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競走馬や人の為に働く馬が最後に行き着く場所

とてもつらい事ですが、ありのままを書きます。
先日、肉にするための馬の肥育牧場を特別に見学させて頂きました。ここは引退したり適正に合わなかった競走馬、破綻した乗馬クラブやふれあい牧場、事情があって飼育出なくなったペットとして飼われていた馬や、人間の為に働いた農耕馬など、行き場を失った子たちが最後に行き着く場所です。日本各地から引き取られた馬はここで一定期間飼育され、食肉センターで屠畜、肉にされます。

私は以前、動物愛護センターでの犬・猫の殺処分現場を見学させてもらいましたが、そこで感じた禍々しさは意外とありませんでした。山の中のあまり広くない敷地、清潔とは言えない環境は予想通りでしたが、馬たちは穏やかで優しく、とても落ち着いています。奥の馬房にいるのが新しく入った馬で、手前の馬房に移されるたびに命の終わりが近付いていることになります。これは愛護センターのシステムとよく似ています。

現役時代に使われていた馬具が束になって置かれていました。特に今は乗馬クラブの馬も多く引き取られていると聞きます。競走馬を引退して牧場に引き取られ幸せな余生を送っていると思われた馬たちも、病気になったり高齢で死期が近くなると、歩けるうちに肥育牧場に連れて行かれる事も多いのです。馬は非常に大きな動物なので、牧場で死んだ場合には埋葬に大変なお金がかかります。勝手に穴を掘って埋める事も法律で禁止されています。むごいようですが、このような肥育牧場の存在は仕方のない事なのです。

ここから馬を購入する事も可能です。「セラピー乗馬てくてく」さんでは、2頭のポニーを引き出して飼育されています。和歌山のトイトイファームさんをはじめ、全国各地で競走馬を引き取る牧場の動きが始まっています。また、このような肥育牧場の飼育環境を改善することも必要です。

私は動物と関わる以上、一度はこのような肥育牧場を実際に見ることが必要と感じていました。同行された馬主さんも同じ想いだったことでしょう。これから馬を飼育したいと思っている方は目を背けずに、この馬たちの姿を見て現実を知って頂きたいのです。

