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米町遊郭 解散

 昭和32年11月21日。
釧路・米町飲料組合は緊急組合総会を開き、
売春防止法の全面施行に先駆け、二ヶ月早く
廃業することを決定しました。

 それまで、米町界隈で営業をしてきた人々は
一斉に商売替えを行いたいという意見が上り、
マーケット形式による飲食店の建設構想や、
市営遊園地構想など、色々な話が持ち上がりましたが、
何れも空中分解に終わったそうです。

 結局、妓楼で働いていた女性たちは
どこへ行ってしまったのでしょうか。
米町の特飲店の中でも5本の指に入るほどの大店であった
梅島の場合は、売春防止法の話が持ち上がり、
先が見えるようになってからは、
楼主が「買い物」をすることをしなかった為、
廃業する頃には、遊女の数が半数ほどとなっており、
君代以外は、いずれも年増の姐さんだけとなっていたそうです。

 店が解散した時には、晴れて借金が棒引きとなり、
多くの女性たちは、飲食店や旅館で新たな職を得ていきました。

 君代は、といいますと
道南出身の馴染みの漁師が、船を降りて
札幌で新しい仕事を始めるというので、
一緒に札幌に行くことに決めたのでした。

 梅島の解散式は、11月27日の夜に行われました。
その日は、米町3丁目にあった組合事務所でも
解散式が行われ、君代も千代吉姐さんたちと一緒に参加しました。
「釧路ミナトとともに栄枯盛衰を続けて来たこの街にも、
三十一日限りでお別れだ。
皆さんもわれわれと共に再出発しよう。
皆さんの健康と幸福を祈る。」

 会は、米町飲食店の組合長の挨拶から始まり、
釧路保健所長、釧路警察署次席の挨拶が続き
最後に別れの酒を酌み交わしました。

 参加した誰もが、万感胸に詰まる想いで
涙酒となり、また、自由の身となれることに、
最高の喜びを得た瞬間だったのでした。

川嶋康男「消えた娘たち」より。


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