アストンマーチャンの高松宮記念からあのイベントまでの時間について

※この記事にはウマ娘プリティーダービーに育成ウマ娘として実装されている「アストンマーチャン」のシナリオに関するネタバレ、自己解釈が含まれます。


ウマ娘プリティーダービーで新しく実装された育成ウマ娘、アストンマーチャンが気になっていた。

なんか気になるな~っつってガチャ回したら10連で来て、そのあとの単発でも来た。忘れるなと言われているような気がして、深夜2時に慌ててシナリオを完走した。
結論から言うと狂ったのだけど、特にシニア級3月前半から4月後半にかけて。史実は知っていたが、『死』に真正面から迫る物語が描かれると思わなかった。

で、私はあの期間についてみんなの解釈が聞きたいと思っている。私は、とりあえずシナリオを完走してみて、あの期間はアストンマーチャンの世界と同じものをトレーナーが見ている、つまり高松宮記念を経て初めて、トレーナーとマーチャンが『トレーナーと担当ウマ娘』になったことを示す期間なのではないか?と思った。
が、これは多分超異端派だと思う。だって普通に考えたらシナリオが全体的にkeyみたいな感じだから。

でも、ヒロインが主人公の記憶から消えてしまう描写が往年の泣きエロゲーのシナリオって言われてんのは承知の上で、感情が壊れて自分の解釈を書き散らさないと死ぬ!!!!!!!!!!!!!!!!となったのでつらつらと自己解釈の記事を書きました。
全部「制作者の人そこまで考えてないと思うよ」と思いながら読んでください。

高松宮記念〜「また、映してくれますか」までの自己解釈

まず、あの高松宮記念が『優勝、もしくは入着したマーチャンの名前を呼ばれないレース』であるはずがないので、そもそも「マーチャンがいない世界」自体が何かしらの認識障害か幻覚の類いなんじゃないかなと認識。
その後、夢のシーンを見て、この一連のマーチャンを忘れたトレーナーの描写は、マーチャンとの距離が近づきすぎたために、彼女の波の音が近づいてきている世界に飲まれてしまう描写なのではないか?と推測。

だから、クラシック級スプリンターズS突破後の【変なヒト】でマーチャンが初めてトレーナーの方を向いて以降、少しずつ距離が縮んでいくようなストーリー運びを行い、それが限界まで近づきすぎた結果、あのストーリーになるのでは、と思った。

同じ世界を見ること、同じ未来を目指すことは、ウマ娘とトレーナーにとってすごく重要なことであるはずなのに、上記のイベントまではマーチャン自身が(無意識に)それを避けているようにも見える。
それなのに、トレーナーは高松宮記念をきっかけに、なんの因果か、自分の死を予感するマーチャンが見ている世界を見てしまったんじゃないか、と、思う。

魂の終わりが近づいて、不安と焦りと諦めと死の予感にまみれた世界でたった一人船を漕ぎ続ける少女の世界。その予感が日に日に強くなって、確信に変わろうとしている中での高松宮記念。
その青いターフを駆け抜けた時、ふたりはきっと同じ船に乗ってしまったんだろう。

もし、高松宮記念で本当は囲み取材があったんだとしたら、ただ二人がそれを無視して去っていっただけのように見えていたんだとしたら、取材拒否として周囲が引いてしまい、注目されなくなっていったというだけではないか。

ファン感謝祭で彼女のファンがいないと言っていた時も、ただそれはトレーナーの目に入っていないだけだったのではないか。スマホにマーチャンを映して歩き回る姿は、他の来場者には、ただ”様子がおかしいトレーナー“としてしか映っていなかったのではないか。(マーチャン自身『風邪を引いて参加を止められてしまった』と言っているから、マーチャンの存在や姿が消えているわけではない)

この時、トレーナーの精神はマーチャンを失いつつある世界線にいるわけだから、どこにいても、何をしてても、誰も“アストンマーチャン”のことを気にかけないのは当然なのだ。
それは、多分二人だけの世界で互いを知る人が互い以外にいない世界だという示唆なんじゃないか。

それはつまり、マーチャンが海で語るところの、「トレーナーがいる限りマーチャンは消えない」世界で。

でもそれではダメなんだと、あなたが隣にいなければ嫌なんだと、記憶を縫い止める人形を抱えたトレーナーは言う。
アストンマーチャンは、ここからなんだよ。
結果としてマーチャンを救うこの言葉、海に沈もうとする存在の手を強引に引っ張り引き上げて運命を共にしようとする、同じ船に乗っちゃった人間の本当に狂った覚悟だなあと思う。

