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鎌田順也 追悼文集 【いとうせいこう】

出たくなったらいつでもここからどうぞ

『ナカゴー』を初めて観たのはいつだったか。ともかくかなり早い時期であったのは確かで、私がひそかに「演劇スパイ」と呼んでいる菊池明明からのタレコミがあってすぐに出かけていったのだったと思う。
 まず何よりも場所が劇場ではなかったことに衝撃を受けた。同時期にやはりスパイからのメールに名前が上がったのが『東葛スポーツ』で、当然そちらにも調査の足を向けたが、こちらも同じく劇場ではない空間で大きな声を出していた。
 二大脱劇場組。いや初期はちらほらと空席があったから“二小”と言うべきかもしれないが、例えば鎌田君のところは北区の施設の会議室とか、なんか二度と行きそうにない極小イベント会場みたいなところとか、そういう場所で公演を打っていた。
 いかに小演劇でも結局それなりの芝居小屋でやるというのが当たり前になっていた頃、この「場所選び」自体が実に反抗的、あるいは蔓延する常識を完全無視する態度に満ちていて、こちらは正直面食らいながらも劇団のそのあり方に引き込まれた。
『ナカゴー』の、いくつものわけのわからないシーンを思い出す。腕がもげるのが定番だったり、一度始まった言い合いが延々続いたり、最初から最期まで最大音量で怒鳴っている役者が一日二回公演だったり、後期には途中で芝居を逆回しにし始めたが最後「いつまでやってるんだ」という長さで場面が戻っていくとか、もちろん客入れの段階で役者が舞台にいて自分のセリフを言っていたりなどは当たり前のことだった。
 役者は常にすさまじく鍛えられていた。主に鍛える必要のないことに対して特訓を受けた跡があるために、馬鹿らしいシーンは余計に馬鹿らしく、私は『ナカゴー』で何度か奇声が漏れてしまうくらい笑ったものだった。
 しかも作演出の鎌田君が何を考えているのか、ほとんどわかったことがなかった。狙いでやってる場面なのかどうなのか、役者には話をしていたのだろうか。想定される稽古量からして「なぜここで長いビデオ映像と面と向かって、こちらだけ生身で一度も間違えずにセリフを言い、叫ばねばならないのか」「なぜここで全速力で走り続けねばならないのか」「なぜ全員に無駄な大声が必要なのか」に説明がない限り、役者には不条理感のみが残るはずだ。
 がしかし、だからこそ面白かった。もし役者に説明が何かあったとしても、それが本気であったか、あるいは本気であっても他人には理解出来ない内容だったことは想像に難くない。
 けっこう公演数も増えてきた頃、SNSでだったか私は“『ナカゴー』に照明がない凄さ”を指摘したように思う。基本的に会議室のスイッチを押せば暗転だった。誰かにだけ照明が当たって劇的空間を作るなどということは構造的にあり得なかった。
 すると次だったかちょっとしてからか、舞台の前っつら(と言っても最前列の床に座る客の足元だが)に、工事現場で使うオレンジ色だったか赤の照明器具が数個置かれていた。そしてほとんどのシーンで下からバキバキに役者を照らしていた。ネットで見てみたらレンタルで安価に出ているものだった。
 鎌田君は客入れの時間、たいていは客席をうろうろしていた。通常そういうのはやっぱり演劇的な狙いがあったり、単なる自己アピールだったりするものだが、彼の場合は会議室などのクーラーで最後の最後まで、客席の温度を調節していた。うろついているのは、あらゆる箇所を適温にしたいという鎌田順也の熱い思いからだったのだと思う。
 私は『ナカゴー』の大ファンだったから、深夜の生放送にも出てもらった。生だから緊張しているかなと思ったが、鎌田君だけは本番直前までニヤニヤしていた印象がある。信じられないほどの肝っ玉。もしくは感度の異様な鈍さ。どちらだったかわからない。
 またなんにせよ彼とは言葉を交わしてしかるべきだったのに、鎌田君はいつまでも私に話しかけてこなかった。私も何を言っていいかわからなかった。ただただ彼の世界が好きだった。彼の世界のわからなさに興味があった。
 別れは最後の公演の時だったと思う。
 私は一番後ろ、通路に近い端の席を用意してもらっていた。
 やがて例の客席温度チェックの鎌田君が来た。頭を下げると彼も不器用な会釈をした。反応があるのは珍しいことだった。
 少しの間があって、鎌田君は真後ろの暗幕だったかを指して言った。
「出たくなったらいつでもここからどうぞ」
「あ、はい」
 おかしなことを言うと思った。普通は、最後までごゆっくりどうぞではないのか。それを、出たくなったらどうぞと言うのである。
 帰宅してから理由がわかった。私はすっかり自分のクセを忘れていたのだった。かつてパニック障害を患って以降、自分は通路側の、出来れば一番後ろの席でないと安心して観劇出来ないのだ。話を聞いた制作がいつもそのあたりの席を用意して下さるのを、鎌田君は知ったに違いなかった。
 だから彼は私に話しかけてきたのだ。
「出たくなったらいつでもここからどうぞ」
「あ、はい」
 それが私たちの、ほとんど最初で最後の会話であった。

いとうせいこう

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