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季節限定・もし平均明日くらいに世界が終わるとしたら(2個入り)


・夏

 夏は影が濃い。夜であっても。
 年中変わらない白く明るい屋内から、空の端に赤く残照が主張し、やがて途切れていく、だろう、という予感を見ていた。
 カップの底に残った細かな茶殻を眺めながら、そういえば紅茶占いというものがあったなぁ、などと思い出す。スマホで調べてみようか。占いは好きな方だと思う。けど、自分の事を占うのは好きではない。
 大学正門から坂道を下り、一本の車道を挟んで立つ、四角く切り出された黒曜石のような建物。
 入学当初は異物感を感じていたこの喫茶店も、そのメニューの節操のなさと共にすっかり馴染んでしまった
 赤い空と黒い建物を背に坂を降りる人、人、人。日の終わりも随分早くなって、衣服の重ねや丈もまちまちだけれども、色はみな黒と赤の濃淡。カタチだけに差異があり、顔の区別などつかないにしても、どうしても目で追ってしまう。こうした所作が人に誤解を与えかねないのだからやめた方がいいんじゃない、と先輩に言われてはいる。先輩が近くにいてくれればそんな目で人波を見る必要はないんですけどね、と伝えてはみたもののいつもの通りわかっているのかわかっていない事にしたのか曖昧に流されてしまった事を思い出す。そう、いつもの通り。
 街灯が一斉に点き、時刻が宵の口に差し掛かった事を知らせた。陰が散り、光の縁にわだかまる。
 照らされた人々の内で、様々の条件でもって脳がフィルタリングを実行し、その形を探す。
 購買で、デザインが変わるからと投げ売りされていた白衣を風除けに羽織って、ユニセックスなベージュのシャツと青黒いジーンズ、足元だけは近頃「5000円くらいのとりあえず黒いスニーカー」をやめ、ピンクグレーのキャンバス地の……やっぱりスニーカーを履いてくれている。うん。ちょっとずつちょっとずつ。いやあれも一概に悪くはないのだけど。私は好きだけれど。お洒落は足元からなので……。
 電柱の高さを目印に比べても、やっぱり背が高いなぁと思う。背に一本括った髪はここからは見えない。先輩だ。
 すかさずLINEを立ち上げ「こっちですよ」と打って送信。
 言葉足らずだ。でもこれでいい。
 店員さんに言って紅茶のポットとカップを下げてもらいつつ、わくわくと窓の外を見遣る。白衣のポケットからスマホを取り出した先輩が顔を上げるのに合わせ、席からぶんぶんと大きく手を振る。店内の視線が少しばかり集まるけれど、物事には優先順位があるので仕方がない。
 いつも通り、手振りする私には気付かなかったかのように目を明後日に逸らしながら、先輩が入店してくる。ドアクローザーが強く、浮き上がりがちなドアを後ろ手に押し閉めてから、軽く髪をかき上げ息を吐く仕草。それからゆっくりとこちらに歩いてくる。
「や」
「どうぞ」
 ここに至っても呼ばれたと思ったのは自分の自意識過剰ではないだろうか、座っていいのだろうかと逡巡を捨てきっていないのが先輩である。手のひらで対面の席を指し、上着お預かりしますよ、なんでやねん、というやりとりを挟んで腰かけさせる。先輩は白衣を雑に扱ってもいい準作業服と割り切っており、ポケットに入っているはずのスマホもそのままに椅子の背にかけた。先輩スマホスマホ。と指摘すると、ああ。とそちらを見もせずに後ろ手に取り出して机に置いた。
 メニューを見るのが好きな先輩はすかさずグランドメニューと季節限定メニューのシートを諸共に取り、頬杖をつきつつ目を遣る。前回からの一週間くらいではそうそうメニューも変わらない。のだけれど、それなりに興味深そうに見ている。ふしぎだ。
「そろそろアイスコーヒーのL安いのも終わりかなぁ」
「大分涼しくなってきましたもんね」
「早く胡麻ラテ系が飲みたいねぇ。アレだけは他で見ないレベルで美味しいし。なんでだろ」
「先輩、しじみのお味噌汁も美味しいんですよ」
「いやだってあれ顆粒とかだって。具もフリーズドライのだし」
「いいじゃないですか」
「自分で使うのはいいけど店でインスタント飲むのは嫌」
「先輩。いま飲みたいものが飲みたいものなんですよ」
「だろうね」
