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(web魚拓文字起こし記事)4階について

この記事は、肥土泥炭 さんのnoteシリーズ「小麦と白粉話」のweb魚拓(https://character-sheets.appspot.com/insane/edit.html?key=ahVzfmNoYXJhY3Rlci1zaGVldHMtbXByFwsSDUNoYXJhY3RlckRhdGEY66ylwQUM)から、同タイトルの実話怪談記事を文字起こししたものです。特に例の件とは関係なく、だから創作怪談になりました。創作怪談です。






 ────じゃあレコーダー回すね。

「あい。よろしくお願いしゃす」

 記録されると聞いて背筋を正して、正し切れなかったという態度に、まぁ緊張しないで、いつも通りでいいからね、と苦笑する。

 某喫茶チェーン店にて、彼の前には半ば以上飲み終えた甘夏のジュースと、こちらは食べ終えたスパゲッティの皿があった。
 昼ご飯をまだ食べていなかったようで「話す前にこれだけ食べさせてください」と黙々食べる彼に、アイスコーヒー一杯でなんとか食らい付いた、戦いの跡だ。

 Y君は大学の一つ下の後輩で、夏場以外はライダージャケットというのだろうか、重いジャンパーを羽織ってカブを乗り回している。

 最初はバイクを購入するまでの繋ぎにするつもりだったそうだが、今はラフなバイカースタイルで原付の、それもカブを乗り回すというのに一種の美学を感じていると話してくれた。

 ちなみにY君は垂目童顔気味で、なんというか世の女性諸氏の庇護欲をそそるのではないか、モテるんじゃないかとは以前訊いてみたが、「モテたりモテなかったり、まぁその時 流行ってる俳優とかによりますね」と、恋愛の結構ドライな需供関係を知る羽目になってしまった。

 髪型は若者らしく金髪だったり茶髪で、毛先こそワックスで尖らせているが、全体にヘルメットの形に丸まっていて愛嬌がある。

「俺、昔からマンションからマンションに3回くらい越してまして。その2回目に一瞬住んでたマンション……。

 まぁ古いマンションだったんですよ。

 つーかまぁ普通に治安悪かったですね。たとえばエレベーターの中でタバコ吸うオヤジがまぁ~……3人はいましたね。顔ぶれが」

 語るY君の顔は渋い笑みで、冗談めかしてはいるが、嫌悪心……おそらくは住居という、子供の力ではどうにもならない事情で、住んでいたくないような場所に押し込められていた、そうした無力感のようなものを吐き出しているように見えた。

「親もできれば住みたくなかったみたいで……結局小学校の半ば2年……はいかないくらいで引っ越したんです」

 ────それは今回聞かせてもらえる、『おかしな話』絡みで?

「あーいやいや、そっちは全然関係ないんですよ。

 心霊現象があって嫌になったから引っ越しましたーとかそういうんじゃなくて……。

 たぶん、前のマンションから引っ越してきたのも、親父が会社で何かやらかしたっていうか、もしかして一回クビとかになってたのかもしれないですね。

 家の中もすごい空気悪くて、一週間で喧嘩してない日がまぁ~一日あったかどうかってくらいで。

 俺はそういう喧嘩みたいのがあったら、すぐ自分の部屋に引っ込んで音楽とか聴いてたし、今もわざわざその頃の話聞いたりしないので詳しくはわからないんですけど。

 なんでまぁ、治安悪いとこのマンションに賃貸で住まざるを得なくなって、ちょっと住んでたけど、引っ越せるようになったらすぐ引っ越した。そういう事です」
 

 ────つまり、Y君にとってそのマンションは、かつて2年弱住んでいた、いい思い出のないマンション……という『だけ』、だったんだね?

「そうなりますね」

 先を促すと、少し煮え切らないような、落ち着かない態度で甘夏ジュースを一口、二口。

 三口。啜るのを待つ。

「…………四月の半ばでした。その日は、大学でレポート提出して。なんというか前日までレポート書いてた流れで何も考えず図書館行っちゃったんですね。『もうレポート出したのに来ちゃったよ』ってウケましたね。まぁ笑い顔してても変なんで、内心でですけど。

 回れ右して帰るのもなんなので、そのまま最初からその気だったみたいな顔でパソコンのスペースに入って……別に調べる事もないのでグーグルアースでその辺見てました」

 ────マップじゃなく、アース?

