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ホル子のブラジャー紹介(6)桜色の刺繍のブラジャーとピンクという色

 所有しているブラジャーの色を調べてみたところ、黒とピンクがツートップだった。ただし、黒は(素材や柄の違いはあれ)同じような黒だけど、ピンクは一口にピンクといってもヴァリエーション豊か。
 今日のイラストのブラジャーは桜色。生地に同色のレースと同色のチュールが重ねられ、チュールに光沢ある糸で細かな刺繍が施されています。生地の桜色とパイピングの若草色の配色も、春めいた優しい気分になるね。馴れない土地に引っ越した頃、なにか心和むものを買いたくて買ったブラジャーです。
 そんな優しいピンクがあるかと思えば強いショッキングピンクもあり、サーモンピンク、ラベンダーピンク、ベビーピンク。単色でなくてもピンク地に黒のレース、ピンク地に白のレース、ブルー地にピンクの刺繍。などなど下着棚はピンクが充満しております。私はピンクが好き。

 私はピンクが好き。と、しかし子どもの頃はなかなか言えなかった。なぜなのか。
 「子どもの頃からピンクが好きなの?」と訊かれたことがあるけれど、むしろ、明確なピンクっ子になったのは大人になってからである。最初に自分で買ったピンクはマルトミの500円くらいのタートルシャツだったが、それもずいぶん勇気が要ったんだった。今や日によってはパー子(全身ピンクの日をこう呼んでいる)になることもあるからすっかり忘れていたが。

 ピンクにまつわる幼年期の苦い思い出として、「ピンクが好きだと言ってはいけない」と従妹をいびったことがある。
 小学校に上がった頃だったろうか。従妹は幼稚園児。ピンクが好きだという彼女に、
「好きな色を訊かれても『ピンク』って答えたらあかんから!『青』とか『緑』って答えるんやで。はい、じゃあ、訊くで。好きな色は? ……はぁ!?  だから、『ピンク』はあかんて言うたやん!」
 理不尽である。(忘れてると思うが)Aちゃんゴメンな。なぜこんな理不尽ないびりを私は行なったのであろうか。

 萩尾望都『イグアナの娘』に、ピンクのエピソードがある。二人の姉妹にレモンイエローのドレスとサワーピンクのドレスがプレゼントされる。妹は、ピンクはたくさん持っているからと姉に譲る。姉(=主人公)は初めてのピンクに胸をときめかすのだけれど、いざ着てみると母からは、色が黒いから似合わない、女の子なのに、と妹と比較して貶され、妹からも「おねーちゃんブスだから」と笑われてしまう。胸が痛むエピソードだが、類似のエピソードをこれまでどれだけ女性たちの物語の中で見てきたことだろう。ピンクはいつも妹(姉)のもので私は着せてもらえなかった、とか、クラスの可愛い子はピンクが似合っていたのに私は、とか。女の子たちの世界でピンクはそんなふうに「求めて得られない色」として現れる。屈託ない可愛さをまとえる者だけのための色。私も子供時代あまりピンクを与えられなかったくちで、唯一持っていたスモーキーピンクのスウェット地のスカートをひそかに気に入っていたが、自分からピンクが欲しいとはなかなか言い出せず、己のピンク欲に対し大袈裟にいえば罪悪感があった。そうした屈折した憧憬が、従妹いびりの第一の理由であったと思われる。

