神威脇温泉の歴史
こんにちは!島の温泉ソムリエ🏝♨️です。
今回は、神威脇温泉の歴史をご紹介します。
【昭和27年5月頃】
地下1メートルから温泉が湧き出ているのを発見。港湾工事の関係者が大きく掘り湯枠を入れて、露天温泉場を造る。
戦後、神威脇に入植してきた国後からの移住民によって発見されました。ちなみに、温泉が湧き出た場所の付近には、少彦名神社という神社がありました。この神社に祀られる神様は、温泉、国造り、酒造り、渡来系の神様と言われています。この神社は、移住民が入植した時には既に、神威脇にありました。
“私がこの事実を知った時、少彦名神社の神様が移住民や温泉を引き寄せたとしか考えられませんでした。”
【数年後】
男女混浴の温泉小屋が完成。
この温泉小屋は、地元の方に非常に愛されていたそうです。この頃の温泉に入ったことのある島民の話だと、温泉にはヘビが出たそう。男女混浴なので、水着を着て入浴していたようです。
【昭和51年9月】
本格的に温泉の採掘を開始する。
この温泉を保養所として利用するために、ボーリングをして湯量を安定させたそう。元々使用していた1号井と、今回ボーリングした2号井を合わせて保養所の湯とすることにしました。
【昭和53年】
神威脇温泉保養所がオープンする。
いよいよオープン。当初の建物は♨️神威脇温泉という表記はありませんでした。又、一回の温泉のみのコンパクトなスタイルでした。
【昭和57年12月】
神威脇温泉保養所増築。
二階の展望浴場が増築され、奥に広々とした休憩室も出来ました。神威脇温泉の今の建物が出来上がります。
【平成5年7月】
北海道南西沖地震による津波被害にて、建物は無事残るも源泉が途絶える。
地震による津波は、温泉付近にある屛風立岩に直撃したことで、被害は抑えられたそうです。しかし、内装の被害は大きく、源泉も途絶えてしまいます。
【平成5年10月】
余震により温泉の流れが戻り、温泉が再び吹き上がる。
奇跡の復活を遂げる神威脇温泉。
地震の影響で管理が出来なくなった、幌内の薬師神社の神様は、神威脇の少彦名神社に祀られました。幌内には地震の前から温泉が湧いており、アイヌも療養していたとのこと。その強力な神様が祀られたことで、神威脇の神様のパワーも増したのかと思われるような出来事でした。
【平成6年5月】
津波被害を受けた建物内装の工事の末、営業を再開する。
その後、神威脇に奥尻ワイナリーが出来たり、最近若い家族の移住、そして私の移住など、酒造りや渡来系の神様である少彦名命に引き寄せられている私達。
強力な神様に守られた神威脇温泉。
アイヌ語で『神様のいるところ』という意味を持つ、神聖な集落神威脇。
この歴史を知ってから、是非温泉に入ってみてください♨️♨️
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