんですね」
壱岐波「バ~カお前。オレを誰だと思ってんだよ。仲間内ではイカの壱岐波だよ。イカ波って呼ばれてんだぞ」
真司「あ、仲間内って、会社の釣り部に入ってるんですか?」
壱岐波「バ~カお前。あれはオレが作ったんだぞ」
真司「あれ、磯辺課長じゃないんですか?」
壱岐波「バ~カお前。オレは魚じゃなくてイカ一筋なんだよ。魚目的の連中はみんな磯辺さんに任せて、オレはイカ班なんだよ」
真司「イカ班て、他に誰がいるんですか?」
壱岐波「バ~カお前。オレ一人だよ(笑)」
≪真司モノローグ≫
「バ~カお前って、今日、何回言われたんだろう… 春からこの人と一緒か…」
ヤリイカを食べ、ニヤニヤしている壱岐波。
真司「スルメよりヤリイカのがうまいんですか?」
壱岐波「バ~カお前。ヤリイカは今が旬だよ。1月から3月まで。このコリコリ感がたまらねえんだよ」
真司「へえ。イカではヤリイカが一番好きなんですね」
(♪『My Favorite Thing』)
壱岐波「バ~カお前。一番のお気に入りはコウイカだよ。もっとモチモチしてんの。ヤリイカはよ、筒状なんだけどな、コウイカはもっとずんぐりしてんだよ。頭のとこに、足の甲みたいな骨があってよ、だからコウイカって言うの。海底に住んでんだよ。ほら、イカ墨のスパゲティってあるだろ。あれはよう、コウイカの墨だからな。墨を一番持ってるんだよ。別名スミイカてんだ。(回転寿司のレーンを見て)まだ時期が早いから回ってねえけどな」
≪真司モノローグ≫
「この人と春から…」
レーンからイカをとり、真司の前へ突き出す壱岐波。
真司「え? またイカですか?」
壱岐波「バ~カお前。金の皿。アオリイカ。イカの王様」
真司「あ、アオリイカ? 王様ってことは、一番うまいんですか?」
壱岐波「バ~カお前。一番うまいのはコウイカだって。アオリはさ、刺身でも何でもいいんだけど、まあ一番は天ぷらかな」
≪真司モノローグ≫
「どうでもいいよ。お祭りの屋台のイカ焼き、ほかほかのご飯に乗せたイカの塩辛、オニオンリングかと思ったらイカリングでラッキー… これまでの人生、どちらかというとイカは好きな方だった… この人のせいでイカまで嫌いになりそうだ」
アオリイカをうまそうに食べる壱岐波。それをひきつった笑顔で見つ
める真司。
〇イタリアンレストラン
ランチのメニューを見ている真司と真司の恋人・墨谷瑞希(すみたにみ
ずき・28歳)。
瑞希「なんか元気ないね」
真司「そうかな」
瑞希「春から新しいプロジェクトだって張り切ってたのに」
真司「ああ」
瑞希「お台場の跡地になんか作るんでしょ? ディズニーランドみたいなの?」
真司「そんなの無理だよ」
瑞希「楽しそうじゃん」
真司「まあ、それはそうなんだけど…」
壱岐波の顔を思い浮かべ、ため息をつく真司。メニューから顔を上げ
る瑞希。
瑞希「歯、真っ黒になっていい?」
真司「え? 何?」
××××
イカ墨パスタを食べて唇と歯を黒くして笑う瑞希。
(♪『My Favorite Thing』)
瑞希「私、パスタの中でこれが一番好き」
〇会社・制作部フロア
磯辺課長(42歳)のデスクで課長の話を聞いている壱岐波と真司。デ
スクのカレンダーは5月7日。
磯辺「お台場の件、どんな感じ? GW終わったし、そろそろ詰めてかないとな」
曖昧にうなずく壱岐波と真司。
〇居酒屋(夜)
会社帰りに同僚の潮見康太(しおみこうた・28歳)と飲んでいる真
司。
真司「いやいや。全然企画詰まってないよ」
潮見「お台場のあんなところに相当話題になるもの作らなきゃ、人来ねえだろうな」
真司「景気いい時買っちゃったんだろうな、あんな土地」
潮見「バ~カお前って、あれ、慣れた?」
真司「慣れないんだよ。あれ、壱岐波さんの口癖なんだろうね。聞いててだんだんイライラして来るから、なるべく喋らないようにしてるんだけど」
潮見「それじゃ仕事にならないな」
真司「まあ、今のところは立地の調査をしながら、お互い企画を練ってる感じだからまだいいけど。7月までには出せって言われてて」
潮見「あと二か月か」
空いたビールジョッキを見て、
潮見「オレ、日本酒にするけど」
真司「あ、じゃ、オレも」
××××
イカの塩辛をつまみながら、ガラスのお猪口で冷酒を飲む潮見。
