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川西年表


1.川西年表(2018~2023年)


(1)2011年~2017年【原始期】

2011年 藤野郁哉(ふじのふみや。通称ふみえる)が関西学院大学哲学科に入学。
2011年11月23日(メーデー) えらいてんちょうの就活ぶっこわせデモ開催。
2012年 藤野が始めた関西学院大学生が経営するコーヒー屋が西宮で話題に。
2012年 藤野が神戸の元町高架下でカフェバー「リード」をオープン。阪神間の左翼運動家がたくさん集まる。
2015年3月 藤野、関西学院大学哲学科卒業。2015年10月 えらいてんちょうがリサイクルショップ落穂拾開業。
2016年6月 イベントバーエデン要町本店開業。
2016年7月 通称「中津の闘争」勃発。藤野は関西の諸左翼から激しく糾弾・袋叩きにされる。中津は解散となる。藤野は東京へ逃れる。えらいてんちょうの下で、リサイクルショップ落穂拾とえらいてんちょうの実家の弁当屋で働く。同時にエデンのアンダーグラウンドな日替わりバーがヒットし、若い人たちが池袋・要町に集まり始める。
2017年 藤野、沖縄へ。闘争に疲れたのでのんびりサラリーマンをやっていたらしい。

(2)2018年【黎明期① 関西にケプリとエデンができる】

2017年末 転生した藤野郁哉が川西に帰って来る。「難民社長」と名乗り始める。
2018年2月 川西市小花1-5-7にケプリ誕生。家賃2万円。最初はコーヒー屋として開業した。尼崎の商店街でコーヒーを焙煎して配ったりしていた。
2018年3月 かもカフェがかもカフェ扇町店という期間限定店舗を開催。
2018年3月 (旧)エデン京都オープン。店長はまよえるてんちょう氏。そのために難民社長が奔走。
2018年5月 (旧)エデン難波オープン。店長はよしだはやと氏。そのために難民社長が奔走。関西の初期エデンが揃い、人が集まり始める。
2018年7月7日 ケプリでカレーを売り始める。エデンに集った暇な人が集まって近所にビラを撒くなどしていた。
2018年8月 エデン京都にて、投資家vs起業家のマッチングバーが開催される。
2018年10月 川西能勢口藤ノ木さんかく広場にて、しょぼい文化祭を開催。各地からしょぼい起業家が川西に集まる。
2018年12月 えらいてんちょうが『しょぼい起業で生きていく』を出版。社会現象をまき起こし始める。

(3)2019年【黎明期② 関西しょぼい起業の種蒔き】

2019年2月 ケプリが子ども食堂としても稼働開始。
2019年2月 エデン尾道にて投資家vs起業家のマッチングバー開催。難民社長が100万円以上資金調達する。
2019年3月 (旧)エデン梅田オープン。店長はよしだはやと氏。
2019年3月 かもカフェが西宮市でオープン。
2019年4月 カフェバー・メメが川西市畦野にオープン。
2019年5月 川西市清和台にシェアハウス一件目を構える。
2019年5月 ベーカリー・シナノが伊丹市でオープン。
2019年7月 難民社長が誰か川西でラーメン屋をやらないかとTwitterで公募をかける。松井さんが立候補する。
2019年7月 えらいてんちょうが『静止力』『しょぼ婚のすすめ』『ネットゲリラ戦術』を出版。
2019年8月 エデン梅田にて川西麺業商品試作・試食会を行う。
2019年8月 ケプリの隣で川西麺業がオープン。
2019年9月 難民社長結婚。改姓して久木田郁哉(くきたふみや)となる。
2019年10月 かもカフェが撤退し川西にログイン。
2019年10月 スパイスカレーミルズ宝塚店がオープン。
2019年10月 エデン京都にて投資家vs 起業家のマッチングバー開催。難民社長が資金調達する。
2019年12月 川西市の隣の池田市にシェアハウスを構える。距離的に清和台のシェアハウスよりも川西能勢口に近く、川西能勢口の実店舗の経営者や従業員たちの寮にする。

(4)2020年【コロナ期開始。例外状態を逆にチャンスととらえて頑張りまくる】

2020年1月 お正月に藤ノ木さんかく広場で餅つき大会を開催。
2020年2月 コロナウイルス問題が本格化。
2020年2月 (新)エデン難波がオープン。店長はナンノ氏。
2020年4月 スパイスカレーミルズ川西店がアステ川西にオープン。店内飲食ができて、カレー粉の物販と冷凍カレーの物販を始める。レトルトカレーではなく冷凍カレーはあまり大手に参入されていない市場で、ミルズはかなりの数を売り上げた。
2020年4月 後に冷食屋を開業するマーシーさんが川西に移住。
2020年6月 コロナで学校給食が停止していた中、通常営業していた子ども食堂ケプリ宛に、寄付が増え始める。学校給食に卸すはずだった玉ねぎを数十キロ単位で貰う。
2020年9月 くきたの娘、しまちゃん誕生。
2020年9月 JR川西池田駅近くにもシェアハウスを構える。こちらも川西能勢口の実店舗の経営者や従業員たちの寮にする。
2020年12月 えらいてんちょうが『しょぼい起業で生きていく持続編』を出版。シナノや川西麺業が紹介される。
2020年12月 マーシーさんが川西市畦野にてカレー屋チャンプルをオープン。