「そっす。あ、そうです。あのー地図がペーパークラフトみたいになるやつ。道路とかは平面で、ビルとか高速道路とかは相応の高さで立体的になるやつですね。あれで大学とマンション辺り……。

 今住んでる方ですよ。その実家から大学も通ってるんで、それでまぁ、グルグル見てたんですよ。近所を。おもしろーって。

 それで、ある程度回ったら『そうだ、昔住んでたマンションも見てみよう』ってなったんです。

 まぁ、なんて言うんですか。昔は大きく見えたものも大人になってから言ってみたらこんなだったかー! って小さく見えたりするじゃないですか。ああいう……?」

 ────いい思い出はない所だけど、それも含めてグーグルアースで見て、大した事なかった、って思いたかった?

「んー……まぁ、そういう事なんだと思います。

 それでまぁ、『ああこの道通ったなー』とか『あそこのラーメン屋また看板変わってら』とか……。

 あったんですよやたらラーメン屋が入るけど潰れる店。っていうか建物? 呪われてるんですかね。そういう所ってありません?」

 なんとなく覚えがある。ラーメン屋の設備を含めた居抜き物件なんじゃないか……といった本筋から距離のあるやり取りを、その後も何度か挟んだ。
 きっと心の整理が必要なのだろう……と根気強く付き合っていると、よしなし事の話題も尽きたのか、話はいよいよ核心に迫った。

「それで──それで例のマンションを通りがかったんですけど。マップ上で。

 こう、寝かせたL字を空に向かって引き延ばした形の……面白みのないマンションですよ。日焼けしたベージュみたいな、なんとも言えないもっさりした壁で。

 手前側……L字の頭の方ですけど、そっち側に階段があって、その前にゴミ置き場があって道路があって、って形で、Lの短い方がエントランス? っていうんですけん。オートロックで開閉する扉と、いつもブラインド降りてる管理人室、その隣にエレベーター。

 あー……いやグーグルアースでそこまで見えた訳じゃないですけどね。もちろん。流石に撮影車入らないですよ。俺の記憶です。グーグルアースで見る限りは、まぁ、特徴のないL字の豆腐ですよ。

 だったはずなんですよ。

 それで、見てたら……3階と5階の間に、こう帯みたいにぐるっと一周、なんて言うんでしょう。ビルの補修とかする時に、防音とか防塵とかの布巻くじゃないですか。白っぽい。ああいうのが巻かれてたんですよ」

 ────3階と5階の間? 4階ではないの?

 そう訊くと、彼は「あっ」という顔になり、そうでしたそうでした、と何度か口にした。

「すみません、前提抜けてましたね。……ウチの……そのマンション、すごく古いって話したじゃないですか。まぁ実際にはオートロックとかあるんで、歴史あるって程でもないんでしょうけど……。

 それと関係あるのか分からないんですけど、そのマンションには

 4階がなかったんですよ。

 あくまで表記の話ですけどね。

 昔母ちゃんにもなんで? って聞いた事あったと思います。そしたらまぁ、その時は機嫌悪くなかった、っていうか良かったんでしょうね。普通に『日本人には4って数字が縁起悪いから、古い建物だと抜かす事もあるんだ』って教えてもらって、フーンと思いましたから。

 だからエレベーターのボタンも下から開け、閉めのボタン、1、2、3……。

 5、6、7……。

 で、7階が一番上だったんです。実際は6階建てですけど、まぁ、ラッキーセブンでそれっぽいですよね」

 それっぽい、という根拠はよく分からないが、全6階の建物から、縁起が悪い4を抜かして、縁起が良い7を入れる、というのは、縁起を担ぐ人からすれば善い手に思えるのかもしれない。
 念の為スマートフォンのメモ帳を取り出し、テキスト図を入力して確かめておく。

 ⑦⑥⑤③②①階 表示
 654321階(実際)

 ────この……③と⑤の間に工事の帯が巻かれていた、という理解で間違いない?

「そっすそっす」

 ⑦⑥⑤■③②①階 表示
 654■321階(実際)

 ※■ 白い・工事用の防音布?


 上も3階分、下も3階分あったから間違いないと思います。と補足され、なるほどね、と口にした。

 奇妙な話だ。

 いや、奇妙な話に聞こえる、というのが正しいか。普通に考えれば工事しようとしているのは③階と⑤階の間のスペースという事になる。
 だがそういった場合、それこそ③階の天井か⑤階の床から入るのが道理というもので、わざわざ建物の壁側面に工事用の布をぐるっと一周巻きつける、というのが合理的な処置なのかどうか、素人には判断しかねる。

 それで、とY君は妙に大きく聞こえる声で続けた。

「それで……なんていうか、その4階の間隔っていうか……スペース? がちょっと大きく見えたんですよ」

 ────大きく?


