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唐辛子(とうがらし)紋

概要

唐辛子(唐芥子)/蕃椒(バンショウ)とは「南アメリカ大陸」熱帯地域原産の辛みの果実または香辛料

唐辛子(とうがらし)

日本における唐辛子の歴史

南アメリカ大陸」の熱帯地域が原産の唐辛子が、どの経緯で日本に伝達されたかは諸説あり、こうであるとは断言できない。

唐辛子に関する記述がされるのは戦国時代末期から安土桃山時代の間になる。

1.ポルトガル人宣教師が布教活動の際に日本に持ち込んだ説


キリスト教を日本に広めるために来日した宣教師。
彼が、豊後国(現・大分県の大部分)の大名である大友 義鎮に、唐辛子の種を献上したという説。
西暦でいえば天文21年1552年)ごろの話になります。

2.豊臣秀吉による文禄・慶長の役の出兵の際に唐辛子を日本に持ち帰った説

天正20年4月13日1592年5月24日) - 文禄2年7月9日1593年8月5日)に日本(豊臣軍)と李氏朝鮮連合軍の間で起こった戦争。
この折に、加藤清正日本に唐辛子を持ち帰ったという説があります。

3.朝鮮渡来説

その他にも、逆に朝鮮から伝わったとされる説などが入り乱れ、渡来の真相は定かではありません。


唐辛子が文様化するも・・・

唐辛子紋は後世まで伝わっているのは 5種と少ない。

唐辛子紋

唐辛子は辛く、当時の人達から辛さのあまり「毒物ではないか?」と認識があったようです。
当時の唐辛子の使用方法として、食用ではなく、主に温石(現在の懐炉(かいろ))のような使い方で、足の裏に使用して寒さを凌いだといいます。

唐辛子紋は渡来した当初、珍しい品とは認識されたようですが、上記の通り、「辛い = 毒物」と良い印象を抱かれておらず、自家の紋として使用するのは嫌厭されたと見られています。

家紋として「何かを祈願する」・「縁起担ぐ」など、何かしらの意味や縁として付けるのが多いです。

唐辛子紋の発生は「物珍しさや記念的な意味合い」で発生したとされ、唐辛子紋を正式に家の紋(定紋)とまでは、ならなかったようです。


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