(♪『My Favorite Thing』)
潮見「クッ~!! やっぱシンプルだけど、イカの塩辛での飲む冷酒が最強だな」
真司「イカを見ると壱岐波さん思い出しちゃうんだよな」
潮見「あの人悪い人じゃないんだよ。癖強すぎるけど。でもさ、話聞いてると、お前のやりたいことがイマイチ見えてこないんだよね」
真司「え、オレのやりたいこと?」
潮見「まあ、そこまでいかなくても、一番好きなモノとかさ。壱岐波さん、癖強いけど、その分、その辺はハッキリしてそうじゃん。お前は凪っていうだけあって、温和でバランスとれてるけど、それじゃ壱岐波さんとがっぷり四つ組めないんじゃないかな」
真司「…」
潮見「あ、ごめん…」
真司「… じゃあ… どうしたらいいんだろう…」
潮見「いっそ相手の懐に飛び込むとか」
真司「どうやって?」
潮見「壱岐波さん以上にイカを好きになるとかさ」
真司「そんな事できるの?」
ニンマリする潮見。
〇海釣り公園
横浜の海釣り公園で釣りをしている潮見と真司。
真司「お前が釣りやるなんて知らなかったよ」
潮見「誰にも言ってねえから」
真司「会社の釣り部、入らないの?」
潮見「ああいうの、結局接待釣りになっちゃうから」
慣れた手つきで竿をシャクリ、イカを誘う潮見。
真司「こんな都内のど真ん中でホント釣れんのか?」
潮見「お前東京湾なめちゃダメだよ。毎年、この時期はシリヤケイカってコウイカの一種が釣れるんだよ。何だかんだ、この釣り場が一番好きかな。昨日も結構あがってたみたい」
堤防の地面には黒い墨の跡。それを指さす潮見。
真司「あ、これ、イカの墨?」
潮見「うん。(周りを見渡し)この堤防の人たち、この時期だいたいイカ狙いだから」
真司の竿が急に重くなる。
真司「アレ? 何かひっかかったかも」
潮見「来た来た! イカだよ。巻いて巻いて! 糸張ってないとバレちゃうから!」
海面に浮いてくるイカ。たも網でイカをすくう潮見。イカが堤防にあ
がる。
潮見「やったじゃん!」
真司「ビギナーズなんとかってやつか」
周りの釣り人の視線が集まる。
真司「なんかグロテスクだな。これ、コウイカ?」
潮見「うん」
真司「つかんで大丈夫?」
潮見「自分で餌木から外してみな」
真司、イカを恐る恐る持ちあげる。イカが真司に向かって墨を吐く。
真司「うわッ!!」
白いパーカーに墨がかかる。
〇潮見家(夜)
ダイニングテーブルにはコウイカの刺身、コウイカの醤油みりん付
け、コウイカの漁師焼き、イカ墨のパスタが並ぶ。イカ料理で酒盛り
をする二人。イカの刺身を食べビールを飲む真司。
真司「クッ!! 最高だな。こんなにイカがうまいと思ったことないな」
潮見「自分で釣って、捌いたからな」
(♪『My Favorite Thing』)
真司「あの引きが最高だよな」
潮見「イカの引きって、地味だけど、癖になるんだよ」
パーカーの黒い染みを見てニンマリする真司。
〇電車の中(朝)
つり革につかまりスマホを見ている真司。スマホの画面には横浜海釣
り公園のホームぺージ。釣果情報のページには、イカを両手に微笑む
真司の写真。パーカーの黒い染み見てニンマリする真司。
〇会社
デスクのパソコンで動画を見ている真司。動画は『初めてのイカ釣
り』。背後に人の気配を感じて振り返ると、壱岐波が立っている。
壱岐波「バ~カお前、何見てんだよ(笑)」
慌ててパソコンを閉じる真司。ニヤニヤしている壱岐波。
〇釣具店(夜)
イカ釣りコーナーで竿や餌木を見ている真司。
〇回転寿司店
イカの皿を並べてニンマリする真司。
〇真司の夢
イカを釣り上げて、瑞希が大喜びする。「イカ墨パスタ食べたい!」
いつの間にか瑞希がイカになって真司に墨を吐いている。白いパーカ
ーが墨で汚れる。
〇ベッド(朝)
目を開け、体を起こし、白いTシャツを見る。イカ墨の跡がない事を
確認して苦笑い。枕元のスマホを手に取る。瑞希にメッセージを送ろ
うと、LINEを開く。
LINE文面「おはよう 変な夢見ちゃった…」
ふと瑞希の言葉を思い出す。「お台場の跡地になんか作るんでしょ
う? ディズニーランドみたいなの…」
真司「ディズニーランド… あ! なるほど…」
〇会議室
会社の会議室。企画書を前に向かい合って座っている真司と壱岐波。