「はい。①階と②階……は作りが違うんで……①階ってちょっと高いんですよね。だから参考にならないとしても、②階と③階、⑤階と⑥階、⑥階と⑦階の間隔と比べて、今言った③階と⑤階だけ……どうだろう。1メートルくらい、長いんです。

 ちょうど、その布の分くらい」

 不意に、話が途切れた。

 何かを、すぐ何かを言わなければ、という予感が支配する長い数秒が過ぎ──ピッチャーを持って客席を巡回している店員さんと目が合ったのを幸い、勢いよく手を挙げて、水のお代わりを頼んだ。

 そんなに水が欲しかったのか、と少しばかり呆れられたような気がしなくもない。

 気付くと甘夏のジュースをとっくに空にしていたらしいY君も、俺もお願いします、と続けた。
 入れてもらった冷たい水を尻目にまだ残っているアイスコーヒーを飲むのも変なので、透明な液体を喉に流し込んだ。
 口の中の酸いような苦いような、きっとコーヒーの残滓が洗い流され、少し頭がすっきりしたような気がした。Y君の顔を見る限り、彼も遠からず、という所だったようだ。

 そういえば、Y君は何階に住んでいたのか、と質問すると「俺は⑥階ですね。つまり、一番上の⑦階から一個下です」と答えた。

「まぁ、で、俺もその時、その白い帯を見て────そんな『変だ』とは思わなかったんですよね。というか、正直に言うと『秘密みつけた!』くらいにテンション上がってました」

 ────秘密?

「つまりあのー……これ笑わないで聞いてほしいんですけど。

 秘密のフロアとか……

 マンションの管理人の愛人の為のフロアとか……
 
 そういうのなんじゃないの、って」

 ────ははは。

 思わず笑ってしまった、という体で、彼と「だから笑わないでって言ったのに!」というやり取りを交わした。
 だが、内心では『それはあり得ないんじゃないのか?』と……考えていた。

 マンションやビルの高さはおよそ3メートルで統一されている。各階 床と配管の為のスペースを差し引いて、平均的な居住空間────部屋の高さは2.5メートル前後になる。
 デザイナーズの建物であればともかく、古いマンションでその原則を大きく逸脱するとは考えにくい。1メートルほどの追加スペースがあり、上下から最大の幅50cmずつをその架空のフロアの為にやりくりしたとして、高さは2メートル……もないはずだ。
 たとえ配管剥き出しでも、床と天井の高さが、他ならぬそのフロアの住人の為に必要なのだから。そんな独房めいた空間に愛人を────人間を住まわせる人間などいるだろうか?

 いるとしたら。
 

「まぁ、そういうアホな想像もあって、テンション上がっちゃって。ちょうどレポート終わったしバイトもないし、今日行っちゃうか!って。電車ですぐ向かったんです。

 そこはまぁ……原付では遠い、って程じゃないですけど。

 近くに美味いメシ屋とかあるとかならともかく、ただ散歩に行くにはダルい距離でしたから。最寄りが普通に快速とかも止まる駅な事もあって、電車で行っちゃいました。

 『親父も通勤の時この風景見てたのかなー』とか考えながらね。電車に揺られてね。

 ……いやウソです。普通にスマホで何かネタ記事とか読んでました。
 
 確か、会社の物置が依頼とかしてない業者に解体されてたとか、そんな記事だったと思います。あ、知ってます? そうそうそう……結構ヤバいっていうか……ブラックな後日談ついてましたよね。アレ。俺も友達に教えてもらわなきゃ知らなかったと思いますけど。

 まぁ……その日は普通に読んでたんですよ。

 いやなんか……普通に恥ずかしいな。言わなきゃよかった。

 でもこう、流石に二駅前くらいになるとね。なんとはなしに昔住んでた町の……なんて言うんでしょうね。匂いっていうか……。ああ、よく知ってるとこに近付いてるなー……って感じがして、スマホもほとんど見てなかったです。

 それで駅から降りて、そんで買い物に駆り出されたスーパーとかの店先見て……ってあの、マンション着くまでは別に何もなかったので、省略していいですか?」

 ────いいよ(笑)