 いつもの感じの会話をしつつ、店員さんに目配せしてカフェラテときな粉ラテを頼んだ。先輩がきな粉だ。胡麻に引っ張られたらしい。
「きな粉が年中あるのに胡麻がないのはこれいかにーって感じですよね」
「まぁきな粉の季節っていつだ? って話だから……」
 言いつつ、スマホをぽちぽち操作する先輩。左手にメニューを抱えたままだ。しばらく待つ。
「きな粉……はきな粉餅だと餅一般で冬、大豆は初秋っぽい」
「じゃあ今くらいがちょうどなんですね」
「そのようだ」
「胡麻は……」
「撒きから生長が夏で収穫が秋」
「あっ はい」
 おまたせしましたーと店員さんが注文の品を、どちらが取ってもいいように、どちらも中間地点あたりに置いて行く。
「はー」
「お疲れさまでした」
 んむ、と曖昧に返事した後で音を立てない様きな粉ラテをすすり、軽くむせる。
「……いや別に疲れてはないけど。いつも通りくらい」
「あの絵の関連ではなく?」
「ん? あれは順調だよ……こうね、ああいや、いいや。恥ずかしいし」
「それは俄然聞きたいですねぇ!」
 両腕をテーブルに、勇んで乗り出し、けっこう本気の呆れ顔をいただく。
「君、時々私より悪趣味だよね」
「先輩にだけですよ」
「いや私以外に発揮してくれ。……んん、そうだね。たとえば……明日世界が終わるとしたら、君は何する?」
 あっ、先輩特有のふしぎな悩みだ。ここで『ありがちなやつー』なんてコメントすると先輩は笑って流すけど、二度とその話題がその人の前で出る事はない。
「明後日になりませんか」
「ん? 明日終わるとしたら?」
「いや、明日だとあんまり余裕がないじゃないですか。多分身支度してたら午前終わっちゃいますし」
「……それ一日伸びても身支度が一回増えるだけじゃないの」
「最終日は家でのんびりします。行っても買い出しがせいぜいですね」
「そっか」
 いや余裕がない状況を想定するはずのシチュエーションだと思うんだけど、まぁいいや、と一人ごちている。
「電車とかは動いてます?」
「あーもう全部ありにしよっか」
「とすると、私だけが世界の終わりを知ってる、みたいなやつですか」
「それでいいよ」
「わくわくしてきましたね……!」
「そっか」
 手を口の前で組み、苦笑するような慈しむような目尻を視界の端に、少しく考える。
「まずご飯から考えていかないとですね。翌日はお家で調整できるからー、重い重いでもだいじょぶですね。先輩、シュラスコ食べた事あります?」
「……なんだっけ、ブラジルの串焼きだっけ」
「そうですそうです、色んなお肉とかパイナップルなんかを串に刺して焼いたのをー、お店の方が横で削いで取り分けてくださるんですよ」
「食べ放題系は中々一人では行かないよね」
「……ふふ。じゃあ行きましょうよ! 一緒に」
「んん」
「それでですねー、やっぱりお肉は夜かな? お昼は満遍なくお魚ーもいいですけどー、うーん、うんざりするくらいお肉もいいですよね」
「どこか行きたい場所とかないの。それによるんじゃない」
「私一人だとそんなに行きたい場所とかないですね」
「ふーん、意外かも」
「そうですか?」
 この辺りに先輩のメランコリーの根があるのだろうか。なんとなく予感する。
「動物園に行くのは動物かわいーっていう私かわいい、って言いたいから、一人で行くのは違う、みたいなアレ?」
「それって何か違うんですか?」
「ふむ?」
「かわいーってーこう、思うじゃないですか。それでかわいーって伝えるわけです。そうすると……始めてかわいいが出来上がるわけです」
 先輩は口をつぐみ、額に親指を捻じ込むような姿勢。私の言葉を噛み砕いている所なのだ。
 少し温んだカフェラテを口に運ぶ。一口、二口。ここはクーラーがよく効いているから、半時以上居るつもりならホットを選ぶべきなのである。窓の外。三口。
 ほ、と息を吐きながらカップを置くと、先輩が親指を額から離す。
「あるものが単体であっても意味が感受され得ない、主体とそれの一対一関係だけでもまだ完結している。それを第三者に伝えたり見せたりする事で、『私とそれ』という完結した状況以上の意味……この場合カワイイが生まれる?」
「なるほど、わからないようなよくわからないような」
「言葉下手でごめんね」
「いえいえ! ……でも、ああ、そうですね」