真司の作った企画書を見て、驚く壱岐波。
壱岐波「バ~カお前、なんだ『ディズニイカランド』って(笑)」
真司「ディズニーランドのイカバージョンです。イカのテーマパークですが」
××××
真司の作った映像を見ている真司と壱岐波。
≪栄三≫
ミッキ―マウスのようなイカのキャラクターが登場。
ミッキイカ「やあみんな! ミッキイカだよ!」
壱岐波「バ~カお前、これ衣装だけミッキーじゃねえか(笑)」
ミニーマウスのようなキャラクターが登場。
ミニイカ「ミニイカだよ!」
壱岐波「バ~カお前、これエンペラにリボンくっつけただけだろ(笑)」
ミッキイカ「ディズニイカランドのアトラクションを紹介するよ! コウイカのイカ墨スプラッシマウンテン! 海底と地上を激しく行き来して、最後はイカ墨がかかるよ!」
壱岐波「バ~カお前、白い服はご遠慮くださいって案内が必要だろ(笑)」
ミッキイカ「アオリイカリブの海賊! イカの海賊がアオってくるよ!」
壱岐波「バ~カお前、そのまんまじゃねえか(笑) てか、タイトルから苦しいよ、なんだよ、アオリイカリブって」
ミッキイカ「ショーも充実! 『サウンド・オブ・ミュージイカ』はイカ尽くしの感動巨編だよ!」
≪サウンド・オブ・ミュージイカ≫
(♪『My Favorite Thing』のメロディに乗せて)
♪スルメイカは塩からで~ アオリイカは天ぷらで~
ヤリイカとコウイカは~ お刺身がおいしいよ~ 剣先イカ~ 紋甲イカ~ アカイカ~ ホタルイカ~ イカはどれもおいしいけれど~
ダイオウイカは~ まずい~ だから食べないでね~♪
壱岐波「バ~カお前、誰がダイオウイカ食うんだよ(笑)」
ミッキイカ「園内のレストランはイカ料理限定! 回転寿司はイカしか回ってないよ!」
壱岐波「バ~カお前、日本酒メインになっちまうじゃねえか、オレはいいけどよ(笑)」
ミッキイカ「遊び疲れた方のために温浴施設も完備! イカホ温泉で疲れをとってね! イカ墨風呂、イカ墨パックでお肌もツルツル!」
壱岐波「バ~カお前、コウイカ、どんだけいるんだよ(笑)」
ミッキイカ「ディズニイカランドでイカ三昧の休日はイカが??」
≪映像終了≫
壱岐波「バ~カお前、最高じゃねえか(笑)」
〇会社・制作部フロア
磯辺課長のデスク。企画書をザッと見て、机に放り投げる課長。うな
だれる真司と壱岐波。
〇回転寿司店(夜)
しんみりイカの寿司を食べている真司と壱岐波。
真司「すみません、ボツになっちゃって」
壱岐波「オレは嫌いじゃねえけどな。ただ雑な部分もあったな」
真司「雑な部分?」
壱岐波「レストランや回転寿司のくだりは具体案ないもんな。ま、なくてもいいんだけどな、そうなると大義だよな。イカの漁獲量が年々減ってんだよ。だから、ゆくゆくはウナギのような高級魚になることを見込んで、先行投資するとか、その辺入って来ると課長も心象だいぶ変わってくると思うけどな」
真司、何かに気づいたように、ハッと目を開き壱岐波の顔を見る。
真司「あれ!?」
壱岐波「何だよ?」
真司「壱岐波さん、今日、バ~カお前って言わないですね?」
壱岐波、動揺して、
壱岐波「バ~カお前、忘れてただけだろ。人がせっかく真面目な事話してんのに、ちゃんと聞けよ… てかお前、いつからそんなにイカ好きになったんだよ?」
真司「いや、この間、潮見に連れられて、横浜の海釣り公園でイカ釣ったんですよ」
壱岐波「バ~カお前、オレに言えよ。もっと釣れるとこに連れてってやるよ」
真司「アオリイカとか釣れますか?」
壱岐波「バ~カお前、オレを誰だと思ってんだよ、イカ波だよ(笑) 来週の週末空けとけよ」
真司「あ、はい」
コウイカの寿司を食べる真司。
(♪『My Favorite Thing』)
真司「モチモチしてうまいですよね、コウイカ」
壱岐波「バ~カお前、これは冷凍もんだけどな。いいコウイカ釣れるとこに連れてってやるよ」
真司「ありがとうございます。あ、じゃあ、オレも釣り部、イカ班ですかね」
壱岐波「バ~カお前、調子に乗るんじゃねえよ… オレは厳しいから覚悟しとけよ(笑)」
真司「はい!」
うまそうにコウイカの寿司を食べる二人。
【完】
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