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しあわせの伝承

あけましておめでとうございます。2021年の幕開けです。
2020年は、どなたにとってもさまざまな想いの残る1年になったのではないかと思います。願わくは、2021年は、いい思い出がたくさん残る一年になりますように、そんな思いでお正月を迎えました。

よしえ食堂ができるまでということで私の半生を振り返りながら、毎週月曜日に更新しています。今日は年頭にあたり、思うことを書いてみようと思います。

2020年お正月


母「今年のおせちはどんな感じ?写真、見せて」
そう言われて、撮ったばかりのスマホの写真を見せました。
母「う〜ん、なかなかいいんじゃない?!」
そう言ってくれたのが大晦日の夜でした。
「私は先に休むから、よい年越しをね。」と
そう言って滅多に撮らない写真に孫たちと一緒におさまって、床につきました。
考えてみれば、これが母と顔を合わせての最後の会話だったと思います。
母とは、毎年一緒におせちを作っていたのですが、今年は体調がすぐれないからと、おせち用に食材や添える南天や葉蘭、満両やゆずりは、塗りのお皿などを揃えて、義妹に託していました。それでも、50を過ぎた娘が作るおせちが気になっていたのでしょう。それを見届けた数日後、急逝しました。母は、元気に家を出て美容院に行った帰り道、自宅のすぐそばで倒れてそのまま旅立ちでした。
今年のおせちを作りながら、毎年毎年母と作っていたおせちのさまざまなことを思い出しました。

そう言えばと思い出して、母が書いていた『おおいたの経済と経営』に連載していた「M Y W A Y」を読み返してみました。おせちのくだりに、「来年から、娘たち家族、息子家族も、それぞれの歴史を作るために、正月はそれぞれで過ごしなさいと伝えました。」という一行を見つけました。

私は毎年作るおせちの写真を撮っていたはずなのに、2012年くらいからしか見当たらなかった理由がわかりました。それまでは、実家に頼るお正月だったのが、その辺りから、「我が家のお正月」になったのだと、今さらながらに気づいたのです。
母は天国から、今年の私のおせちをどんなふうに見ているのでしょうか。

食卓の風景


母の旅立ちは、本当に急で思いがけないものでした。最後に電話で話をしたのは亡くなる2日前でした。未だに後悔していますが、最後の会話は喧嘩というか私が母を叱るというか、諭す話でした。
私「こんな厳しいことはね、娘の私しか言えないと思うよ。」いつもなら、
「そんなこと言われなくても、私が一番よくわかってる。」と反論するのが母でしたが、その日は
「わかったよ。そうだね。」
と、素直にうなずいてくれたのです。急に、母が小さくなったように感じて、心に引っかかったのです。
そんな、翌々日でした。謝ることも、やさしいことばも、かけることもないままの別れでした。
その頃の私は、すべての占いなんてあてにならない、すべてが想定外で、弔いの行事は次から次へとやることがあって、悲しむこともなく日々が過ぎる、そんな年明けでした。

母が亡くなり、連日実家で合宿のように、私たち家族、弟たち家族と一緒に過ごします。5人の孫のうち4人が大学生となると、一緒に食卓を囲んだのは遥か昔の子どもの頃の光景です。思いがけず、その食卓は笑いが絶えず、和気藹々として、しあわせそのものでした。遺影で参加の母でさえ楽しそうに見えるのです。「こんなに毎日毎日、笑っていたら、ご近所の人は驚くよね。」そんな会話すらもご馳走でした。
そんな時、決まって小学生の姪が「みんなで食べるごはんは、しあわせだねぇ。」というのです。母からの最後のプレゼントは、この食卓の風景なのかもしれないと強く思いました。

昨今は、子どもは、習い事や塾にと忙しく孤食。お父さんも仕事が忙しくて孤食。そうなるとお母さんも孤食になって。独身の人、独居の人も増えて、世の中は孤食の風景ばかりです。当然、誰かを思いやって作るごはんではなく、自分の食べたいものを食べたいときに、コンビニや、ファストフード、スーパーの中食などが主流になるのは仕方ないと思います。
でもね、一緒に囲む食卓のしあわせ感は何者にも変えがたいものがあります。ご馳走がなくても、一緒に囲む食卓がどんなに人をしあわせにするものかと、母が教えてくれたと思います。

2021年お正月
毎年、おせちを親族や友人たちと一緒に作ります。作りながら、わいわいおせちの由来から、作り方、その年の反省から、新しい年の抱負まで、おせちの風景には、そんなことも含まれます。もちろん、餅つきから始まる一連の行事は、もち米が蒸しあがる香りから、おだしの香り、しいたけの炊ける匂い、煮〆の匂い、外の空気の冷たさや、雪が舞っている風景、そんなすべてを五感で感じながらの食の記憶になるのだと思っています。
このお正月は、大晦日のお天気が大寒波ということで、31日には例年ほどバタバタすることもなく、紅白歌合戦の時間には完成していました。
「せっかく俺たち3人揃っているから食べようよ」と、長男の提案で、おせちを食べながら、お蕎麦を食べながらの年越しになりました。
いつもはバラバラで、揃うことなんて滅多にない3人の子どもたち。
もしかしたら、母が亡くなったときのしあわせな食卓の風景は、長い間、しっかりとこの子たちにも根づいているかもしれないなと思ったのです。
「おせちなんて、食べるものないよね。」
「今年は、一口チャレンジで、少しづつ食べてみるか?」なんていうわけです。
人の苦労も知らずに、おそるおそる箸をつけます。
毎年変わらないものばかりなのに、まるで初めた見たかのように。
「私は、作らないよ。なっちゃん(姪っ子)に作ってもらうから大丈夫!」なんていう娘。
そんな会話もおご馳走だと思うのです。

しあわせの食卓の風景
私は、このしあわせの食卓の風景を伝えていきたいと思っています。
おせち作りも、その風景の伝承のひとつです。そこで感じる味わい、その謂れ、そしてその香りや、風景、会話、すべてを含めておいしい食卓、しあわせの食卓なのだと思っています。決して、豪華でも、お洒落でも、ハイセンスでも、インスタ映えするものでもなくていいのです。
料理が苦手だと思っている私ですが、そういう食を伝えることは得意だと思っています。だから、今年は思いっきり、そんなしあわせの食の風景を伝えていきたいと思っています。
伝わるといいな。みんなが食でしあわせになってくれるといいな。そんなことを願って今年を進んでいきたいと思います。

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