ラッキーマン、ワンパンマン、スライム倒してでわかる努力の変化

 前の記事で儀式的努力についてはなしました。


 儀式的努力とは僕が考えた造語です。僕らは努力しようって時に本質的努力と儀式的努力のどちらかをやるります。そして、たいていの結果の出ない努力は、求めている結果に結びつかない儀式的努力になってるんじゃないか、という話です。

 努力というのを突き詰めると、「できることを速くして、できないことをできるようにすることに長い時間をかける」が正しい。しかし、ネットで流行っている努力は、元々の意味の努力をダサいと捉え、それをするだけで安心する儀式的なものに変わっている。

 僕は1991年に生まれて2020年を生きる28歳の成人男性です。ちょうどバブルが崩壊した後でSMAPが結成された年に生まれた。今思えば、その間は努力の意味がかなり変質した時代でした。

 努力といえば思い出すのが、ガモウヒロシの漫画、『ラッキーマン』に出てくる努力マンだ。

 ラッキーマン、運だけで悪を倒すヒーローを主人公にしたコメディ漫画。キャラクターの大半は〇〇マン。一部の概念やものをコミカルに強調した擬人化。そのなかの努力マンは名前の通り努力を大事にするヒーローです。最初はラッキーマンを敵視していたがあることがきっかけで彼を尊敬し、弟子になる。

 努力マンの存在は、この後に紹介する『ワンパンマン』のジェノスや『スライム倒して300年』のライカへとつながります。いわゆる、チートキャラの弟子になる真面目な努力家の系譜の雛形です。

 彼はラッキーマンのことを努力家だと勘違いして弟子入りします。彼の誤解と行きすぎた努力がギャグになっています。ラッキーマンの連載は1995年。この頃、行きすぎた努力は笑いになっていました。元々、努力マンができるまでに、1966年の巨人の星があり、そこから形を変えて笑いに昇華されている。

 つまり、この当時、暑苦しい努力はダサいよねって考えがありました。そして、『デスノート』の夜神ライトを代表する努力を必要としない天才が描かれるようになります。

 そして、2009年、ワンパンマンがWEBで連載されます。ここで、ワンパンマンの主人公のサイタマの弟子としてジュネスが現れる。面白いのが、努力マンの立ち位置の彼は全身を改造されたロボットなんです。そして、サイタマの強さの秘密を探っている。

 努力マンからジュネスになる間に、努力に対する考え方の変化があります。その変化のターニングポイントに2005年に一大ブームになったドラゴン桜が関わってます。

 ドラゴン桜が流行った裏に、効率的な努力、誰かに勝つためにどうするかという考えの移行があります。彼らが大学に行ったあとに、就職難がはじまり、脱社畜やサロン、東浩紀のゲンロンカフェに流れていきます。

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 だからこそ、ジュネスも強くなる方法、正しい努力があるはずだと考えます。しかし、サイタマはこう言います。
「腕立て伏せ100回、上体起こし100回、スクワット100回、ランニング10km、これを毎日やる‼︎!」
 つまり、普通の努力を普通にやるのが一番だと考えている。ワンパンマンのブレイクをきっかけに、『モブサイコ』の連載をはじめます。そこに描かれているのは熱狂的な時代での平熱。普通であることのよさ、すごさが描かれています。

 そして、2017年に『スライム倒して300年』が書籍化されます。ここでは弟子キャラとしてドラゴン娘のライカが主人公のアズサの弟子となる。

 彼女は意識高い系。普段はドラゴンの姿で強さを周囲に示すために魔女のアズサに戦いを挑みます。彼女に敗れた後は少女の姿になって、弟子として彼女と同棲します。

 ジュネスの時は悩める努力家は効率的な努力を求めました。それがそのまま大学生になると、彼らはSNSに出会います。これにより、普段の自分より大きな姿を持つようになる。そして、だからこそ小さなことを見逃すようになる。

 ライカが弟子入りするアズサは、タイトル通り、スライムを倒しつづけることでレベルを上げます。それが強い相手を求め続けたライカよりも強くなれた。

 そして、弟子入り後にあることに対して、アズサはライカに次のように言います。

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「頑張るって言葉をいい意味で使いすぎちゃダメ ! 」
私は社畜時代のことを思い出していた 。
今日 、無理に残業をすればどうにかなる 。
今日 、徹夜をすれば遅れは取り戻せる 。
そういう考えで何度も強引に物事を進めていた 。結果として 、何が起こるかというと 、常態的に無理を強いるスケジュ ールになってしまったのだ 。
もう結末は見えている 。
最後には私は過労死した 。
あれは一言で言えば頑張りすぎた結果だ 。
なので 、過剰な頑張りはもうやらない 。
日が暮れるまで働いたら 、もう残りは明日でいい 。

 ちなみに主人公のアズサは社畜による過労死により転生しています。これはネット小説ではよくある設定。
 『スライム倒して300年』の連載がスタートしたのが2017年。ドラゴン桜がドラマ化してから、10年以上経っている。つまり、視聴者だった子供は効率的な努力で受験戦争を終え、社会に出ているんです。そこに頑張った結果、望んだものが手に入らなかった。しかし、そこからどうするかとなると。彼らには努力しかなかった。だからこそ、スマートに見せかけてじつは努力として結果にならないものになっている。
 『スライム倒して300年』の1巻はそういった努力の歪みを指摘しています。

 受験戦争、ネット、就活によって、努力に対する価値観の変化があります。これは努力の結果やゴールがどこに向くかによる変化でもあるし、努力がどんな形に変わったかでもある。
 そんななかで多様な悩める努力家が現れる。しかし、それに対しての答えは小さなことを継続的につづけるではないだろうか。

 

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