(5)2021年【続くコロナ期。川西に人が移住し始める】

2021年2月 東洋経済オンラインで川西麺業が紹介される。
2021年3月 國屋シナノが川西能勢口にオープン。店長のヤスさんも川西に移住。
2021年3月 宝塚ミルズを閉店し、くきた直営のカレー事業を川西能勢口地域に一元化。
2021年6月 ミルズが川西市に寄付金を出し、川西市長の越田さんから感謝状を貰う。
2021年7月 川西麺業がテレビ番組「となりの人間国宝」に出演し注目される。
2021年7月 元まるみベーグル店長みっきーさん&漫画家いしいまき先生ご夫妻が川西に移住。
2021年9月 くきたが兵庫県立川西緑台高校にてオンラインで講演を行う。
2021年10月 スパイスカレーミルズが川西能勢口近辺で働く人に、カレーを大盛りにすることとトッピングを無料で提供するサービスを始める。
2021年10月 くきたがコープカルチャーで講演する。
2021年12月 川西の古民家改装プロジェクト(通称ネズミハウスDIY)開始。
2021年12月 かっぱ食堂が川西能勢口にオープン。店長のきゃめろんさんご夫妻が川西に移住。
2021年12月 シナノが伊丹から川西能勢口のケプリ裏に移転してオープン。シナノのご夫妻も川西能勢口に移住。

(6)2022年【コロナ期の終わり。人が移住、事業も増える】

2022年1月 冷食屋が川西市久代にオープン。ミルズやシナノの乾燥食品や冷凍食品を扱い始める。その後全国展開。
2022年2月 YouTuberピロヤンが川西に移住。
2022年6月 亀岡さんが川西に移住。後に川西で農業をやったりしょぼい起業の関連店舗で店番をしたりすることに。麦やニンニクを栽培しているらしい。
2022年8月 ケプリにてアンズブリトー開店前試食会を開催。ケプリが実店舗開業前の試験場として使われることが多くなる。
2022年10月 川西市畦野にてアンズブリトーがオープン。
2022年12月 神戸のメディア「Kiss PRESS」にシナノが紹介される。

(7)2023年【事業の拡大】

2023年1月 ネズミハウスDIYが完了し、くきた一家がネズミハウスに住み始める。
2023年1月 泉南市の公立小中学校の給食に、スパイスカレーミルズと羽衣国際大学が共同開発したカレーが提供される。
2023年3月 川西市内の障害者作業福祉施設がケプリにてカレー粉の製作を手伝ってくれることになる。
2023年3月 川西麺業がアステ川西二階にて大規模オープン。同時に川西麺業は法人化。
2023年3月 國屋シナノがシナノへ統合し、シナノとして法人化。シナノはパン職人も育てていたり、藤ノ木さんかく広場でキッチンカーを出したり、イベントの度にアステ川西の二階デッキで出店を出したりと、精力的に活動。
2023年3月 シナノが川西のサッカークラブFC SONHOとホームタウンパートナー契約を締結。シナノの企業ロゴがチームのトレーニングウェアに掲載される。
2023年4月 ケプリの隣にThe Velvet Houseがオープン。
2023年4月 宝塚の街を紹介するメディア「BRALI宝塚」にシナノが紹介される。
2023年5月 「SAVVY 2023年7月号」に、國屋シナノから継承・発展させたサンドウィッチが紹介される。
2023年5月 広島県尾道市にてカレー屋アモンを経営していた津田さんが川西に移住。元カレー屋経営者がカレー屋研修をしたりするプログラムも始動(ケプリの規模ではなくミルズの規模のカレー屋の経営を観察・体験できる)。
2023年6月 シナノが、eo光チャンネルのTV番組「ビタペディア」に取材される。
2023年7月 よしだはやと氏が川西で行政書士事務所を開業。
2023年7月 かっぱ食堂が「BRALI」宝塚にて紹介される。
2023年7月 くきたが羽衣国際大学にて外部講師として講義・調理実習を行う。
2023年8月 くきたが「川西市ちいかわ図鑑」を編纂。
2023年10月 くきたが豊中地域創生塾で講演する。
2023年11月 くきたが川西能勢口駅前の清掃活動(川西クリーンクラブ)を開始する。
2023年12月 川西の山の巨石を巡るツアーを開始。