「そう、たとえば」
「ご飯は誰かと食べた方が美味しいみたいな」
「事件なくして共犯者なし、みたいな」
 あまりに乖離した結論。数秒の沈黙を挟んで、なんとはなしに、どちらともなく、くすくすと声を忍ばし笑い合う。
「あっ、そうだ、水族館! 水族館なら、昼も夜もお肉でも、コンプリート出来ますよね」
「何がよ」
「まずランチがお得な焼肉に行ってー、お洋服買って着替えて―、水族館行ってシュラスコ、で、夜は……」
「午前中おめかしするのにランチの後で着替えちゃうんだ」
「におい対策とお色直しの二部制ですよ」
「二部制に一石二鳥的な意味はないよ」
 あーおかしい、と、言いながら、先輩は思いついたようにスマホの電源を押す。デフォルトの壁紙に表示された時刻は、もう夜の口を踏み越えている。
「結構遅くなって来たな」
「じゃあじゃあ、今からお家来ませんか。すぐ出来ますし、お魚買いすぎちゃって。食べてもらえると私も助かるんですけど」
「ん、いいよ。……お願いしようかな」
 やった、と言いながらポーチをしまったり、鞄の口を閉めたりと店を発つ準備をする……間に、先輩は立ち上がりながら白衣をつっかけ、スマホをポケットに入れると、袖を通しきらないまま伝票を取ってカウンターに行ってしまう。素早い。後でアイスか何かをおごらされてやる。
 空調の冷えた空気と白い光を背に、黒く温い水に沈んだような、のっそりした夏の夜に出ていく。
 ごく小声で「あつ……」と呟いたのを聞き逃さず「アイス変なのしかないので買っていきましょうね」と差し込む。「君の変なのはマジの変なのだからな……」といくらかの畏怖めいたものを含んだ先輩の言。悩み過ぎると変なものを買ってしまうのであって、私の嗜好が変なのではない。
 さっきのお話、夜ご飯以降の予定も詰めていきましょう、と言うと、背で一本にまとめた髪を揺らしながら、直接それに答えず応えが返る。
「……シュラスコ、行こうか。いつか」
「…………」三秒、溜めて。こころ膨らませて、キュっと縮めて。口にする。いつか。
「ええ、行きましょうね」



・秋

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(o≧ω≦)ツ●))`ω゚)!・;'.



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・冬

 車に降り積もった雪を横目に、ポケットから鍵を取り出して差し込む。この頃、小さくドアノブが軋むような音を立てる。油を差さないと。
 電気の消えた玄関で、電気の消えたまま靴を脱ぐ。手探りで向きを揃えて寄せる。彼女と一緒に張り替えたフローリングは、色こそ周囲と馴染むものの、靴下がよく滑る。踵でにじるように歩くのがクセになった。
 リビングに入ると、閉じたカーテンの隙間から入る残照の光が家具の輪郭をぼんやりと映している。しばらく立ち尽くした。見る間に光が衰えていく、ような気もするし、そんなに捉えられるほど急変するようなものではなく、そもそも目は徐々に慣れていくのだから逆に変化に対しては鈍感になるはずだ、と理性が訳知り顔で解説する。鬱陶しい、なぁ。
 調理台に買い物袋を置き、流し上の電灯のヒモを引くと、発された白い光が清潔なシンクに反射し、目を眇める。瞬時考えて、ここで手洗いを済ませてしまう。冷水で石鹸が上手く泡立たない。それでも無為に手を捏ね繰り続ける。体温が融け出して泡になるまで。
 ホルダーからキッチンペーパーをちぎり取ってそれで手を拭いて捨てる。牛乳とチーズを冷蔵庫にしまい、中から香辛料の筒を1つ探し……あった。次に野菜室、冷凍庫と順に上部トレイを探り、特に使いさしのものがない事を確認する。
 袋から鶏モモ肉とニンニク、最後にこちらも香辛料の容器を取り出し、空になった袋はそのまま流しに広げて置く。
 調理に必要な器具、調味料、それからまな板と一通り調理台に並べてから、オリーブオイルを取り上げて光に透かしてみせる。凝固はみられない。部屋は暖房のこもるような熱もないが、寒くもない。冬中つけっぱなしのデロンギヒーターは忠実に己の仕事をしているようだ。鍋にオイルを注ぎ、ごく弱火にかけておく。
