子宮・妊娠・生理にアイデンティティなどないのだ

刺激的なタイトルである。
でも実際にそうなのでそう書いている。

私は子宮があるので女性であるが、私の人格に内臓は関係ないと思っている。臓器と自分を切り離している。
動物にはみな大腸があるが、人格と大腸は関係あるだろうか。人格は心臓は関係あるだろうか。いや、ないのである。
もし臓器に不全があったら環境も変わり人格に影響が出るかもしれないが、それは臓器が直接的に人格に影響を与えているわけではもちろんないのだ。

なので、私は別に子宮があるから、女性として…母として…妻として…とか思ったことはないし、女の子は大変なんだぞとかもあんまり思っていない。
単純に子宮という臓器が割と大変な臓器であることのみを意識している。
子宮という臓器は大変特殊な臓器で、トラブルを非常に抱えがちなので、困っているというという認識はある。あくまでただの臓器の一つなのだ。女だから困っているんじゃない、内臓に不全があって困っているのだ。

生理痛とかも普通に、内容物を輩出するために急激に収縮するから起こる現象だとわかっている。それは、辛い物を食べたら腸が刺激されて下痢するのと同じで、単に現象である。
なので、生理が来ても妊娠できる体になって女として一人前だねおめでとうとかもないのである。なぜなら臓器なのであるから。臓器に何かが起こっても自分には何も起こらないのである。
”女”だから困難を抱える時というのは、むしろ対男性において、女性という属性により社会的に不利な状況におかれるときのみである。私の属性は女だが、肉体は別に女じゃなくて子宮があるだけなのである。
わかるかな言っている意味!?

子どもを作り出せるのは、子宮という特定の臓器のみである。
この子宮という特定の臓器は、ほかの臓器にはありえない、なんと一人の人間を生み出すことができるという超特殊能力を持つ代わりに、それに全振りしすぎていて、トラブルを多発させる。
そしてさらに、これに関連する女性ホルモンにより、日常生活を狂わせるのである。
まあでも仕方ないよね、生き物だもんね。生き物は子孫を残すことが重要であり、子孫とか関係ないから個体が幸せに生きる、みたいな概念が生まれたのって本当にここ数百年の人間の価値観だからね。変わるわけないね。たぶんそもそも動物的には日常生活が~とか言ってるのがそもそも間違いなんだろう。でももはや私は今までいた生き物とは異なる個体の幸せを追求する生き物に変貌を遂げてしまったのでもうそんな事実受け入れないけど…。

不妊治療というのは、この子宮をダイレクトアタックでいじるんだな、と不妊治療の日記を見ておもった。
そりゃそうである。子供を生み出すことができるのはこの臓器のみなのだから。
不妊治療は、とにかく物理的に、この子宮をぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃいじるのである。やばい、地獄じゃん!
経口で薬飲むとかじゃない。
特定の臓器を、器具やら薬やらで物理で色々ぐちゃぐちゃかきまわすんだよ。つらいに決まってる。
みんなも毎月病院で目玉をほじられたらいやでしょ!?

まあそういう訳で、子宮という存在にアイデンティティがある思われていることにより、内臓への負荷といういう実情が見えにくくなっている気が日々しているので、こういうことを書きました。

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