(8)2024年

2024年1月 川西市の公式広報誌にくきたとミルズの社会貢献の取り組み(生活保護受給者や生活困窮者をサポートする職業体験実習など)が掲載される。
2024年1月 「ソトコト」というSDGsや社会・環境をテーマにしている雑誌に川西のしょぼい店舗経営者たちが紹介される。
2024年2月 くきたとエデン難波店長のナンノ氏がしょぼい起業をテーマに京橋のクイントブリッジにて対談形式で講演。
2024年3月 川西の猪名川で野草を摘んで天麩羅などにして食べるプロジェクトを開始。
2024年3月 「SAVVY 2024年5月号」の北摂地域特集の中でミルズが紹介される。
2024年5月 「Kiss PRESS」にてかっぱ食堂が紹介され、それがYahoo!ニュースにも掲載される。



2.各期間について

(1)2011年~2017年【原始期】

 若き藤野郁哉は哲学を学び、関西の活動家たち(主に左翼)と交わった。店自体はこのころからやっていて、活動家たちが集まっていた。藤野は関西の左翼の天下統一(!)を目指していたらしい。途中まではうまくやったけど若気の至りでやり過ぎた。えらいてんちょうに出会えてよかった!リサイクルショップ落穂拾にはえらいてんちょうと藤野ともう二人のコア・メンバーがいたらしいが、四人が四人とも有能過ぎたようで、働き過ぎて加熱し、すぐに最終決戦になったというか自壊してしまったらしい。落穂拾とその周辺のシェアハウスにはえらいてんちょうが関東の左翼をたくさん集めていて、藤野はその人たちと交流し、見分を深めた。藤野が中津でやっていたことに近いが、えらいてんちょうはそれをさらに広範囲にやる力があった。えらいてんちょうは落穂拾が解散したり藤野が沖縄でサラリーマンをやっていた期間はエデンの経営に力を注いでいた(いわゆる初期エデンで一番アンダーグラウンドな頃)。藤野にせよえらいてんちょうにせよ、いずれも初期は相当にアンダーグラウンドであった。

(2)2018年【黎明期① 関西にケプリとエデンができる】

 藤野が難民社長と名乗り始める。地元川西に戻ってきたのは、難民社長のおばあちゃんが病気になったというのがあった(難民社長はおばあちゃんに育てられた)。2018年の2月にえらいてんちょうの紹介で、梅田でかもカフェと難民社長が出会う。かもカフェが要町に行くために乗った東京行の新幹線にたまたま難民社長が乗ったりしていた(かもカフェはエデンハウス①の住人になった)。
 ケプリを育てつつ川西の藤ノ木さんかく広場で行ったしょぼい文化祭には多くの人が集まった。音響設備もしっかりしていて、ダンサー系の人もガンガン踊っていた。当時は(旧)エデン難波とエデンハウス西成というシェアハウスがあり、若い暇な人たちが集まって、大阪の西成の三角公園で演劇の練習をして、しょぼい文化祭で劇をやったりした。後のシナノの中嶋さんはこの時しょぼい文化祭にミカンの卸売業者として出店していた。
 『しょぼい起業で生きていく』を出版して全国書店回りをしたえらいてんちょうが、インターネットと実店舗を掛け合わせて社会現象を巻き起こし始め、難民社長は、『しょぼい起業で生きていく』を読んで自分も起業したいと思ったと連絡を取ってくる人のところへ行き(この頃は地方でエデンを開業したいという人が多かった)、沖縄から北海道まで飛び回り、開業をサポートした。
 この頃の川西はしょぼい文化祭のようなイベントを別にすれば、エデンよりも川西に興味がある人がちらほら遊びに来る程度だった。ケプリの店番は病み明けのおばあちゃんでもできるくらいに簡単なオペレーションにしたが、それが後々功を奏することになる。

(3)2019年【黎明期② 関西しょぼい起業の種蒔き】

 えらいてんちょうが『しょぼい起業で生きていく』を出版し、みんな手に取ってそれを読み、実際どんな感じでやったらいいのかが(頭では)分かったので、実店舗を開業したいという人が増えてきた。しょぼい起業の先発はエデンのようないわゆるシャンパンを売る虚業の店が開業していったが、この時期ではシナノのようなパン屋や川西麺業などのラーメン屋など、実業系の店が開業していった。川西の家賃がかなり安いのは有利だった(家賃5万円以下の物件でどこまでやれるかみたいな挑戦でもあった)。投資家vs起業家のマッチングバーでは川西への投資も増えた。実際、しょぼい起業をやりたい人がまずエデンにきて情報を集めて川西に来るみたいな流れはこの頃になるとそこそこ多く、そういう人たちを難民社長が拾っていった。
 難民社長は虚業は得意ではないらしく、シャンパンを売るような店はこの時も今もやっていない。人が増えてケプリが手狭になってきたので宝塚にケプリの上位互換のスパイスカレーミルズという店を作った。この頃は川西と宝塚の二方面作戦をやっていた。阪急宝塚線を毎日動いているので、自分たちのことを宝塚過激団と呼んだりしていた。
 この頃難民社長は結婚して久木田郁哉になった。おめでとう!いい人に出会えてよかった。奥さんの実家も川西にあり、ご両親は古民家で自給自足生活をやっているらしい(イノシシや鹿を獲ったり蜂を飼ってハチミツを作ったりしている)。

