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ホル子のブラジャー紹介(3)迷彩柄

 ちょっと前にこんまりこと近藤麻理恵の著作を読んだ。有名な片付け指南の本です。詳細は別のブログで書いたので省略するけど、単なる「断捨離」本だと思ってたらアニミズムの書だったのでした。その中で印象的だったことのひとつは、ブラジャーを「おブラ様」と呼んでいたこと。こんまりは、衣類の中でもブラジャーは別格の空気感をもっているとして「VIP待遇」の収納を勧めるのだけど、一見滑稽に思えてもその感覚はなんとなく理解できる。おブラ様と呼びはしなくとも、日々の下着選びに軽く呪術的な意味を込めてる女性は少なくないんやないやろか(「ない」が多いな)。どの色の下着が運気を上げるとか下げるとかいう下着風水はファッション記事の定番であるし、大事な日にはコレ!みたいな、個人的下着ジンクスを持つ人も多かろう。あんなに多種多様で工夫を凝らして作られているわりに人目に触れる機会がないという女性下着というものの性質が、そうした呪術的思い入れをもたらすのやろか。

 私もかつて勝負事のときは赤いブラジャーがいいと聞いて、気の張る機会や人前に出なあかん機会には赤いブラジャーを装着しておった。また、元気に動きたい日によくつけていたのは、本日のイラスト・迷彩柄のやつ。暴れる系のライブやらに行く際に使ってた(日頃ぼんやりしておるので意外がられますが暴れる系のライブに時々行くのです)。形がシンプルでTシャツに合うのが第一の理由だけど、迷彩柄が喚起する「戦うぞ!」感のゆえでもある。そういえばライブやイベントに行くのを「参戦」って表現する語法があるよね、「今年はフジロックに参戦します!」みたいなやつ。「コミケに参戦します!」も見たことある。あの語法はいつからなんやろか。私も一時期使っていたがちょっとイキり感出てしまうので最近はさすがに使わない。でも戦いに喩えたくなる気持ちは分かる。

 気持ちは分かる、んだけど、「その語法やめようよ」というネットでの呼びかけも定期的に見かけて、それもまた分かる。単にイキり感が嫌だからというのでなく、戦争の比喩を娯楽イベントに使うのはどうなの? ということだと思う。たしかに、実際に戦争や紛争で深刻な状況にある地域を思うと、そうでない状況にあって気軽に「ライブ参戦」とか「地雷カプ」とか「爆弾投下」とか言ってしまってる自分にハッとする、ってあるよね。しかしそれは戦争の比喩だけでなくて、比喩というものにまつわる普遍的な問題かもしれず、表現の問題の多くは比喩の問題であると思っていて、かつ言語というものの性質自体が比喩的要素をもつからには言語自体の問題であるとも思う。えらい話が広がってしもうたが、戦争や武器の比喩は何もライブキッズやオタク特有の誇張表現というわけでもない。「バーゲンの戦利品」「野球チームの遠征」「チケット争奪戦」「受験戦争」「選挙の激戦区」「ローラー作戦の営業」……こうして考えると数限りないなあ。うちら(=人類)、軍事の比喩が無いと喋れへんのん?すべては戦やのん? 先日、「抜き打ちテスト」の「抜き打ち」もそういや刀剣での戦術の比喩だよなあ! と気づき、おれたちは小学校や中学校でなんと物騒な仕打ちを受けてきたのか~~と思った。

 服飾に流用される迷彩柄はじめミリタリー的ファッションも、やはり上記と同じ理由で昔は抵抗あったのでした。迷彩柄の起源をググってみたら、WWIの頃のドイツに由来する説、フランス発祥という説、イギリスが最初説、それ以前からあるという説……どれが正しいのかちょっと分からんかったけど、ともかく軍事起源ですよね。それをファッションとして用いるのはどうなのか。しかし、迷彩の中にお花を潜ませて(戦場に咲く花だ!)、可愛いリボンを付けて、服の下に潜むおっぱい包みとして転用しているのは、その起源の物騒さを無効化してやっているようでもある。何からカモフラージュしてんだって話だし。

 そんなこんなでいろいろ考えさせられる迷彩ブラでありますが、で、これを着けて実際に気合が入ったのかといえば別に……どうなんですかね。そもそもライブで音楽聴いてるときは服の下に着けてるブラジャーのことなんて忘れてるよね。音に感動しているときはそれでいっぱいだし、人に押されてるときは普通にしんどい。下着ジンクスって、下着選びのときの束の間気にするだけで、あとはそういえば忘れてる。ここ一番の赤ブラジャーも同様であった。私は人前に立つのが苦手なのに人前に立つ機会が多くて、そうしたときにかつて愛用していたのは、Peach John のサテン地の真っ赤なやつ(安くてカラバリ豊富で昔流行っていたのだった)。まるで濡れた唇のような、テラテラの赤だった。気合入れていくぞと思い、朝、その真紅を装着する。ちなみに持ち上げ効果もあって胸がキュッと引き締まる。本番が来る。人前に出る。喋り始める。何度か噛む。この時点でもうブラジャーの効果とか意識に上ることはない。服の下だし見えないし。今見えてるんは読み上げ原稿の文字と聴衆の視線だけ。質疑応答。予想もしない質問が飛んでくる。アワアワ答える。濡れた唇とか知らん、冷や汗で腋は濡れてますけど。もうブラジャーが赤でも白でも乳がキュッとなってもダランとなっても別におんなじや。ハワハワしてるうちに時間は経ち、疲れて帰って服を脱ぐ頃には単に服を脱ぐだけなので、「ああ、今日はこの赤いブラのおかげでよく戦えたわ」とか思うことも無かった。


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