老害の思い出話

自分がかみやんという名前で活動を始めてからどんなことがあって今に至るのか、記録に残したくなったので記事書きます。

シャドバについてはまた別で書きそう。

ポケモン期

今自分がネット活動を続けられているのはこの時期があったからに違いない。自分にとってとても大切でとても思い出深い時間だった。

初めてのオフ 第1回真皇杯関西予選

かみやんという名前で活動したのが明確にどの時期かは覚えていないがその名前を本当に名乗り始めたのは第1回真皇杯関西予選の時だったと思う。自分にとって初めての対戦オフで、真皇杯という大きな大会を知って何となく出てみたくなった。この時はネットに知り合いなんてほとんどおらず、リア友と一緒にオフに行ってた気がする。そんな中でも前日とかにちょっとだけリプを送りあって当日も仲良くしてくださった方がいたことを鮮明に覚えている。名前をここでは出しませんが本当に感謝しています。結果は多分5-6とかな気がする。まぁ戦績よりも雰囲気を知れて良かった。


レート シーズン9 

なんかよくわからんけど勝ったシーズン。
最高&最終レート 2172 最終6位
まじでなんで勝ったのかわからんけどゴツメガブが強かった。
記事読み返したけどこいつめっちゃアホそう


2度目のオフ 関西シングルフェスタ

オフ会の楽しさを知って、次は半年後ぐらいに開かれた第6回関西シングルフェスタに参加。その時の予選ブロックはそこそこ名前の売れてる人が多かった記憶がある。その人らに1年後可愛がってもらえるようになるなんて思いもしなかった。結果は5-2で予選抜け、決勝T2回戦負け。誰に負けたかもしっかり覚えてるしその方とは今でもFF。そんなに話したりしないけど。とにかく勝てて嬉しかった。オフの雰囲気にも慣れてきつつあったり、オフ会場は別に調べなくても最寄駅を知ってればそれっぽいオタクについて行って到着できるという豆知識を得た。

このオフ前のシーズンで最終レート2172.最終6位だったためそこそこ自分のことを知ってる人がいたりするかなと思ったけどそんなことなかったし一発屋って本当に何も記憶に残んないんだなってなった。この辺りから勝ち続けないと意味ないっていう考え方が染み付いてきてた気がする(雑魚だから無理なんですけどね)



3回目 第2回東海シングルフェスタ

そしてまたその約半年後、年末あたりだった気がする。自分にとって最も転換点となったオフ、東海シングルフェスタに参加した。(第2回真皇杯が転換点説あるけど多分これがないと真皇杯も勝ってないし、そこまで有名になれなかった。)
この時同じブロックで戦った人たちと今後一緒にポケモンをしていくことになる。今思い返したら公園で髪切ってもらったり家泊めてもらったりめちゃお世話になってる。
確か記録は6-3で3竦みになってじゃんけん負け予選落ち。ゲンガーで催眠打ってウキャウキャしてたし落ちて当然キモすぎ地獄に落ちろ。
ちなみに当時高校2年生17歳だったかみやんはこの時初めて新幹線に乗った。(ぼっち)

確かこの辺りがレートでいうS13で、一応ここからS17までの5シーズンの間は2100に乗り続けたからある程度は勝ち続けていたんだなと思った。


4回目 第3回東海シングルフェスタ


その後再び東海シングルフェスタに参加。この時勇気を振り絞って前回一緒のブロックだった人に声をかけて一緒に会場入りをお願いしたらokしてくれた。この頃まだぎこちなかった気がする。でもなんかこのオフに関してはオフの最中の記憶が一切なくて、一緒に会場入りしたことと、初の2次会(記憶では7人)であんま知らないチャラい人がタバコ吸いながら大はしゃぎしてびっくりしてた記憶しかない。でもこの後ちゃんと仲良くなった。

ここら辺から通話窓が発足し、毎日集まってポケモンするようになる。gggさんと知り合ったのはこの辺りで一緒に窓作って勝とうぜ〜〜!なってた。彼悪名高いけど自分にとっては恩人。彼と知り合ってなかったら多分今ネットで活動してない。と思う。多分。
あと夏休みに毎日5時とかまで起きて大富豪とかしてたのめっちゃいい思い出。本当にこの時が人生で一番楽しかった。

5.6回目 第2回真皇杯

その後第2回真皇杯予選がスタート。第1回よりもより大きな規模で開催され、全国各地の予選上位2名+オンライン予選上位6名で20人ぐらいが本戦進出権を獲得できる。
中でもオンライン予選は6度開かれ、そのうち2回での最高成績が反映、合計ポイントが高い上位6名が選出されるという形式だった。(伝われ)

初オフ参加だった第1回とは違い、今回は勝ちたいという思いで参加を決意。
この時レートでは序盤から上位をキープし続け、最速で2100到達など勢いもあり、かなり調子が良かった記憶がある。
関西予選、東海予選、オンライン予選と3つの予選に出場し、
結果は
関西予選…決勝T1回戦敗退
東海予選…勝てば決勝Tのところで負けて予選落ち
オンライン予選…8-0.7-1で本戦進出

となり、無事に本戦進出となった。
未だに本戦出場を決める試合で最後襷ゲンガーvsガブの対面になって凍える風外さなきゃ勝ち!ってお祈りしてたら相手の岩石封じ避けたの覚えてる。(凍える風当たったから関係ないけど)


そんなこんなで迎えた真皇杯本戦、初めての東京遠征ということもありめちゃめちゃ緊張していたし、東京よくわからんから東京実家があるリア友を引き連れて夜行バスで向かった。(夜行バスも初である。)
確か1日目は観光して、2日目が本戦だった気がする。
それで1日目の夜にレート潜ってたら本戦出場者とマッチングしてお互いに連絡取り合い、初手降参したのは鮮明に覚えてる。(しかも本戦で本当に当たっちゃった)

