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調子悪くてあたりまえ松本亀吉自伝_3

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ブルー・マンデー
1982-1985
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1982年春に、おれは関西大倉高校に進学した。
大阪府茨木市にある私立の男子校。通称カンクラ。体育の授業に水泳がないのが志望の理由だった。おれ水泳すごく苦手だったんだよね。いまだにクロールっていうのができない。あれ、息継ぎどうやるの。

中三のとき、担任の中北先生に「専願でカンクラ行けるで」と言われて「それならもうカンクラで」とすぐに決めて、公立高校の試験を受けないことにした。専願試験は一般入試より早く行われて結果も先に出るから、ずいぶん気楽だった。こんなにさっさと決まるなら、前回お話しした、涙の「ど角ど鶴のええかええかコンサート」に行ってても問題なかったやん。「受験勉強に専念する夏」とはなんだったんだ・・・。

関西大倉は、その名前から関西大学の付属校と思われがちだけど全然関係なくて、むしろ立命館と提携してるんだよね。茨木と箕面と吹田の境に近い、けっこうな山の中にあって、ほとんどの生徒がスクールバスで通学してた。おれは家の最寄りの千里中央駅からの便を利用してたんだ。

今は男女共学になってるんだけど、ちょっと想像できないわ・・・。おれはいつもスクールバスの中から北千里高校のカップルが歩いてるのを羨ましく見ていたからなあ。今はあのバスのシートにタータンチェックのミニスカJKが座っているのか・・・。最近だと日向坂46の高瀬愛奈さんが関西大倉出身らしい。まなふぃがあの山奥の校舎に・・・。おれならきっと性犯罪的な騒動を起こしてすぐ停学になっていただろう。当時男子校で本当によかった。

高校には珍しくアメフト部があったりして、部活も盛んな学校なんだけど、おれはカンクラを大学進学のための予備校と割り切ってて、私立文系大の受験科目だけ勉強してた。二年までいちおう理系の授業があったんだけど、数Ⅱとか化学とかのテストは白紙回答で0点だった。でも、英語や古文の定期テストはだいたい満点だったよ。

父親は大阪府立吹田高校の英語教師だったんだけど、勉強を教えてもらったことは一度もない。ただ、教材を薦められたことがあって、それは「J.B.ハリスの大学受験ラジオ講座」だった。たしかラジオたんぱで放送してたんだけど、講座を収録したテキスト付きのカセットテープを全巻セットで買ってもらって、受験用の英文法はこの教材でクリアした気がする。勉強は苦にならなくて毎日家で6時間以上してた。

高校生活の記憶は、家で勉強してたこと、学校帰りに寄ってた本屋とレコード屋、スクールバスに乗ってた光景、ぐらいしかない。とにかく学校で友人を作らない方針で過ごしてたので、誰とも会話した覚えがない。教室にいた記憶がない。もしかしたら、高校に行かなくても通信教育とJ.B.ハリス先生のカセットで大学行けてたかもしれない。

それにしても、母がどんな料理を作ってくれたとか、父と一緒に晩ごはんを食べてたシーンとか、そのころ姉貴はどうしてたかとか、日常的な出来事の記憶がまったく残ってないので、ちょっと精神的におかしかったのかもしれない。6才上の姉は府立豊島高校を卒業して、東京の資生堂美容技術専門学校に進んでいたはずだ。その後、白金台の結婚式場「八芳園」に就職してメイクや着付けの仕事をしていた。

しかし、高校の同級生や先生の名前をひとつも覚えてないのは、ちょっと異常だよね。

あ、でも、野球部のピッチャーだった背の高い子が、たしかイモトくん。
彼が昼休みにこっそり手を握ってきたのを覚えてる。おれは誰ともしゃべらないでいつも一人でいるし、ガリガリに痩せて女の子みたいな撫で肩だし、自分では横顔に憂いを湛えた美少年だと思ってたから、学校の紅一点、みたいな扱いだったのかもしれない。男子なんだけどね。

それで思い出したわ、エピソードをひとつ。
3年の体育の授業は自由時間だったんだよね、オフィシャルな休憩タイムというか、グランドで適当に過ごせ、みたいな。それで、みんなで鬼ごっこ的な、誰かが誰かを指名して追っかけたり逃げたり、というゲームを始めたんだ。細かいことは覚えてないけど、とにかく誰かが「じゃあ・・・松本くん」っておれを指名した。そしたら周りのみんなが「うわ~スケベ!」とか「いやらしい!」とか騒いで彼を囃し立てて、おれを指名した彼は真っ赤になっちゃった。たぶん彼らにとっておれは不可侵な存在だったんだろうね。深窓の令嬢みたいな。男なんだけどね。

さて、おれが初めて買ったレコードは、つちやかおり「恋と涙の17才」なんだけど、中学のころにはすでにカセットテープをいろいろ買ってた。自分の部屋にレコード・プレーヤーがなかったのと、毎年使い潰して買い換えるほどのラジカセ派だったから。

