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もし、私が超ネガティブ思考だったら…今ごろは…その2

当たり前の毎日が終わる

新しい道に移る時

人は葛藤するものだ…

もちろん不安やネガティブ要素なんて

腐るほど出る
あきれるほどやるのだ

もちろん私にもあった

この先の人生の保証はもう無いわけで…

新しい一歩を歩くためには
どう考えても無謀なcafeをやる

その選択しかないわけで…

夫婦でcafeをやる
そこで食っていく

それは子育てをしながら雑貨屋で
ふーみんの安定した収入があって
のんびりやるのとは違う…

ここで、踏み切った選択をしたこと

もう既に始まる前から
後悔したくなるようなもんだw

でも、普通にあった生き方を捨てて
生きると言う方を選んだ時

私が変わらなくてはいけないのだと
思った…

悩んでいたらきっと止まる

前に向かい0~1を生み出す

そのための話し合いがあった

まわりは大丈夫か?

一人でやれるだろ?

仕事を辞める必要は無いだろう?

もちろんそういう意見の方が
多いに決まってたし

辞めないで富山にいって
仕事を続けるのなら
給料も上がると言うのだから…

でも辞めるのは
そんな理由では無いのでね…

ただ、時は進むのでね

いつまでもグダグダ言うてられないのよ

だから…踏ん張ってそこで前に…

私のせいにしてもらって良い

だから前に進もう

もう戻らないと決めたのは

生き方を考えること

生きるために今、出来ることをやること

私たちと言う生き方を
そこから始めると言う選択だった

お店の準備が終わり
オープンの時期になった頃

私たち家族3人(当時)は
3人揃って100日咳になった
(そのぐらいですんでよかったのだ…)

まわりに移してはいけないので
オープンの時期を伸ばし

3人でキャンプにいった
弓削島に…

綺麗な夜空と海で数日過ごした…

人からはなれて

大自然に身をおく

そしてそこからのリスタート♡

ふーみんのお父さんが
病床で言ってた言葉

「死んだら地元の海に散骨してくれ」

(お墓にはいる気はない
    生きてる頃に約束してた)

最後はお義母さんの意思で
お墓に入ったのだけど…

そっと、キャンプに
骨をちょっとだけもっていってた
(喉仏のほう側を持っていたので…)

お義父さんが言ってた
広島の地元の海によって

帰り道
そーっと砕けてる骨を
パラパラと撒きにいった…

お義父さんは「ありがとう」そう言ってた…

広島からの帰り道

花火大会がやっていて

途中で車を止めて花火を観た

綺麗な夜空にうち上がる花火は

私達の新しい門出を祝うようだった…

もしも私がネガティブ思考だったら…
そんな景色は観れなかったのだと…

つづく

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