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器用貧乏の決意

お久しぶりです。二ヶ月くらい間があいてしまった。ちょっとリハビリで日常のこととか考えたこととか、短めの文で書いていこうと思います。気負わず、てきとうに。

やたらへんなスキルが身についていく

なりゆきで10枚近くのポスターを作ることになって、付け焼き刃だけどレイアウトデザインの本を流し読みして基礎を知り、作ってみた。案外面白く、奥が深い。ちょっとしたフォントの違いやレイアウトや色の違いで印象がすごく変わる。

今回は初心者だから基礎からはみ出ずシンプルなレイアウトにすることを心掛けた。学んで作っていくうちに、きっとどんどん「型」が身についていって、ちょっと外したりすることもできるようになるんだろう。こうなるとデザインをオンライン講座なんかで学びたくなってくる。

だがちょっと待て。私は文字書きやら読書やらに時間を使いたかったのであって。デザイナーになりたいわけではない。

今年はこういうことがとっても多くて、ちょっと行動してみたら、変なスキルが身についたり褒められたりする。人前で喋ったり、ロビイング活動を齧ったり、同人誌作ったり。器用貧乏なのでどれもそれなりにできる。でも、いつも「本当に私が時間を使いたいところってどこだっけ」と思って自分を道に引き戻すということが続いている。


思い返せば昔から器用貧乏

よくよく思い返してみれば昔から器用貧乏なのだ。運動会では必ずリレーの選手の端くれになり、合唱祭ではピアノの伴奏をする。硬筆展でも写生会でも銀賞は取れる。でも、どれもこれも一番ではない。

優等生で、器用貧乏。
多分そういうひとって重宝される。便利だから。
でも、そんな自分から、脱したくてたまらない。

ひとつでいいから、熱中して、努力して、獲得してきたって思えるものがほしい。


後悔したくないから、続けてみる

だから今大事だと思っているものは、手放さずにいたい。たまに疲れたり、ほかのことが忙しくて取り組めなかったりする時もあるけれど、ずっと続くわけじゃない。その大事なことを中心に置いて、ほかのものを調整する。そんな意識でいようと思っている。

若い頃はちょっとできたって思ったり、逆に難しいって思ったりするとすぐに手放してしまっていたけれど、年齢と共に粘りが出てきた気がする。だから、モノにならなくても、みっともなくても、続けていきたい。

おばあちゃんになって人生を振り返ったとき、「あの時なんでやらなかったんだろう」って思わなくて済むように。

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