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旦那衆と芸者衆


 尾崎天風のように、成り上がりで
花街を闊歩するようになった旦那衆もいますが、
それを支えた女性たちがいたからこそ、
花街は華やぎました。

 さて、今回は鴨々堂の建物が置屋時代だった頃に
住んでいたといわれている時丸姐さんの話しでもしましょうか。

時丸というのは、芸者さんの時の源氏名ですが、
彼女は小唄の名取だったそうで、名取の名は胡雄寿(こゆうじゅ)
と言い、妹芸者さんたちも、小唄の時の名前は、胡寿政(こすまさ)
胡満時江(こまときえ)……と、「胡」という文字を継いだそうです。

胡という文字の意味は、中国の西方の異民族を呼ぶ名なのですが、
侮蔑的な呼び名でもあったそうです。
もう一つ、「長生き」という意味があり、
時丸姐さんの名には、そうした願が込められているんでしょうか。

時丸姐さんのお師匠さんは、胡雄(こゆう)さんという方で、
東京から来た芸者さんとの事でした。

この名を引き継ぐ小唄の流派は、蓼(たで)派といい、
小唄四大流派の一つだそうです。

芸者さんから本妻になったという方もいるのでしょうが、
当時の旦那衆は、妾をかかえてなんぼといったところがあり、
中には、この狭いススキノの中に13人もの
お妾さんがいたという強者もいました。

 お妾さん同士や、本妻さんと揉めることは無かったのか?と
不思議になりますよね。

 旦那衆は、女性たちが揉めないように世話をし、
女性たちも、自分の旦那が恥をかかないよう支えるのが
互いの器の見せ所だったそうです。

粋なお方の妻になと 植えしは誰か蓼の草
虫が好いたか情けのかげに 露を命と飛ぶ胡蝶

時


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