コンテンツ消費生活への抵抗
コンテンツ、世の中に溢れている全てのモノやコトは全てこのコンテンツと呼ばれるものである。
仕事だって、結婚だって、所詮はコンテンツであり、僕らが生きる中で楽しんだり悲しんだりするために必要なものである。
ただこのコンテンツにも使い方は2つある。
生み出す方法と消費する方法。
言うのは簡単だが、実際に実感している人も多いだろうが、圧倒的にコンテンツは消費することが多いと思います。
日常の中で、様々な生活用品だって、SNSも、もちろんインターネットだって。
そう考えると、僕たちは常に消費生活をしていて、生み出す側、そう生産者側に回ることというのは生きている時間の中で何割を占めているのであろうか。
これはデータがあれば面白いと思うけれども、きっと2割くらいだと思う、生産者側に回っている割合は。
僕たちはこうやって何気なく消費生活を送っているが、うすうす感じているだろうけど、暇じゃないかな、その生活は。
コンテンツを消費する、来る日も来る日も消費生活。
僕たちには消費と生産という2つの方法が与えているに関わらず。
生産者の側に回る比率が3割になったら、いや4割になったらどうだろう。
今の自分とはどのくらい異なる人生を送ることが出来るか、それはつまらないかもしれないし、はたまた面白いかもしれない。
もちろんどちらがイイとかワルいもありません。
ただ何も考えずに、溢れているコンテンツを集めて消費する、それで生涯最後の日を『あぁ最高の人生だった』と迎えることが出来るのかと僕はあなたに問いかけてみたい。
少なくとも僕らはこれまで人類として最も神秘的な子孫を残すということをして、今日に至っている。
だからこそ、僕たちは何かを『残す』という本能的なものは蓄えられているはずです。
多分、その『残す』ということはこれからも人類が忘れることのない作業である。
もし、この本能に従うとしたら何も作らず、何も発せず、誰のココロにも残らないのはあまりにもね...。
ここまでお読みの通り、コンテンツを消費するばかりでは人類の発展にも地球の進歩にも全く貢献することが出来ていない。
誰もが、長くも短くもある人生を過ごすなかで、何かしらのモノ生み出すことが出来るはずです。
そこに優劣はなく、良し悪しもなく、ただ誰かの人生に影響を与えることが出来るコンテンツがあるだけ。
さて、コンテンツの消費から脱却し、自分なりに使いこなし、新たなコンテンツを生み出していきましょう。
人の役に立つこと、未来の人に役に立つこと、そして自分がココロから楽しいと思えるコンテンツをこれから。
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