見出し画像

メイドドラゴンSから考える自由。

投稿しようと思っていて、全然記事書くのが遅くなってしまった。
今回小林さんちのメイドドラゴンSという京都アニメーション制作のアニメの内容の11話の内容が結構考えさせられる内容となっていましたのでご紹介します。メイドドラゴンSのネタバレはちょっとという方は、見るのをお勧めしませんが11話のみの内容です。

自由は本当にいいものなのか?

最近、あまりにも、好きなように生きようとか、自由に生きようと軽々しくいう人がいます。これを軽い言葉で言っている人の言葉に惑わされないようにしましょう。その人達ははっきり言います。優秀です。(才能があり、努力できる人たちです。ニーチェのいうところの超人達です。末人から急に超人になるのは難しいです。)自分が誰よりも優秀と思う人であればそれを信じていいのですが、何をやってもダメだけど一発当てたいと思うような人には段階を踏まないで、起業をするきもないのに、急に会社を辞めてやるという行為は、お勧めしません。(スクールに行くなどもお勧めしません。優秀であるなら言ってる意味わかると思います。)

クッソつまらん話になったので上記を消したいところですが、僕に対しての戒めでもあるため残しておくとしましょう。

小林さんちのメイドドラゴンSから考えさせられる自由とは。

僕は11話の内容は結構刺さるものがありました。Amazonプライムビデオでも見れますので気になった方は見てください。

11話の内容はトールという、ドラゴンの過去の話です。トールの住んでいる異世界からこの世界に来たときの話です。

ざっくり解説します。

世界を支配しているのは神です。その支配から自由になるためにドラゴンは神と戦っていました。その戦いは常に決着がつかずにいて、ドラゴン側も戦うのを諦めたり人間についたりと色々に勢力図がわかった頃にトールは生まれました。トールは父である終焉帝の考えで自由に世界を見てきていいという教育方法に変えました。トールは自由を手にしたのですが、ドラゴンと神に対して反対している勢力の混沌勢の父の終焉帝の娘ということもあり、しがらみから自由に慣れないでいました。

トールは自由になるために、考えたのは神を倒せば全てが終わり、争いもなく、しがらみもない世界になって何もかも自由になるのではないかという事です。トールは自分の戦いと称し一人で神に挑み敗北します。一人になった瞬間に自由になったが何も無くなった。この話をした後にトールは小林さんに対してメイドになりたかったと話した。

このメイドになりたかったを考えてみると、トールは自由な教育方針で世界を見て周り、自由に考えていました。結構自由に生きていたことになります。もしかするとトールは自由になりたかったのではなく、戦うドラゴン以外の役割が欲しかったのではないかと考えます。それはメイドという形で叶えられたということです。

自由と役割。

自由であっても役割がないと意味はないのではないでしょうか?
みんな本当にめざしているのは自由ではなく、自由が多い役割のあることではないのでしょうか?

ほとんどの人は金があるイコール自由という表現で考えていると思いますが、お金がある人ほど忙しく見えるのは僕だけでしょうか?

お金がある=人をつかる(その分時間を増やせる)

これなら正しいです。

みんなそれが楽しいと言っているだけです。それは社長とか役割があるのではないでしょうか?

働く中で末端の人間からすると、役割は小さいにも関わらず、ずっと働き詰めて、給料も上がらないく自由がないというのが完全に詰んだ状態だと思うのでこの最低の状態は回避しなければなりません。例えるなら残業代も出なく、残業して時給換算したら500円とかです。ただこの最低の状態を皆回避しようとするだけなのに、自由に生きるとなどと言われ感化されて、しがらみとなります。他人から感化されただけなのに自分で決めたことだから、正しいと思い込むと思います。それは本当に自分がしたいことで、本当の自由なのでしょうか?僕にはわかりません。メイドになる前のトールと同じ状態に陥り結局役割のあること(人の為になること)が大切だと気づくはずです。

今回かなり真面目な話をしました。メイドという職業の話の自由の話となりました。次は別の題材で他の視点から考えてみたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?