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屋台団地

 小さな小さな薄野という繁華街に、
最盛期は、200はあったと言われている屋台でしたが、
彼女たちは一体どこに消えてしまったのでしょうか。

 それは、昭和31年にから施行されるようになった
売春防止法が切っ掛けでした。

 札幌市は昭和31年から昭和38年に掛け、
計8回ほど屋台の撤去勧告を行いましたが、
屋台で働く女性たちは、この仕事を奪われると
生計が成り立たなくなってしまいます。

 昭和33年には、罰則適用となり屋台の強制撤去が
成されましたが、身を売りながら暮らす人々にとって
新しい仕事を見つけることは非常に困難なことで、
必死に抵抗が繰り返されたのです。

 なんら生活の保障もされぬままの
撤去勧告に応じる者などおらず、
しばらくは睨み合いをきかせながらも、
状況は変わらず。
むしろ、行政側の徒労に終わることが多かったのです。

 そうした状況の中、
路頭に迷う人々が出ることは、社会問題であると考え、
未使用の所有地を彼女たちに提供する地主たちが現れました。

 南5条西5丁目に土地を所有していた、ある不動産会社の社長は
27軒の屋台を引き受け「藤五横丁」と名付けました。
また、南5条西6丁目にある「五条新町」には30軒、
南7条西4丁目には18軒の屋台が移り、これらを総称して
「屋台団地」と呼ばれるようになったそうです。

 その後も行政とのイタチごっこは続きましたが、
昭和39年の撤去勧告は、強腰の姿勢だったそうで、
寺社の周りに犇めき合っていた屋台は、
遂に一掃されたとのことでした。

 更に翌年の昭和40年に、「屋台売春」第1号が検挙されました。
25歳の女性を自宅に住まわせ客を取らせていた女性が、
売春防止法により摘発され、懲役1年半、執行猶予4年。
加えて罰金が25万円。

 因みに昭和40年の物価を比較しますと、
当時の蕎麦・饂飩が、1杯50円前後。
コーヒーは、1杯70円ほどだったそうです。
現在ですと、蕎麦・饂飩の平均価格は670円。
コーヒーは、500円前後といったところでしょうか。

 これを機に、多数の女性たちが検挙されていったのでした。


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