「はい(笑) 俺も別にこういうの……なんですか。日常の何気ない風景って言うんですか、面白く語れればいいんですけどね。

 そんでマンション前のゴミ置き場──もう見た瞬間思い出しましたね。嫌なエピソード。

 朝の三時とか四時とかにですよ? めちゃくちゃ金切り声で『プラスチック入ってるー!』とかね。叫ぶおばさんがいたんですよ。

 プルァァスチッ クハイッテルアァーーーー!! エェーーーー信じらんナアァァァァァァ!! (※実際には小声で、しかし迫真の抑揚再現と顔芸付き)

 もうそういう感じのヤバさで。人の出したゴミ袋開けてそういう事するおばさんがいたんですよ。実際顔合わせたわけじゃないんでね。顔はこれ想像ですけど。でもイントネーションめっちゃ似てると思いますよ。時々通報されて警察とか近隣住人とも言い争ってたぽいです。

 そんでもう萎えまくって帰ろうかな~ってめっちゃなってたんですけどね、やっぱりあったんですよ。

 白い布が。下から数えて3階と4階の間に。

 グーグルアースで見た時よりなんというかちょっと劣化してそうっていうか……なんだろう。白いは白いんですけど……雨とか風とか……PM2.5とか? あと花粉とかで汚れてるんですかね。

 あ、日光で劣化する。そういうのもあるんですね。

 まぁ予想してたよりはツヤみたいのがなくて、でもたぶん固定はしっかりしてるんだろうな、って思いました。マンションとか高い建物っていつも風吹いてますし、その日も別に無風ではなかったですけど、ほとんど動きがなくてピチっとしてて。

 うわーっ あったよ……って。

 それで実際見て確認してみたんですけど……やっぱりちょっと長いんですよね。他の階と……階の間隔より。1メートルくらい。

 当時は……住んでた当時はですけど、全然気付きませんでしたね。そういう、なんですか、余分な長さがそこにあるっていうの。

 周り結構マンションとかオフィスビル? って言うんですか? 何入ってるのか全然興味ない感じのビルが結構建ってるとこで……。

 遠目からだとその白い帯がぐるっと一周してるのも以外とわかんなかったですね。ほんとマンションのゴミ捨て場から見上げてようやく『あ、何か巻いてるじゃん』って感じだったし……まぁ人って普段案外上見て歩かないっていう事なんでしょうけど。

 それで……まぁここまで来たんだから、その近くまで行ってやろう、と思ったんですね。
 それまで知らなかった4階が改装中なんだったら、③階か⑤階から業者が行き来してるはずだって思ったんです。階段は1階の所で鍵かかってますけど、普通の……そうそうシリンダー錠で。

 なんで階段は無理なんですけど、正面玄関からエレベーターへの通路はオートロックで開けられるんで……いや違いますよ。宅配装うとかヤバじゃないですか(笑)

 あのー、オートロックって電卓みたいなボタンがついたパネルで部屋の番号押して、で『呼出』押して上の人に開けてもらうか、同じくパネルについてる錠のとこに鍵挿して、回したら扉がウィーンって開くやつじゃないですか。

 あ、すいません最新のがそういうシステムかはわかんないです。そこはそうでした。

 でもそれとは別に裏コマンド? パスワード? みたいのがあって、例えば『呼出』押した後で数字4つ押して、もっかい『呼出』押すとオートロックがウィーンって開く、

 みたいな。そういうのがあったんですよ。

 鍵忘れた時用のやつなんですかね? まぁ俺も昔住んでた頃にそれ知ってたんで、それで開けて入っちゃおうって。まぁ……十年近く前のパスなんで、変わってたらそれでアウトだったんですけど『こんな所だし、どうせ変えてないだろ』って。

 それでまぁ、昔取った杵柄じゃないですけど、そこそこリラックスした気分で普通に正面玄関行って、パネル前行って。

 ボタン押しました。

 で、最初はダメだったんですね。さっき『呼出』押して番号押して『呼出』押して……って適当言ったんですけど、そういうのって指が覚えてて勝手に押すもんなんで……俺はですよ? いざ思い出そうとすると、その順序が思い出せなかったんですね。スマホのパスワードとかも口頭で何番って言おうとすると『あれ?』ってなりません?