※ 肥育牧場の名称、場所、連絡先につきましてはご質問にお応えすることを差し控えさせていただきます。

先日Facebookに投稿した「肉にするための馬の肥育牧場」に反響があり、たくさんのシェアとコメントをいただきました。 肥育牧場とは、引退したり適正に合わなかった競走馬、破綻した乗馬クラブやふれあい牧場、事情があって飼育出なくなったペットとして飼われていた馬や、人間の為な働いた農耕馬など、行き場を失った子たちが最後に行き着く場所です。ここで一定期間肥育され、肉にされます。 馬たちの最期について、胸に刺さる内容のコメントが寄せられました。これは多くの方の目に触れるべきだと思いましたので、投稿されたご本人の了承を得てここに転載させていただきました。
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日本は馬にとって最悪な国です。私は北海道の農家に生まれ、農耕馬に助けてもらい大学まで行かせてもらいました。でも用が無くなった馬を助けて上げることが出来ませんでした。50代で僧侶になり、競馬→乗馬→引退した30歳のサラブレッドと、肉にされる寸前に助けたポニーとラバの姉妹の3頭を引き取り世話しています。寿命まで生きる馬が僅か1%。そんな国でいいのですか?イギリスには馬の火葬場、馬の墓地があります。ヨーロッパは馬を粗末にしません。日本も戦国時代は馬を大切にしていました。南部曲屋では人と馬が同じように屋根の下で暮らしていました。開拓時代の北海道では馬も家族でした。馬の命を「消費」するようになったのは戦後の「競馬ブーム」からです。だからJRAと馬主には最後まで馬を飼育する責任があります!JRAは自らの金で養老牧場を作る責任があります!因みに、馬は亡くなると「産廃」です。勝手に埋葬してはいけないことになっています。でも私は家畜保健所とケンカして、ペットという理解で埋葬を認めさせました。最初に引き取った国体障害飛越で不滅の7連覇した名馬「金峰号」は今も馬場の一角で眠っています。
宮崎和夫さん
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オーストラリアでもこの様な流通経路有る事がニュースで取り上げられ大きな反響が起きた事例が有ります。豪では沢山の一般人が引退競走馬を引取り自宅やBarnで飼われていますが、とても生産数に追い付きません。 僕が知る世界的なクリニシャンとの会話の中で、彼は"競馬が好きな人を馬好きとは信じない"と仰っておられました。 この様な現状を見る度に怒りしかこみ上げて来ません。 非常に残念です。
Kurosawa Tomohiroさん
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流鏑馬(やぶさめ)をやっていたとき、そういう牧場でも流鏑馬の馬を飼っていたので、私もよく行きました。 性格が荒々しかったり、腰が悪くなった馬には、乗馬はできないので、そういう故障の馬や、性格が荒れてる馬は牧場に送られてきます。 三か月くらいたくさん食べさせて太らせてから市場に出します。 その中に、調教してみて流鏑馬向きの馬がいると、流鏑馬の馬にしていました。 流鏑馬は神経が図太いくらいの馬じゃないと勤まりませんので、たまに良い馬が送られて来るのです。 牧場の子は、馬に愛着がわくといけないから、馬に名前をつけたり可愛がったりはしないと言っていましたね。 馬的には、今まで乗馬クラブでこき使われていたのが、何もしないで餌だけは沢山くれるから、住み良いいい所だなーと思っていたかもしれません。
佐竹怜香さん
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難しい問題ですね。 私は高校3年間乗馬をして、卒業してすぐに、北海道に渡り競走馬の育成牧場に入りました。以後、育成牧場から繁殖牧場まで、毎日、馬と共に18年間生活しました。 その後、観光乗馬の牧場でも4年働きました。 競走馬の世界は厳しいですが、私がいた育成牧場でも繁殖牧場でも、いる間は大事に飼育し、治療も最善を尽くし、駄目なときは早めに安楽死をさせたりしました。それでも苦しむ馬の最期は壮絶で、時に苦しんで暴れる事で人が怪我をすることもありました。 競走馬の牧場の場合は、死ぬ事を前提で、馬房や馬屋の出入り口を大きくあけられるようにしています。 残念ながら、乗馬の牧場では観光目的で、そこら辺の配慮が出来ていないため、馬房の中で死んで死後硬直が始まって足がビンと伸びた馬を出す為には馬屋を壊すか、馬を解体するか・・と言う事もありました(結局は何とか、入り口を少し壊すだけですみました。) 私の経験上でも、やはり最期まで看取る事は乗馬クラブや一般家庭では相当難しく、法律上死後の処理を考えれば、この様な牧場に送るしかないとなるのだと思います。 日本は残念ながら、馬が居ると言うと「珍しい」と言われてしまう。それほど馬との接点がない世の中なので、すべての馬を救う事は難しいのかなと思います。 また、乗馬になっても残念ながら、足が悪くても具合が悪くても、暑くても人を乗せ続けて、使うだけ使って歩けなくなる一歩手前で肥育やすぐにと殺に出される子もいる。 長く馬の世界で生きてきましたが、正直どうすれば良いのだろうか・・といつも思ってます。 せめて自分が出来ること、競走馬時代の時は6頭を乗馬調教(今はリトレーニングと言う言葉がありますが、私がやっていた時はまだ再調教でした)して、乗馬時代の知り合いに繋げたりしました。そして今は和種馬保存で、縁あって道産子を一頭飼ってます。 全てを変える事は、相当難しいと思います。でもこうやって現実を見てfacebookにあげてくださった事で、それを見て感じて思ってくれる方々が沢山いて、少しでも一頭でも救えたら、ちょっとずつでも、明るい未来が馬達におとずれるのかなと、思ってます。
田中真澄美さん
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5年間乗馬倶楽部に所属していて、ある調教施設で2年3ヶ月働きました。そこで見てきた馬の扱い方、私にとっては疑問が多く、やめました。 馬房で安楽死を受けた馬を何度か見てまいりました。 紐をかけて引きずり出せないので、小型のブルドーザーにクレーンで釣り上げて載せて出しました。その際馬体が傷つき、見ていられないほどでした。その後施設に運ばれていきました。 その反面、脚が真逆になる程の骨折で痛みに耐えられないほど暴れて立てない馬を何故か生かしていて、点滴以外する事もなく、ずっとずっと2週間ほど苦しみ抜いておかしくなった馬もいました。 包帯を巻いた脚からは鮮血が流れ続けていました。 安楽死すると決めるまで、現場スタッフもなんにもやる事無かったので可哀想にと撫でてやることしか出来なかった。 あまりにも哀れで哀れで、思わず近寄るな危険と言われていたのを忘れその馬を抱きしめたとき、頭を下げて私にもたれてきました。あの重みと暖かさが忘れられません。何度も撫でてやりました。生きられない事がわかっていたので、やっと安楽死が決まり、りんごもにんじんも好きなだけやりました。 しかし、聞いていた日より1日早まって、朝行ったらビニールがかぶせられていました。 なら、何故はやくらくにしてあげなかったのか! 三年前のはなしですが、ようやく今怒りと悲しみで話す事ができました。
Rie Kitayamaさん

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