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箱館来訪 浜千鳥

 今回の取材は、北海道の遊郭史の中でも
古い歴史を持つ函館の遊郭の調査に行って来ました。

 「はこだて」という町は、札幌や旭川、帯広、釧路……
などの様に、開拓農村で出来た町ではありません。
 明治以降に開けた都市は、中心市街地から街を設計し
計画的に出来ていきましたが、この街は、
海から来て便利のよい所に、人々が勝手に家を建て
住みつくようになり、集落が町筋となり、
町が自然と広がって行ったのです。

弘前藩(津軽藩)が編纂した官撰史書
「津軽一統志」によると、
 1669(寛文9)年には、
亀田。川あり澗あり家二百軒。
箱館。澗あたり、から屋あり。
尻沢辺村。家七軒あり。
大森。家十軒但し、から屋あり。
と、書いてあるので約35年前には
すでに集落が出来ていたようですね。

 から屋とは、出稼ぎ小屋の事で、
鰊漁で訪れる漁師たちは、漁の期間が終わると
国に帰ってしまう為、家が空っぽになる為
そう呼んでいたようです。

 鰊は、春告魚という当て字を使われることもあり、
毎年、春の3月頃に産卵期を迎える為、
日本海沿岸に押し寄せてきます。

 この時、メスが産卵した卵に、
オスが精子を放ち受精させる為
海面は、乳白色になります。
この現象を群来(くき)といいます。

 春が訪れるのは、鰊だけではありません。
漁師が沢山押し寄せる浜には、
春を売る女性たちも、姿を現します。
中には、そのまま夫婦となる男女もいましたが、
特定の相手に拘らず、春を売って商売をする
女性たちも沢山いました。

 そうした遊女の事を、浜千鳥などと呼んでいました。

 


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