カセットでは、当時大ヒットしてた大滝詠一『A LONG VACATION』、『NIAGARA TRIANGLE vol.2』、あと大好きだった石川優子のアルバム。深夜ラジオでファンだったイルカや中島みゆきのアルバムも持ってたな。白井貴子のファースト『Do For Loving』は「内気なマイ・ボーイ」が好きだった。強い影響を受けたスネークマンショーもカセットで。『スネークマンショー海賊盤』はコンドームのケースを模した装丁だったんだけど、コンドームを見たことがなかったから、なんのパロディだかわからなかった。中学生の息子の机にコンドームそっくりの箱が置いてあるのを見た母親はさぞかし驚いただろうね。

おれが高校に入学した1982年は、言わずと知れた女性アイドル大漁豊作の年だ。80'sアイドル・ファン必携の名著『ジャズ批評別冊 アイドルPOPS 80-90』から、82年度デビューの主要歌手をピックアップしよう。五十音順で。

新井薫子 石川秀美 伊藤かずえ 伊藤さやか 川上麻衣子 川島恵 川田あつ子 北原佐和子 小泉今日子 斉藤慶子 坂上とし恵 シャワー 白石まるみ スターボー つちやかおり 中森明菜 早見優 原田知世 堀ちえみ 松本伊代 真鍋ちえみ 水野きみこ 三田寛子 三井比佐子 宮崎美子 薬師丸ひろ子 ラジオっ娘 渡辺めぐみ

シャワーには村上里佳子と矢野有美がいたんだよね。あとラジオっ娘には、のちに『ダウンタウンのごっつええ感じ』に出演する西端弥生がいた。

ついでだから、同書より翌83年度デビュー組も記しておこう。この本は吉田豪さんも愛用してるバイブルだからね。持ってない人はほんと買ったほうがいいよ。

飯島真理 石原真理子 伊藤麻衣子 岩井小百合 大沢逸美 太田貴子 尾上千昌 荻野目慶子 河合美智子 河上幸恵 菊地陽子 木元ゆうこ 桑田靖子 小池玉緒 小出広美 小林千絵 佐東由梨 吹田明日香 ソフトクリーム 武田久美子 田中美佐子 千倉真理 徳丸純子 原真佑美 広田玲央名 松尾久美子 松本明子 松本小雪 森尾由美 横田早苗 ルー・フィン・チャウ わらべ

尾上千昌はシャワーからのソロ・デビュー。おれシャワーに詳しいでしょ。小林千絵は、おれが二学期だけ通った豊中九中の出身で、たぶん実家が新千里南町じゃないかな。大学のときにバイトした南町のうどん屋にポスターが貼ってあったもん。河上幸恵は猛烈に可愛かったね。引退してどこか普通の会社で受付嬢をしてる写真を、就職してから業界誌で見たっけ。

高校生のおれはもちろん受験勉強だけをしてたわけではなく、百花繚乱、空前のアイドル・ブームに多感なハートを揺さぶられていた。

まず、さきほど話したたとおり、つちやかおりのデビュー・シングルを買ったんだ。『3年B組金八先生』に出てた彼女が可愛くてねえ。小柄で、八重歯がチャーミングだった。川田あつ子「秘密のオルゴール」も買った。衝撃的な歌唱力で、YouTubeで検索して見てほしいんだけど、必ずサビで声が裏返る。可愛すぎて、ファンクラブに入った。三田寛子は高校時代のおれの脳内恋人で、結婚するつもりだったから、心の中で「敦子」って本名で呼んでた。『ぽこあぽこ』っていうアイドル誌に載ってた森尾由美のグラビアも強烈に可愛かったなぁ。徳丸純子のデビュー・イベントを千里中央の大丸ピーコックの催事場へ見に行った覚えがあるな。親衛隊のヤンキーたちが怖かった印象しかないけど。

千里中央のセルシーという商業施設に大きな屋外広場があって、最近までアイドルのフリー・イベントのメッカとして知られていた。ハロヲタを描いて映画化された劔樹人さんの漫画『あの頃。』にも千里セルシーのシーンがあったでしょ。Berryz工房のメンバーが乗って来ると思って待ってたらおばさんたちが降りてきたっていう、あのエレベーター、おれ何百回も乗ってる。

小学生のころから毎日のように行ってて、買い物はほとんどセルシー。カセットもレコードもセルシーの店で買ってた。初めての映画館も、エロ本を買ったのも、レジャー・プールに入ったのも、初めて喫茶店に入ったのも、ダイエーもモスもミスドもピッコロカリーもセルシーで、人生のいろんな初体験の舞台がセルシーだったから、最近取り壊しが決まったというニュースを見て、ほんとにさびしい。セルシーのない千里になんか、もうなんの未練もないよ。さようなら、千里セルシー。

おれの好きな音楽の傾向は、NHK-FMで形成されていった。特に『サウンドストリート』火曜日の坂本龍一の放送を欠かさず聴いていて、どうやら自分はイギリスのポップスが好きなんだと気づいた。時代はパンクの嵐が去ってニューウエーヴ全盛期。デュラン・デュランやカルチャー・クラブがヒットを飛ばして「セカンド・ブリティッシュ・インベイジョン」なんて呼ばれていたころだよね。