(4)2020年【コロナ期開始。例外状態を逆にチャンスととらえて頑張りまくる】

 コロナウイルス問題が勃発した!が、失うものがないので川西の人々はガンガン動いた。コロナ問題が確実に本格化することが見えていた2020年3月にアステ川西の地下でたまたま空きテナントを見つけ、絶好の立地だったのでそのまま契約した。川西ミルズ誕生!出資者は川西のエンジェル投資家のケンゴさん。ケンゴさんありがとう!外出自粛要請やらロックダウンやら色々あったが、カレー屋は人が足りないのでコア・メンバー(難民社長とかもカフェともう一人)はガンガン仕事をした。かもカフェは朝6時からケプリでカレー粉を作ったりしていた。
 コロナ期間中もケプリで子ども食堂をやっていると、地域の中で噂になって、色々な寄付をもらった。店番前にケプリのドアの前に人が立っていて、ドアを開けてみると、これを寄付したいと寄付金をくれることがあった。社会福祉協議会経由でも匿名で寄付金をもらった。実際学校給食が動いていなかったので、ケプリにはたくさん子供たちが来た。学校給食に卸すはずだったタマネギを農家さんが寄付してくれて、それをそのまま子ども食堂用に使った。
 こういう動きをしながら、シェアハウスや寮を整備して、川西しょぼい起業経営者たちの住環境を整えた。えらいてんちょうがコロナと相性が悪く、動けなくなったためツイートが減ったが、そうしたら難民社長やかもカフェも全くフォロワーが増えなくなった(面白い現象ではある)。そのためSNSの名前を「くきたふみや」に変更したら、ちょっとフォロワーが増えるようになった。

(5)2021年【続くコロナ期。川西に人が移住し始める】

 コロナ期でも川西はガンガン動いていて、現実でもSNSでも発信していたため、移住者や開業者が増えるようになった。これはすべてを川西に一元化した方がいいんじゃあないかということになり、宝塚のミルズを閉店した。川西のエンジェル投資家のケンゴさんの旧家が川西に移住する人のシェアハウスになったり、一旦そこに住んで自分の家を見つける、などの選択もできるようになってきた。
 この時期にかっぱ食堂、國屋シナノ、シナノ、ケプリ、川西ミルズ、川西麺業と、川西の最初の実店舗が出揃った。川西能勢口を歩いていると声をかけられたり知り合いに会うことが多くなった(もう悪いことができない!)。実店舗の仕事だけでも大変なのに、くきたは古民家改装に興味を持ち、自分で自分の家を作ることを始めてしまった(ネズミハウスDIY)。衣食住の内、食と住は自分たちで揃えられるようになってきた。

(6)2022年【コロナ期の終わり。人が移住、事業も増える】

 だんだんと共同体っぽくなってきて、さらに移住者が増えた。ケプリ周辺の共同体をケプリタウンと命名。ケプリ周辺が賑やかになる。YouTuberや、農家をやれる人も川西に移住した。
 市内の生活保護受給者がケプリで作業をするなどの事例も増えてきた。子ども食堂ケプリは相変わらず営業している。ケプリの隣が男女共同参画センター・公民館で、そこの一階の会議室を地域活動をしている大人が借りて、お金がなくて塾に行けない子どもに大学受験や高校受験のための講義を提供し、講義が終わったら子どもたちがケプリにカレーを食べにくるという時期があった。ケプリが営業していない日は地域活動をしている大人が炊飯器をケプリに持ち込んで炊き出しをし、学習のために公民館に通う子どもたちにおにぎりを配った。

(7)2023年【事業の拡大】

 シナノも事業を拡大し、商品が増え、パン職人を育て、メディアに取り上げられる回数が多くなっている。國屋シナノはシナノに統合され、シナノは法人化した。同時期に川西麺業も法人化した。川西全体が事業として一つ上のフェーズに上がってきたかもしれない。川西の実店舗がネットメディアや雑誌に掲載される回数も増えた。
 川西で開業して東京に行き、また川西に戻ってきた人もいる。また、旧エデン難波・エデン梅田店長が行政書士になってパワーアップして帰って来て川西で開業した。移住者は増え続けている。
 公立小中学校の学校給食にケプリのカレーを提供できたのはかなり嬉しかった。

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