 パネルにはシャープとか……あの『米』みたいな記号、ワイルド検索の時に使うやつ。(注記:「*」と思われる)ああいう記号もあってちょっと『あれ最初に押すのどれだっけ』って思っちゃったら急にこんがらがっちゃって。

 それでもね、4回くらいやってたらウィーンって。

 オートロックが開きました。

 おっしゃおっしゃって思いながら入ったら、エレベーター待ちしてるオジサンがいたんです。

 それで俺ちょっとその時『あれ?』って思ったんですけど、思ったんですけど何がおかしいのかよく分からなかったんで、そのままオジサンの後ろに並んで、エレベーターを待ちました。

 と言っても6階建てなんで……おっそいエレベーターですけど、たぶん一番上からでも1分かかんないですよね。途中で止まらなかったら。でも待ってると長いですよねああいうの。

 なので、前に立ってるオジサンの後ろ姿を、別に見たくなくてもなんとなく見てたんですよ。

 黒にグレーの細いラインが入ったスーツ着込んで、ちょっと薄くなった髪もキッチリまとめてるんですけど……全体的に安っぽいというか……ペラい感じしましたね。

 『古いタイプのオヤジなんだろうなー』とか、なんとなく嫌悪感? って程じゃないですけど『いるよなぁこういう人』っていうか……全然知らない人ですし、勝手にそういう事考えるの失礼だって、頭では分かってるんですけどね。なんとなくそういう気持ちでいました。

 まぁでもこのマンションに住んでる人間だったらあんまマトモじゃないっていう偏見もありましたね。正直。

 それで、エレベーターが1階に来る直前に『キュッ キューッ』ってワイヤーなのか何なのか、そういう音が鳴って。そういう所も昔のままだなーと思ってました。

 それでまぁ、あんまり印象よくないのもあって、っていうか人いるとちょっと後ろめたいですよね。なんでオジサンの顔見ないように、見られないように、さっと乗り込んですぐ⑤階のボタン押して、すぐ閉めるボタン押しました。上から下の形で帯を確認しようと思ってたんで、最初から⑤階を押すつもりでした。

 ちなみに上がる時は『キュキュキュッ キュイーッ』みたいな音出るんですよ。エレベーターのワイヤーから。

 オジサンの方見られないんで、エレベーターのボタンの方ばっかり見てました。緑色の『開』と黒い『閉』があって、1、2、3……。

 5、6、7…………。

 やっぱり『4』無いよなぁ、と思いながら。⑤階に着いたので、

 着いたと思ったので。急いで降りたんです。それで。

 それであれっと思ったんです。

 オジサンより先に乗ったのに、5階のボタンしか光ってなかったって。だから着いたと思って降りたのに、じゃあオジサンは何階に行くつもりだったんだよって。

 振り返るとオジサンがいて、エレベーターの中にいて、壁の方を向いてて。

 そのままドアが閉まりました。

 ヤバってなって、すぐまた前の方を見ました。だって、そのまま見続けてて、もしエレベーターが上がりも下がりもしなかったら、

 …………あの、

 …………普通に考えたら疑われてるって事じゃないですか。

 勝手に入ってきたやつが、住人じゃないやつがどこに降りるつもりなのか確かめるつもりなんだって。そういう『疑いをかけられてる嫌さ』とかだったら理解してもらえると思うんですけど。

 実際にはそういう事じゃないですけど、まぁヤバって思ったんです。それで前向いて……。

 マンションを断面で言うと、L字なんですね。さっき言いましたよね? エレベーターとその前にスペースがある所が、こう、L時の短い辺の方で、それで左手側、Lの長い方に沿って廊下があって、ドアが並んでて……右側はもう壁と手すりがあって外でって。

 そういうのが上にも下にも並んで見えるじゃないですか。

 なかったんです白い帯が。

 見た所、この階と、上の階。この階と下の階の間隔も一緒くらいでした。

 俺はそのまま。

 前向いたまま。

 右手でガチャガチャやってエレベーターの下行きボタン押して。

 普通に開いて、一歩、二歩、後ろ歩きで入って、『閉める』押して1階押して。

 後ろにいるかもしれないオジサンの方絶対見ないようにして。

 それで『キュッ キューッ』って音が鳴って思い出したんですけど。

 このマンション、エレベーターの中でタバコ吸うような住人が何人もいたって話したじゃないですか。だから中の壁とか蛍光灯カバーとかにヤニの色ついてて、じんわり臭いんです。
 1階に近付くワイヤーの音を聞いて、そういえば最初乗った時、この臭いしなかった、と思って。

 もうドア開いたら走って出て、オートロックを内側から開けるボタン押して、扉押して。
 また走って。

 その時ずーっと。

 ずっと一つの事だけ考えてたんです。

 あれは4階だった、あれは4階だった、あれは4階だった────」

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