抽象を抽象化する。薄くなりすぎたアイスコーヒーはアイスコーヒーじゃない。

 Midjourneyという画像生成をやってくれるAIがあるらしい。


 Twitterでいろんな人がこれを使ってつくった画像をあげている。あの忍者スレイヤーもこのAIで画像をつくっていた。

 僕としても、趣味で描いてる小説に挿絵や表紙が必要になった時に使いたいと思っているところだ。

 しかし、便利な技術が出てきたことで、今後どのような影響が起きてしまうかが心配だ。

 容易に想像がつくのは、いらすとやが大学や企業での発表で当たり前に使われている現状のように。今、イラストレーターに発注している仕事をAIに任せてしまうということだ。

 また、どんなに素晴らしい絵を描いても、ある一定水準の絵をあげるAIと比較されてしまうことも問題だ。初心者のモチベーションの低下につながる。

 ただ、この問題は些細なもので。もっと深刻な未来は、画像生成AIの絵で溢れた世界で、AIは何を参考に画像を生成するのか、ではないだろうか。AIは無から画像をつくっているわけではない。今、この世界に存在する既存の絵から画像を生成している。つまり、このAIが普及してアーティストの筆が折られてしまえば、AIは基となる絵を失い、学習できなくなるかもしれない。

 そうした時、なにから学習をはじめるのか。
 それは過去に自分が描いた絵からである。それは想像に難くない起結だ。

 そうすれば、起きてしまうのが抽象の抽象化ではないだろうか。AIの画像生成は既存の複数の画像からの平均化であり、抽象化だ。それは学ぶ対象があるからこそ成り立つものであり、それがなければ抽象の抽象化につながる。

 空腹のタコが自分の足すらも食べはじめる様を想像するのは杞憂だろうか。

 モアイ像で有名なイースター島の文明が衰退した原因は、木の伐採だそうだ。豊かな自然があったはずの島国は、先住民たちが木を切った結果、衰えていった。
 彼らはなぜ木の伐採を止められなかったのか。シャレド・ダイアモンドの『文明崩壊』によると、伐採によるスピードは彼らの歴史で見るととても緩やかなもので、彼らが最後の木を切ったときには、この島が自然豊かだったことをだれも知らなかったそうだ。

 Mid journeyの画像生成もこうした未来につながるかもしれない。

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