 一方ピンクは「押し付けられる色」でもある。堀越英美『女の子は本当にピンクが好きなのか』(河出文庫)は、女性たちのピンクへの執着と葛藤を多面的に論じた面白い本で、その中でピンクへの反発の歴史も扱われていた。ただし反発の対象は、ピンクという色自体というよりそこに込められてきた意味であろうとされている。つまり、女性は客体的で無垢で従順であるべしという規範。たとえばいわゆる「ダサピンク」現象。わたくしめはダサピンク製品に惹かれてしまう人間であるのだが、それでも電器屋にてうああ!可愛い!とピンクのPCやプリンタに飛びついてスペック見てガックリ、ということはよくある。なぜ本格スペックのピンクパソコンを作ってくれない。使うのが「しょせん女子供」であるからだ。ピンクを受け容れることはそうした二級市民扱いを受け容れるということであるぞ、そんな地位に自ら甘んじるというのか!? というのが従妹いびりの第二の理由であったのだろう。ほとんどひとり連合赤軍やん。いや、連合桃軍、連合反桃軍か。
 従妹にはええ迷惑であり(重ねてゴメンな)、実際ピンクなんてただの色やないかと思うものの、なかなか世の中がただの色にしておいてくれへんのや。そういえば、木造ボロ家だった実家の中でピンクのタイルにリフォームしたトイレだけは唯一気に入っていたけれど、施工の際の業者さんに「女の子やからピンクがええやろ」と言われたことをその後延々と思い出してはトイレで微妙な気分になっていた、ということもあった。たしかにピンクのタイルは嬉しいけどそれを「女の子」であることと結びつけられると……なんか抵抗感! とこのようにピンクにまつわる葛藤のエピソードは数限りない。そんな色が他にあるやろか。上掲の本で堀越さんも、各年代の女性のピンクへの愛憎を物語るアンケート結果を紹介したうえで「ピンクとは、かくも女性にとってややこしい色なのである」と慨嘆している。あるときは求めて得られずあるときは押しつけられる色。まこと、呪いは桃色、である。

 では屈折した憧憬およびひとり連合赤軍的反発の対象であったピンクと、如何に自分は和解したのか。ピンクとの和解についてはこれまた多くの女性による語りがあると思われ、自分のそれも多くのそれと似たり寄ったりであると思うので省略する。ピンクとの和解は「女性性の受容」であったのか、はたまた、ピンクを主体的に選び取る過程(つまり「ダサピンク」に対する「イケピンク」への飛翔)であったのか。どっちでもないようなどっちでもあるような、どっちにしてもあんま面白い話でもないと思うんで、代わりにおじいちゃんの話を書く。
 

 昔、家族で内職をしていた。下着に値札を付けてゆく単純作業だった。一枚何十銭とかで、家族総出でダンボールひと箱分を片付けても数百円なのだけれど、昼飯代くらいになればいいかというのでぼちぼちやっていた。
 その日値札を付けていたのは女性用の白いパンツだった。数箱分の白いパンツに値札をひたすら付け続けたところで次の箱を開けると、次の箱はピンクのパンツの箱だったのだ。白パンツ箱からピンクパンツ箱に移行した瞬間、部屋が急にぱあっと明るくなった感じがした。そのとき祖父が、
「やっぱりピンクは華やかでええなぁ」
 としみじみ言い、皆思わず笑ったのであった。
 たしかにそうやなあ、と言いつつ皆が笑ったのは、祖父の感想が、味気ない内職のパンツに対するものとしても九十の老爺のものとしても不似合いで、それがちょっと可笑しかったから。それと、その感想には「今日のパンティ何色なのグヘヘ」的な厭らしさがみじんもなく、まるでいっせいに咲き始めた桜にほうっとなるような、ただただ純粋な感嘆しかなかったから。

 『女の子は本当にピンクが好きなのか』では、ピンクのポジティブなイメージもたくさん挙げられていた。そこで鴨居羊子の「女の体をむしったら、こんな一ひらがおちてくる」という一節が引用されていて、私もかつてこれに強い印象を受けたことを思い出した。鴨居羊子は戦後に美しい下着をデザインしてみせたことで知られる人で、これは自伝『わたしは驢馬に乗って下着をうりにゆきたい』(国書刊行会・鴨居羊子コレクション所収)の中の一節。昭和20年代、皆が「何か罪の意識」をもって眺めていた眩しい舶来雑貨の店で、彼女は思い切ってピンクのガーターを買い求めた。
「この小さいガーターは一ひらの花べんに似ていた。女の体をむしったら、こんな一ひらがおちてくる」
 たしなみを求める母親に反発してそのガーターを着けて出かけトイレに行くたびたのしみだったなどというエピソードも含め、大好きな文章なのであるが、しかし私は自分の体についてついぞそんなイメージを持てたことが無いなあ、ピンクの下着は美しいけれど私の体をむしってもなんやカサカサしたカスしか落ちてこなさそやん、と思ってきたけれど、あのとき、おじいちゃんをむしったなら、おじいちゃんの心からそんなピンクの一ひらが落ちてきたことだろう。


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