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人生最後の食事

数ヶ月前、名古屋の地下街を歩いていたら見るからにテレビの撮影クルーという風態の方から、インタヴューに答えて欲しい、と声をかけられた。

「人生最後の食事に何を食べたいか、自宅ではなくお店と料理名を挙げて欲しい」との質問。私はちょっと考えて「新宿二丁目にある韓国料理屋さんのピビンバ」と答えた。質問者は興味を持ったらしく根掘り葉掘り15分ほど詳しく質問されその挙句に「このお店はとても興味深いけど、我々は東海地区のローカル番組なので名古屋のお店で何かありませんか?」と言う。私が絶句していると「すみません、あまりに美味しそうなのでつい細かく質問してしまいました」と。

そこで今度は名古屋に来てから通っている手打ちうどんときしめんのお店の「冷たいかけきしめん」と答えた。それからまた15分ほど根掘り葉掘り質問され解放された。その数日後テレビ局のディレクターからメールが来て「とても興味深いお店なので取材を申し込んだが、取材を固辞されたのでインタヴューも番組では使えなくなった」との報告だった。

半分以上はそうなるだろうと思っていたので、それはそれで構わないとして、咄嗟のインタヴューに答えた後、人生最後の食事として「あ、あれがあった」と思い出したものがある。

品川駅横須賀線ホーム常盤軒のかき揚げそば。

常盤軒は旧国鉄時代から品川駅の複数のホームで立ち食いそば屋を経営していて、国鉄の民営化後他の駅の独立経営の立ち食いそば屋が、JR資本のチェーン店に駆逐されて行った中、しぶとく生き残った稀有な店。それも今ではJR系列に組み入れられてしまったようだが、常盤軒の名前と昔ながらのレシピは奇跡的に生かされている。

今から20年ほど前、2000年代の前半、私は仕事で頻繁に海外出張、それも治安に問題のある国々に、行っていた。当時はまだ羽田は国際空港化されておらず、出張する時は品川の横須賀線ホームから成田エクスプレスに乗るのがルーティンだった。

その時代にはもうおよそあらゆる国々に日本食のお店があったことはあったけど、それらの多くは「なんちゃって日本食」であって、地元の料理の方がよほど美味しかった。その上、危険国への出張は、何が起こるかわからないという覚悟が必要だ。実際私は過去に某国で強盗にナイフでメッタ突きにされて血塗れになったこともある。なので出発前に何か食べ納めに日本の味をとの思いがあった。つまり「人生最後の日本の味」というわけだ。

私にとってそれこそが、品川駅横須賀線ホーム常盤軒のかき揚げそば、だったのである。

常盤軒のかき揚げそばは、他の多くの立ち食いそばとはかなり違う。まずかき揚げに野菜は使われてない。桜海老とゲソのかき揚げで、とても磯臭い。そばは黒く太く、そして最近の立ち食いそばのようにキリッと茹で上げではなく昔の立ち食いそばの伝統通りブヨブヨである。つゆは真っ黒で塩辛い。関西人は食べられないであろうくらい塩辛い。常盤軒のつゆは品川駅内であっても店舗によって塩辛さがかなり違うのだけれど、横須賀線ホームの店舗は特に塩辛い。私にとってはその塩辛い横須賀線ホームの常盤軒こそがザ・常盤軒の味なのである。

私は出張のたびにそのかき揚げそばを「これが自分にとって最後の日本の味になるかもしれない」と思いながら繰り返し食べていたのだ。

それから20年、今は東京を離れて暮らしている私だが、東京に行くために新幹線で品川駅に着くと、時々ふと横須賀線ホームまで行って常盤軒のかき揚げそばを食べる。これが人生最後の日本の味になるかもしれないと思っていたあの頃のことを思い出しながら。



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