ここでマーチャンの先見の明と人形について。

マーチャンにめちゃくちゃ“先見の明”があるのはチューリップ賞のくだりで描かれていて、そんなマーチャンに『あなたがいればアストンマーチャンは消えない』とまで言わしめたトレーナーが彼女のことを本当に心の底から忘れてしまうはずはなく、つまりマーチャンは、「トレーナーが自分を忘れてしまうこと」じゃなくて「トレーナーが自分と同じ末路を辿ること」を嫌ったんじゃなかろうか。
人形を渡した時に『それが一番安心安全』と言ったのは、トレーナーが万が一にも自分を忘れてしまった時のためなのだろうけれど、もしかするとトレーナーが自分と同じ未来を見てしまった時に現実に引き戻してくれるキーにするため、というのもあったんじゃなかろうか。

マーチャン自身は、己が魂を受け継いだ存在がどんな末路を辿るのかをぼんやり把握しているように思えるので、そうなってもいいように、誰の記憶にも残らず忘れられてしまうという末路をトレーナーに覆して欲しくて、自分の人形を渡しているんだと思う。
それが、結果としてマーチャンがいない世界を見たトレーナー、ひいてはマーチャン自身をこの世界に引き留める要因になっているように思える。

外部からの干渉がとても少ないのはなぜか

外部からの「忘れていたマーチャンを思い出した」的な描写が一切なかったのも、この現象はトレーナーとマーチャンの間だけで完結したんじゃないの?と思った要因。
結構モブが出てきてネームドの子たちに影響を与えるウマ娘のシナリオで、モブが「なんで忘れてたんだろう」と言うシーンとか、忘れていたであろう誰かがマーチャンの名前を呼んだことにホッとした、とか、そういう描写が一切なく日常に戻っていたのにものすごい違和感がある。あえてホラーっぽくしたのかもしれないけど、史実ネタしっかり絡めてきてるのにそんな雑な元通りの仕方するかしら…という気持ち。
(フクキタルとかカフェとかもいるし、本当に制作者の人そこまで考えてないと思うよ)

おわりに

ウマ娘の世界観はめちゃくちゃ非科学的で非現実的なものだけど、日常的な部分は結構リアリティがあると思っているので、“活躍したウマ娘を短期間で綺麗さっぱり忘れ去ってしまう“ということをホラー的、またはただ感動的なオチへのお膳立て的な要素として処理したまま終わりたくないな〜という一個人の勝手なこじつけでした。

長々と書いてまいりましたが、結局のところは一介のオタクのシナリオ解釈に過ぎません。サイゲームスがただ古き良き泣きゲーのシナリオを再現したかっただけかもしれません。
そんな考えもあるのか〜程度に見ていただければと思うのですが、他のひとのこの部分の解釈は正直かなり聞きたいな〜と思っています。

とりあえずアストンマーチャンのシナリオについては、ウマ娘という存在が持つ色濃い狂気と世界の因果と一縷の救いがバカの朝食バイキングになっているシナリオで非常によかったです。全体的な文章や雰囲気も好み。ぎっちり行間読ませてくる感じとか。
このシナリオでマーチャンが出会ったトレーナーが、マーチャンの記憶への執着とそれを踏み潰すほどの死の予感を、理解してなお覆せる狂気と執念の持ち主であったことがこのシナリオのマーチャンにとっての幸運だったんだろうな〜。
史実でどうにもできなかったことを覆すのはみんな大好きなので。大好きですよね。

マイル育成頑張るか………

みっつの余談

余談いち。
アストンマーチャン、キャラクターとしてまずめちゃくちゃ好き。回りくどい一見電波な発言が、それを上回るある種の狂気に裏付けられたものである存在が好きすぎる。
レースの時、トレーナーの前からすぐいなくなってしまう癖に、その走りは強く強く覚えていてほしいと訴えかけていて、貴方が覚えていればマーチャンは消えないのですという刹那的な存在。愛しい。
いってらっしゃい。いってきます。のシーンが特に好き。
多分わたしは往年の名作エロゲのシナリオが好きなんだと思います。ボロ泣きして引きずるのが目に見えているのでできないけど……

余談に。
もしマーチャンに最後まで寄り添えないトレーナーだったら、マーチャンとトレーナーはあの海で心中するんだろうか。
もしそうだとしてもきっとトレーナーだけ生き延びちゃって、一緒に心中した相手の名前も忘れたまま、マーチャンのいない世界の日常に戻るんだろうなという予感がする。
担当ウマ娘があんなことになってショックだろうから……と誰も触れなかったら、本当にマーチャンは世界から消えてしまうんだろうなあ。皮肉。

余談さん。
トレーナーとの出逢いによって魂の挫折や末路を覆すウマ娘がどうにも好きらしい。
タキオン、シャカール、マルゼンスキー。趣味の終わり?
マーチャンも推します。


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