折られた背もたれとアメリカン

 

 この前、行きつけのバー(なんてものがオタクの私にも何故かあったりします)でほけっと座っていると、年上の知り合いが「そういえば子供の頃、アメリカンタイプの自転車ってあちこちで見かけたけど本土復帰と同時になくなったねえ」というお話をしてました。

「アメリカンタイプ・自転車」でイメージ検索すればすぐ出てきますが、アップハンドルの長い奴で背もたれがあって、本当に「イージー・ライダー」が出来るというか、まあ、アメリカンツアラーごっこが出来る自転車という奴です。

 で、思い出したのが20年ぐらい前、那覇市の界隈を走りまわっていたいかにもヤンキーな中学生たちのこと。

 ママチャリをむりやりアップアハンドルにして溶接で延長したものに、同じく溶接か針金でくくりつけたとおぼしい背もたれを着けて、太い鉄筋を曲げたそれに分厚いベニヤ板を張り付けて「ベガ連合」とペンキの手書きで大書されていた自転車を漕ぐいかにもボスらしいのと、その取り巻き数名。

 自転車は当然アメリカンバイクじゃなくて、族車の代用だったんでしょう。

やたらめったら走りまわり、車の陰だろうが赤信号だろうが無視して飛び出してきて奇声をあげながら走り去っていくだけでしたが、噂じゃご多分に漏れずカツアゲだのなんだのをやっては走り去っていったそうで。

 私はせいぜいスクーターに乗りながら「あぶねえなあ」と見かける度に思う程度でしたが、「あ、そろそろあかんかな」と思ったのは、見かけるようになってから二年ぐらいたったあたり、彼らが那覇のとある場所にまで粋がって暴走自転車ごっこを始めた辺りでした。

 実はその辺は今でこそ温厚な住宅街ですが、昔は「や」の付く自営業の人たちが経営するお店や氷屋さんがいくつもあって(今は再開発で見る影も無く住民も入れ替わりましたが)暴対法施行で堅気になったものの、当時はまだ気性の荒い(←穏当表現)オジサンたちが名残惜しく住んでいた時代だったわけです。

 案の定、一週間後、近くの川に「ベガ連合」と書かれた背もたれパーツがへし折られてヘドロに突き刺さり、その近くに見覚えのある自転車が突っ込まれておりました。

 風の噂では案の定、そういうオジサンに怒られて、粋がった挙げ句の果てにボコボコにされたそうで。

 以後、ベニヤ板の背もたれつきの自転車を見ることは滅多になくなりましたが(もう『ベガ連合』の彼らではありませんでしたし、彼らほど長く走りまわることはありませんでした)、しかし、なんで「ベガ」連合だったんでしょうか。

 ストリートファイター2がブームだったのはその時期より少し前で、当時の中学生にはピンと来なかった筈なんですが。

 それとも、小学生だった頃のイメージだけで着けちゃうセンスの持ち主だったんでしょうか。

 真相はもはや知るよしもありませんが。

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