2日目の朝寝坊しかけたけどリア友に起こしてもらって場所も調べてもらってギリ到着。
エレベーターで有名な人に会って話したけど同い年だったことにびっくりした。向こうも俺が老けてるから同い年って聞いてビビったらしい。

そんなこんなで本戦が開始し、予選ブロックは6-1で2位通過。
決勝Tはダブルエリミネーション方式であったが無敗で勝ち進み、決勝戦。
2連敗以外は優勝であったが、対戦相手は唯一予選で負けてしまった人で精神的に辛かった。何よりもここまでの大舞台にこれたことは人生で初めてだったしとても多くのギャラリーが現地に来ていることも知っていた。人生で一番プレッシャーを感じていたような気がする。

そんな中全てを破壊したガルーラの冷凍パンチ。
振り返ってみれば本当にクソ試合だが嬉しすぎてたまらなかった。
自分の名が界隈に知れ渡り、無事に顔もフリ素として知れ渡ったのである。

2次会では共に調整をしてくれた人たちと焼肉を食べ、大いにはしゃいだ。焼肉屋でds取り出してバトルしてた。

ちなみに第1回真皇杯でゲームフリークの増田さんがサプライズ登場したこともあり、もしかしたら会えたりしないかなと思ってたけど無理だった。無念。


レート シーズン14

最速2100は到達したものの、その後環境の変化についていけず、レートは伸ばせなかったような記憶がある。
まずめちゃパーティ弱そう。


レート シーズン15

シーズン15、最高レートは2170とシーズン9に達成した2172を越えられず歯痒い思いをしていたことは覚えている。2100後半を超えた嬉しさよりも悔しさしかなかった。後このあたりから一緒に調整していた人から2200が出るようになったということも悔しさの要因になってる。
でもなんかこのあたりから強い構築を強く使う的な思考になってきてる気がする。


7.8回目 あめオフ&シングル厨のつどい

真皇杯から期間が開き、久々の東京遠征。確かゴールデンウィーク。
連日オフということだったので参加。真皇杯優勝の次に出た初めてのオフだったため周囲の反応の違いに驚いた記憶がある。みんな自分の顔知ってるし、向こうから声をかけられるしでスゴイ戸惑ってた。
結果は
あめオフ...予選抜け(戦績おぼえてない) 決勝T1回戦敗退
シングル厨...9-0 1次予選抜け 2-3 2次予選敗退

ぼちぼち。
gggさんの家に泊まってめちゃはしゃいでた。あとすっぴんのお母さんの顔見ちゃった。
あと翌日高校の体力テストでシャトルランがあったから制服と体操服もって東京行って、始発で帰って直で高校に向かった。dsと大量の着換えを高校にもっていってるの頭おかしい。

あとここでの決勝戦及び3位決定戦は自分がポケモン対戦を見ている中で一番面白かった記憶がある。上の人らはこんなこと考えてんのかこのゲームくそおもれーーーーってなってめっちゃテンション上がってた。


レート シーズン16

最高レートを更新するも2186でストップ。2200チャレンジを大きなプレミで逃した。当時通話裏で泣いていた記憶が何となく残ってる。2200行きたい一心で死に物狂いでやってた。2200いくぜ!とかいうテンションじゃない。
あまりのショックに翌日学校休んだ。


9.10回目オフ 背伸びオフ&第5回東海シングルフェスタ

お前は名古屋の人間かいって言いたくなるぐらい東海地方のオフばっか参加してる。通話窓のほぼみんな東海住みだからこうなっちゃう。
あと背伸びオフが身内が開いているオフだったため軽くスタッフを任された。なんか問題起きたら報告してっていうだけだからマジで軽く。何もしてない。

オフの結果は
背伸びオフ...5-2 予選抜け 決勝T3回戦敗退 ベスト8
東海シングルフェスタ...予選落ち

背伸びオフで使った構築なんだかんだ今までの構築で一番好き。
ラティアスが可愛い。

余談だけど3次会のカラオケで口から泡吹いて倒れた人(ばっこり身内)がいて救急車沙汰になってて2日目のオフくそどんよりした雰囲気でやってた。一生みんなで心配してた。


レート シーズン17

第6世代最終シーズンとなったシーズン17はより特別な気持ちで臨んだ。
目標はレート2300&1位。2200目標は2200には届かないと思ったからこうしたんだと思う。でも本気で2300目指してた。
結果は最高&最終レート2230、最終3位。
目標達成とはならなかったが初の2200とそこから2勝できたこと。そして1,2位が同一人物であったことからこれは仕方がないと思えた。

最終順位発表は昼だったため、高校のトイレの個室でこっそりスマホを開いて順位確認したの覚えてる。


その後受験があったのと第7世代に移行したため一旦ポケモンから離れた。
あと彼が炎上して通話窓が焼失した。



あと7世代からはほとんどやれてなく気づいたらシャドバやってた。
確か復帰したシーズン2は2100行ったけど溶けて終わった。


http://kamiyanpoke.blog.fc2.com/blog-entry-82.html


サンムーンもそこそこオフ出てたけどあんまり覚えてない。
立ち回り甘め様と対戦したことは覚えてる。

まとめ

今でも鮮明に覚えていることがたくさんあるぐらい超楽しかった。
通話窓の人らとは今でもごくまれに通話したり観光旅行する仲だから本当に宝物。多分ここでコミュニティに入れてなかったらシャドバも一人でやってたんかなぁって思う。
関わってくださったすべての方々に感謝。

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