無垢ではない

 computer fightに加入するきっかけは、ナツイ・フェスタ・マリナというツイッタラーのリツイートだった。諦念くんが上げたドラマー募集のツイートと、サンクラに上がっていたデモ楽曲を聴いて、カッコいいなぁと思って軽薄にDMを送った。スタジオに入って「auto」を叩いて、すぐ褒められたことを今でも覚えている。2019年のことである。あれから4年半、随分と遠くまできた。

 俺にとってドラムをやる意味は、日々の鬱屈や疲弊、先細りに対する跳ね返しだ。俺の日常は矛盾している、齟齬している。俺は自分が一生懸命に仕事や生活をすることは偉いと考えている反面、そこに生じる搔痒感や鬱屈に気づいている。力一杯押さえつけられているような毎日に対するカタルシスを欲している。圧縮されて解放されるバネや、張り詰めた弓から解き放たれる矢のように。
 日々の鬱屈や疲弊を解決することなく、追い越すほどに加速して苦しむのが俺にとってのcomputer fightであった。諦念くんのギターが繋がれたアンプからは気違いじみたスピードで、引き裂くような音が迸るので、俺は出来るだけ速くて大きくて苦しいドラムをつけた。意味もなく駅まで走って目的の電車に乗れなかった時のような、あの感じ。ガセネタの荒野の一節には「終わり続ける」ことについての記載があったが、俺にとってcomputer fightはこの「終わり続ける」ということだった。拳銃のように鳴るスネアを、車をスクラップにかけたようなシンバルを俺は作りたかった。

 一方で、俺の「生活を中心としたバンド活動」は、諦念くんの考えるバンド方針や思想とズレていた、と思う。仕事をしながら音楽をする、と一言で言えば俺と諦念くんは同じだが、諦念くんがライブや休暇を使って、文化人たちと日々切磋琢磨する中、自分が語るのはもっぱら日常の話であり、文化人と楽屋をともにしてもそのような話をすることが多かった。個人的にはバンドとはチグハグな人間たちで構成されて然るべきであり、それがステージ上で同じ方向を向いているからカッコいいという持論を持っている。が、望まれる水準まで啓蒙しきれない、至れないことについての葛藤やかっこ悪さの自覚は確かにあった。俺は仕事でも自己実現をしたいという思いもありつつ、computer fightに真剣に向き合っていたが、ヨソから見ればコイツにとってバンド活動は余暇活動と捉えられていてもおかしくなかったと思う。このような思想の違いについて、諦念くんと議論を重ねたうえで、今回は脱退に至った。話し合いの最中(これが方向性の違い…本当に存在するんだ…)などと思っていたりした。方向性の違いは、ありまぁす。
 脱退にあたり、諦念くんには色々と迷惑をかけた。脱退の話が出てきた当初、俺は人知れず激昂していたし、かと思えば「舐めんなよこの野郎」とあからさまに怒り狂っていた時期もあった。俺は陰気な人間であり、おそらくこのまま脱退したらnoteで陰口を書きまくる低俗な存在になってしまう!(もうなってる!)と思い、遺恨を残さないためには喧嘩するしかないと諦念くんとはしっかり文章でやりとりした。諦念くんがそれに真摯に応えてくれたおかげで、俺も気持ちの整理がついて、脱退することがバンドをより良くしていくために必要だと納得するに至った。彼が天才から降りずに対峙してくれたことに、とても感謝している。

 諦念くんはもちろん、前メンバーの本名くん、実験くん。そして今の畠山くんと喉笛くん。みんなには本当にいろんなことを教えてもらった。それは主に文化や教養、哲学について。俺はこう見えて理系で、文系のそういった知識には疎かったので、練習後のお茶会で聴く話は新鮮で、よくメモを取りながら聞いていた(今もそうである)。まさに啓蒙の時間であり、とても楽しかった。
 computer fightは加速する。残党である俺がドラムを務めるのは、残り数回。よければみなさん、ぜひに見に来てください。そしてこれからもcomputer fightを目撃し続けてください。

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