 ニンニク一塊を流しの袋の上にかかげ、ひねるようにバラす。皮をバリバリ剥いで捨て、包丁で一片ずつ尻を切り落とし、慎重に、まな板上に立て、縦に切り割る。皮と薄皮を剥ぎつつ、刃元の角で緑色の部分──芽を抉り取り、諸々と一緒に捨てる。
 一塊分の解体が済んだら、一度鍋の火を止める。
 まな板上にキッチンペーパーを敷き、鶏モモ肉を迎える。包むように拭い取って水気を吸ったペーパーを流しの袋に投げ入れ、器具のひとつ、フォークを取り出して刺す。何度も刺す。
 皮目全体に穴が開いたら、包丁を取りあげ、塊の脂身を適当に切り取る。肉に数本浅く切り込みを入れた後、おもむろに一口サイズに切り分けていく。
 もう一度鍋の火をつけ、少し置いて鶏肉を全て投入する。鍋なので焦げ付きには注意しなければならない。弱火寄りの中火でじっと見る。換気扇をつけ忘れていた事に気付いて、のっそりと回す。皿を用意して脇に置き、しばし鍋の縁から覗く青いガス火と白い無機質な蛍光灯と、横目にカーテンから衰弱死じみて細くなりゆく光を見ていた。冬の落日は早い。
 玄関で音がした。
 ドアが開き、閉じ、空気が密閉される体感。フローリングを上滑る音とも言えない微かな音が耳に障る。
 パチン、と灯りがつく。
「先輩……電気つけて下さい」
「つけてるよ」
 流し上の蛍光灯を指す。
「どうしてそう明かりがきらいなんですか……」
「私からすれば君達が電気好きすぎるんだけどなー。おかえり」
「ただいまです。それが……えーと、ス? ク……」
「シュクメルリ」
「それです」
「それだよ」
 鍋から菜箸でキツネ色になった鶏モモ肉をまとめて取り上げ、皿に取り除けていく。
「小説とかでさぁ、何を作ってるかわからないのに延々調理描写が続くとイライラして来ない?」
「そうなんですか? うーん、私はわくわくする方かもしれません」
「ふむ」
「あれ、ニンニク入れてないんです?」
「今から入れる。レシピで肉に火通す時入れてなかったんだよね」
「へー……え。量が……量がすごくないですか。ニンニク」
「一塊。」
「いっかい。」
 そんな単位ありませんよぉ、と泣きマネしながら洗面所に消えていく後輩。鍋に戻る。たっぷり出た鳥の脂とオリーブオイルの曖昧なまだら模様をなんとなく菜箸でかき回し、先にドン引きされたニンニクを容赦なく全投入する。次いでコリアンダー、買ってきたフェネグリークを振り入れ、改めて菜箸。さっきのなんとなく行動はなんだ? 時空が歪んでいたのか?
 適当に流しを掃除したり菜箸たりしてる内に、お馴染みニンニクの匂いをメインに、苦いような甘いような、それでいて鼻に抜ける複雑な香りが立ってくる。換気扇がナンボのもんじゃいと言わんばかりの暴力的な唾液腺直撃香だ。
「わ、急にいい香りですね」
 洗面から戻った後輩がどこか腰が引けたように、おっかなびっくり鍋を覗き込む。
「でしょ」
「何の匂いだろ……それコリアンダーですよね。 あ、フェグネ……フエネグリィク。って初めてかもしれません。カレーに使ったりするんでしたっけ?」
「そうみたいね。このまま適当に煮立ったら牛乳と、鶏肉戻して、塩で整えて完成」
「けっこうシンプルなんですねぇ」
「食べる前にチーズ入れるよ」
「やばそうですねぇ!」
 きゃいきゃいやりつつ、ケーキの箱を袋ごと冷蔵庫にしまい込んでいく。でっかい冷蔵庫はこういう時に羨ましい。
 彼女がフライドチキンってどうにも脂っぽくて……うーん、2つは食べられないんですよねぇと溢したのをきっかけに、作ってみたかった鶏肉料理をこれ幸いと試してみた所存だ。ちなみに油に関しては、何のかの言っても根本がお嬢様なので、使い古しの油に堪えられる腹をしていないのだと踏んでいる。
 ふと、なんという事もなさそうに鎮座しているオリーブオイルの瓶に目が吸われる。以前輸入食品店で見掛けた時には三度見した。私の思う「ちょっとお高いオリーブオイル」と等量で倍近くするんだもん。
 あとはあれ、以前誕生日で連れて行ってもらった天麩羅屋(店名を示すものが表に何も無かったのが妙に印象に残っている)ではそれはもりもり天麩羅盛り合わせをお召しになり、私油が苦手なんですけどここのは食べられるんですよねぇ、と来たものだ。
 金持ちだから。私達とは違うから。そんな事を指摘した所で、無理して「普通の人が食べる油ものなら私だって食べられますよ」とばかり平気なフリを始めるだけなので、そういう事になっている。
