自己評価
私は放っておくと自分を低めに評価し始める。言葉の上でも、大したことないよと言ってしまう。なので、仕事の自己評価をする時は事実を書き出してから、それをじっくり眺めて、評価をすることにしている。転職活動の時は職務経歴書を「盛る」つもりで書く。自分では「盛った」つもりでも、実際は事実に近い評価になるので面接の時に話の辻褄が合わなくて困ることがあまりない。
今日は、昨年度一年の自己評価をしたのだけれど、珍しく、「私のやってきたことはこんな枠で評価できない!頑張った!私、頑張ったよ!最高に偉いよ!」という気持ちが湧き上がってきた。
当然ながら仕事上の目標は、会社の期待という特定の枠があり、そこに対してどれだけ達成できたかが問われる。紙面上の物理的な枠も正直言って小さい。小さな小さな枠を見つめながら、こんなところに書ききれないくらいの努力や我慢や「余計なお節介」をしてきた、と思った。
例えば。他の人がいくつも契約を落としている中で私だけは一つも落とさなかった。社内でも最高峰に難しい仕事をいくつもこなした。
誰よりも多い担当先を持つ中で、契約も落とさず売上も上げつつプロジェクトも回しつつトラブル対応もしつつ、全社売上達成のための企画を立てて実行もしつつ提出物出さない人の尻を叩く……なんて、今思えば曲芸としか思えないようなことをやってのけていた。
その上、自分の業務でもないのに辞めそうな社員と上司の間を繋ぐような行動までしていた。業務改善の提案もしたし、社内LGBT研修の企画もした。
ちなみにその間、プライベートでもとあるプロジェクトのお手伝いや、副業や、住宅購入からの引越しや、親へのカミングアウトや、文章書きや、資格試験への挑戦もしていた。自分で言うのもなんだが人間業ではない。
こうやって書いてみて、改めて、いろんな感情が渦巻く。
一つは、悲しさ。なんでこんなに貢献したのに、辞めなきゃならなくなってしまったんだろう。本当は、7年も8年も、働き続けたいと思っていた。それを、たったの3年で辞めることになってしまった。私自身の要因も上司の要因もあるけれど、あまりにも短く太く、生き急ぎすぎてしまった。
もう一つは、途方にくれる気持ち。私はこんな風に生き急ぐ以外の生き方をできるようになるんだろうか。幸いにも体が強いので、体調を崩したりメンタル不調になることがない。次の会社は今の会社のようなところではないと思うけれど、どうやって自分を大切にしたらいいのかわからない。
もう一つは、頑張った自分を褒め称えたい気持ち。すごくすごく、頑張ったし、独りよがりな頑張りではなかった。だからこそお客さんからは辞めることを残念だと言われ、社内では何人かの同僚に泣かれた。あなたがいなくなったら会社が潰れるとまで言われた。たったの3年で、そこまでのことをやったのだ。本当に、頑張った。
頑張って頑張って頑張って、潰れかけて、辞めることにした。それは多分自己評価が低いが故に、求められたら求められただけやってしまうし、できていないところばかり目についてしまうからなんだと思う。今日、私は頑張った!って叫びたくなったのは、押し殺された自分の叫びだった。
やっていること、できていることを見ないふりするのは、もうやめよう。
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