やたらマジメな夜

 俺は今、富士そばに入って券売機の前に立ち、食欲と明日の胃袋を天秤にかけながら、悩んだ末にカツカレーを選択した。一度受け取り口に立ち寄り「あ、今ってあれか、食券って渡さなくてもいいのか」と気づいて、そそくさと空いている席に着く。座って待つ間、Twitter(現:X)を眺めては、インプレゾンビに嫌悪感を示したり、友達の面白ツイーヨにいいねをしたりしていると、店内放送で俺の食券番号が呼ばれる。呼ばれるがままに所定の位置に着くと、受け取り口からホカホカのカツカレーとアツアツのスープが出てきたので、それを受け取り、想定外に付与されたアツアツスープをこぼさないように慎重に席に戻った。
 席に戻ると、まずはイヤホンをつける。あまり褒められた行いではないが、ここには食事のマナーを説く人間もいない。そこには丼と己がいるのみである。そして、卵でとじられたカツをひときれ、ちょちょっとカレーにディップしてから、口に放り込む。ここで、イヤホンから音楽が流れる。

 当たり前だが、その曲は「富士そばのカツカレーを食べている時が幸せ」なんて歌う曲ではないし、それに類似した曲(類似した曲って何?)でもない。深夜のコンビニの店員が缶ビールを買う客に舌打ちしたり、音楽だけじゃ食べていけなくてバイトの賄い食べている曲ならあるが、まあノーカンだろう。でも、俺はイヤホンから流れたこの曲が、自分に歌いかけているようでならなかった。

 音楽は、音と言葉、リズム、その他難解な要素で構成されている。でも、俺の心、人間の心は思っているよりもずっとシンプルで実直だから、たった一小節の歌詞とメロディを忘れられないし、なんの関係もない歌詞のメロディに胸を奪われる。躍動するビートを借りて怒ることもあるし、音楽を鏡に見立てて、自分と向き合うことだってある。時には作り手の意図しない形で、救われる命もあるのだろう。大切なのは、そのときその場所で、その音楽がたった一小節でもあなたの耳元にあった、それだけなのだ。

 閑話休題、少年ジャンプ+で連載中の「ふつうの軽音部」20話の話をしよう。主人公であるちひろは、音楽部のたまき先輩に、今夏の武者修行の成果である弾き語りを披露する。ちひろが歌い始めたとその時、その曲、歌声で、たまきは昔の想い人を強くフラッシュバックする。美しい思い出と、悔恨と寂寞。サビの終わりは心の動きと合わせたかのように、これまで光を歌い続けたバンドのボーカルの口から歌うメロディが、マイナー調へと上ずる。

しあわせは 途切れながらも 続くのです

(参考:https://shonenjumpplus.com/app/viewer/ec1094935)


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