ラジオで流れる曲をカセットテープに録音することは一般に「エアチェック」と呼ばれていたけど、もう死語だねぇ。ここに、高校生のおれがエアチェックした約50本のカセットの曲目を記したノートがあるんだけど。
一本目に収録されてるのが、ソフト・セル、エディ・グラント、モダン・ロマンス、リンダ&MO、スパンダー・バレエ、ネイキッド・アイズ、ヘヴン17、トレイシー・ウルマン、ウィークエンド、ザ・ジスト、トーマス・ドルビー、ショナ・ダンシング、カルチャー・クラブ、オレンジ・ジュース、ファン・ボーイ・スリー、バナナラマ、トンプソン・ツインズ、ティアーズ・フォー・フィアーズ、スパンダー・バレエ。以上です。スパンダー・バレエの「トゥルー」が二回入ってる。これは完全に83年のものだね。

徳丸純子のイベントを見に行った大丸ピーコックの上の階に新星堂があって、当時、ファクトリーやクレプスキュールのレコードを独自に輸入して販売してたんだ。おれはそこでミカド、アンテナ、ドゥルッティ・コラム、ニュー・オーダーなんかのレコードを買い揃えた。ニュー・オーダーの「コンフュージョン」には新星堂の社員さんの手書きのライナーノーツが封入されてる。コロムビアが日本盤を出す前に、おれは千里中央で「ブルー・マンデー」の、穴あきジャケットの12インチを買ってるんだよね。

家の最寄りのレコード店が新星堂だったことは、自分にとって幸運だった。今でもSpotifyで一日中ドゥルッティ・コラム聴いてる日とかあるからねえ。16才のころから音楽的な嗜好はぜんぜん進歩しないんだよね。

スクールバスで千里中央に帰ってきて、セルシーの田村書店と豊中文学館っていう本屋で立ち読みしてから帰宅してた。

ある日、豊中文学館で、たぶん箕面高校の生徒だと思うんだけど、女の子二人組に「松本くん、可愛い」って声をかけられたことがあったんだ。おれは心に茨を持つ少年で、あらゆる対人スキルを封印してたから、びっくりしながらもガン無視した。二人はおとなしそうな男子を冷やかしたいだけだったらしく、おれの不自然な反応に満足したようで、キャッキャ笑いながら去っていった。なぜ名前を呼ばれたかというと、学校指定の青いボストンバッグに名前を書く欄があって「松本」ってマジックで書いてたからなんだよね。これがおれの高校三年間での、唯一の異性との交遊。10秒ぐらい。

83年12月。充実した品揃えの田村書店の音楽コーナーで、見慣れない大判の雑誌に気づいたんだ。表紙はおそらくシャラマーのメンバーと思われる、ニューウエーヴなヘアスタイルの黒人男性。ページを繰ると「NEW ENGLISH MUSIC '84」という特集記事に知らないバンドがたくさん紹介されていたので、おれはこの『rock magazine』というタイトルの雑誌を買って帰って、夢中になって読んだ。

それから毎月発売を楽しみにしていて、さっき「毎日6時間以上勉強してた」って言ったけど、『rock magazine』を買った日は帰宅してすぐに隅々まで読みふけって、気づいたら朝になってた。

大阪発の音楽誌『ロック・マガジン』は、おれなんかが語るまでもなく、日本の音楽ジャーナリズム史に大きな功績を残した偉大な雑誌で、編集発行人だった阿木譲さんの華麗な経歴とともに語り継がれるだろう。ただ、おれが読み始めたのは63号からなので、ロック・マガジンの末期。主筆はすでに田中浩一さんで、阿木さんは巻末に厭世的で自殺しそうな、陰気な筆致の「Bohemian Rhapsody」というエッセーを書いているだけだった。

この雑誌に載ってるレコードを、この雑誌に広告を出してるレコード店で買えばいいのだ。ようやく「輸入レコード屋」の存在を知ったおれは、千里中央から地下鉄に乗って梅田まで行き、「ロック・マガジン的なセンス」の古着を「デプト」で買って、輸入盤店を巡ってレコードを買うようになった。

『ロック・マガジン』には音楽を媒介にした哲学的な文章もたくさん載ってて、読解できないものも多かったんだけど、図版やレイアウトも含めてすべてが刺激的だった。特に67号(84年6月)の巻頭特集に掲げられた田中浩一さんの「エターナル・スピリッツ宣言」は、50代半ばになる現在でさえ、おれのすべてだ。

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高三のおれは、のちにこの雑誌に関係していた人々と知り合って、そこから自分の人脈が広がっていくなんて、夢にも思ってなかった。

1985年の春に関西大学社会学部へ入学。
受験勉強は万全だったので、他にも私立大をたくさん受けて、同志社の商学部、立命館の産業社会学部、甲南大や龍谷大の合格通知も届いたけど、千里から京都へ通学するのはどうにも気が重くて、家からいちばん近い関大に決めた。

おそらく関西大倉高校が合格者の実績数を増やしたくて、いろいろ受験させるように仕向けたんだろうな。受験料は自己負担だっただろうから、いま思い返すと、ずいぶんひどい話だよね。

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