 苦手なものは苦手でいいだろう。
 いやそれにしてもいい食べっぷりだったよなぁ。
「いい感じですか」
 にこにこと、頭を肩にのせられた。
 私は換気扇を気にする体で上を見ながら、細く息を吐く。
「先輩、すごい笑顔ですよ」
「うーん? うん、そうだね。楽しみだ」
 牛乳そろそろ入れちゃおっかな、と動く素振りを見せるが、彼女は全然動かないので詰んだ。どっちみちまだニンニクが硬そうだから料理は問題ないが。
「昨日は楽しかったですね。水族館。夜ご飯のシュラスコも美味しかったし」
「……チキンが妙に売れてて申し訳なさそうだったね。時節柄、縁起を担ぐカップルばっかりだったし」
 もっとも、本当に縁起を担ぐなら七面鳥でなければならないわけだが。
「その分私達は豚さんとか牛とか焼きパイナップルに焼きバナナなんかを食べるわけですよ」
「おかげ様でぽんぽんの腹抱えて昼まで寝る事になったけどね」
「うふふ。でもおかげで今日先輩の鶏肉料理食べたら、2日でコンプリート、達成ですね!」
「……なんか前にそんな話したっけ」
 嘘だ。本当は覚えている。確か明日世界が終わるとしたら……を、明後日世界が終わるとしたら、にしてくれという謎交渉を受けた件だ。
「あれ、どういう意味だったんです?」
「意味?」
「急に明日世界が終わるとしたら~なんて言われたら普通の人はまず心配すると思いますよ?」
「ああ……いや、……はぁ。大したことはないんだよ。……あー、たとえばさ。明日世界が終わるとしたら、人間本当にやりたい事をやり出すもんじゃない?」
「はい」
「で、そういうシチュエーションに自分を当て嵌めてみたわけ。そしたら……何かダイシゼンノキョウイー的な観光地で自分のちっぽけさを自覚するとか、綺麗な海に飛び込んで終わらせるとか……そういうのしか思いつかなかったわけ」
「はい」
「問題を矮小化したいわけだよね。同時に、私という個人にはその程度の問題でしかないのも確かなんだ」
 世界の終わりと私の終わりは何の関係もない。前者が後者を包摂する以上、たまたま一致する事はありうるにせよ、それはこの縦横奥行きに加え時間方向に広大な宇宙で異星人に出くわすくらいありそうもない事だ、とか。俯瞰と矮小、スケールアップと自虐を繰り返し、無限大の宇宙の中で更に小さく縮こまろうとする自意識。
「うーん」
 よくわかりません、と後輩。そうだろうね、と私。
 でも好きですよ、と後輩。そうかい、と私。
 菜箸で無為に肉をかき回す。
「珍しいね。君が……」
 こうも無造作に踏み込んでくるのは。
 思っていたよりも、怒ったような声が出て、私は私に焦る。拒絶の意と取られたらどうしよう。でも、それはそれで仕方がないのかもしれない、そのまま物別れになるなら楽かもしれない、ぐるぐると過熱する頭にぐるん、とその目を向け、彼女は言った。
「今夜ですよ」
 珍しく、本当に、まったく意図が取れず、自分を刺した相手と呆然と見つめ合うのに似てその目を眺めてしまう。ぐたぐたと煮立つ音。湯を沸かすより穏やかに、みえる表面。
「今夜を私達が越えられないとしたら、どうします? 昨日が明日だから、今日は明後日なんです。私達に残された『明日』はないんですよ。どうします?」
 ふと、遣り取りに夢中で気付かなかった事、彼女の視界には常に入っていたはずの物事に気付く。
 細く開いたカーテンの隙間から、明るい筈の室内に、暗い筈の屋外から、赤い光が横薙ぎに走り、消え、また同じ始点から赤いランプが走る。回る。バタバタと慌ただしく歩き回る靴音。くぐもった怒声。
 頭のどこかでぼんやりと悟る。それは、これは私達ではない。考えてもみて。玄関側でなく、むしろ玄関から進んで突き当りの窓から見えるのなら、きっと裏の家に所用があって停まっているのだ。これは私達を捉えに来た終わりではない。これは。──それでも。いつかの、いつかは。たとえば明後日に、たとえば明日に……。
 あるいは、明日はもうない。とする。なら。
 私達は見つめ合っている。
「私はこうします」






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