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薄野の撥ね釣瓶(はねつるべ)

 札幌という地は、アイヌ語由来で
サッ(乾いた)ポロ(大きい)ペツ(川)
という意味で、札幌の中心部を流れる
豊平川が乾季になると渇水するので、
こうした名称となりました。

その名の通り、大きな川が流れるわりには、
生活用水を確保することが難しく、
開拓移民の人々は、随分とあちらこちらで
井戸を掘ったそうです。

こうして水の確保できましたが、
どこの井戸も夏の間は水があっても、
冬になると井戸の中が枯れてしまったとか。

近くを流れる川の水は凍結してしまうので、
人々は、鍋に雪を入れ火で溶かし、
なんとかかんとか水を確保していました。

 ところが、南3条西2丁目にあった
山形勉強堂という、(※おそらく薬局だったかと
思うのですが。)そこに住んでいた、
和田川兵右衛門という土方の親方が
井戸を掘った所、これが大変よい水が出て
しかも冬になっても枯れる事がありませんでした。

 そこで、親方はその井戸に「撥ね釣瓶」を付けて
水汲みをし易いようにしたので、近所の人々は
勿論のこと、薄野の住人や、本願寺からなど
多くの人々が通うようになったそうです。

 撥ね釣瓶とは、柱に横木を渡したその先に
重石を括り付けた物で、石の重みで井戸水を
跳ね上げで水汲みが出来るような
仕組みとなっています。

この水が、本当に良い水で、人知れず
この邸宅は、「はねつるべ」と呼ばれるように
なったそうです。

 もう一カ所、曲山(カネヤマ)という屋号の
魚屋が入った町長屋にも、冬でも枯れない
井戸があったとのことで、この井戸にも
たくさんの人々が水汲みに通っていたとか。

 2021年1月。およそ150年経った今でも、
水道管が凍結したと、あちらこちらから
悲鳴が聞こえてくるのは、
やはり、雪国の風物詩なのでしょうか。
 


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