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鎌田順也 追悼文集 【前田隆弘】

われわれは地続きである

 初めて見たナカゴーの公演ははっきり覚えている。2013年7月の『アーサー記念公園の一角/牛泥棒』だ。誘われて見に行った公演で、それまではナカゴーという劇団があることすら知らなかった。なのに公演を見て、たちまちファンになってしまった。公演全体に不思議な面白さを感じてはいたが、『牛泥棒』のラストで爆発するようなバカバカしさを感じたのだ。ボカン!じゃなくて、ボカンボカンボカンボカンボカン!!!と連鎖的に爆発が起こるような笑い。それまで見てきたお笑いのライブとも違う、経験したことのない笑いだった。席のチラシを見ると9月に次回公演があるという。早い。その公演『レジェンド・オブ・チェアー』は全編英語(しかも中1レベルの)という斬新な舞台だったが、やはり終盤で爆発が起こった。席のチラシを見ると12月に次回公演があるという。早い。その公演『ホテル・アムール』で、自分にとってナカゴー/鎌田順也の存在は決定的なものとなった。ホテルの一室で恋人から浮気を疑われる男。その男がある場面で、呪文を唱えだす。というか全力で叫ぶ。「ポンポコポン! ポンポンポン!」これがずっと続く。何分くらい? 10分は余裕で超えている。20分近く叫び続けていたのではないか。このセリフが20分繰り返される光景を、ちょっと想像してみてほしい。役者の喉に青筋がビキビキ立ってるのが見えた。それは確実に面白さにつながっていたのだが、それにしてもだよ。鎌田順也の中には「これくらいでいいや」という感覚がないのだと思う。「すごいものを見た」と思いながら帰った。

 ナカゴーの公演は、のちに立ち上げたユニット「ほりぶん」も含めて、全部面白かった。ほとんどの作品に爆発があった。ただ、1つだけ全然ピンと来なかった回がある。2016年10月に行われた「いとうせいこうフェス」にゲスト出演したときだ。ごく短いコント?を上演したのだが、あまり伝わるものがなかった。尺の短さもあるだろうが、たぶん本質的には「距離」の問題だと思った。会場の東京体育館はキャパ1万人。まともに見ると、「遠くで何かやってる」くらいにしか見えない。だからほぼ全員、スクリーンで彼らの姿を見ることになる。それでは伝わらないんだな、と思った。

 思えばナカゴーの公演は、小さいハコばかりでやっていた。本拠地と言ってもいい「ムーブ町屋ハイビジョンルーム」は、たぶん30人くらいのキャパだったはず。小劇場の中でも、さらに小さい。というか演劇を想定したハコではない。便宜上、ステージと客席は分けられているものの、実質的に「同じ空間」……というより「同じ共犯空間」で舞台は上演されていた。同じ電車に乗り合わせた客が突然ケンカをおっぱじめるような、へたするとこっちにもパンチが飛んできそうな緊張感、それがもたらすマジックを鎌田さんは認識していたのだと思う。

 世間が「小劇場」と聞いてイメージするのは、きっと「駆け出し」のようなものではないだろうか。アイドルが小さいハコから武道館ライブを目指すように、駆け出しの劇団が大きなホール公演を目指す……その過程の「小劇場」というイメージ。かくいう自分も、昔はぼんやりそんなイメージを持っていた。もちろんそれは誤りである。その距離感でしか表現できないものが確実にある。岸田戯曲賞を受賞してもなお、小劇場公演をやる劇作家は多かれ少なかれ、そのことを自覚しているはずだ。そして鎌田さんはその距離感をより強く意識していた作家だったと思う。舞台と客は地続きである……というより、地続き前提でないと作品を作る意味がない、とさえ考えていたのではないか。そういえば歴代最大キャパと思われる紀伊国屋ホール(400人)でほりぶんの『かたとき』を上演したとき、後部座席から距離があることを意識したセリフが随所にあった。後に「北とぴあ」のペガサスホール/カナリアホールが本拠地になったけれども、やはりその「地続きの距離感」は健在で、ほりぶん『牛久沼』はその距離感でしかなし得ない舞台だったと思う。

 そういう話を鎌田さんとしてみたかった。お互い顔は知ってるから、公演を見るときに挨拶もするのだけど、なんだか照れてしまって、言葉少なに去ってしまうことが多かった。自分の中で「鬼才」のイメージがぴったりくる人だったから、話が合うのか自信がなかったというのもある。

 今にして思うと、ムーブ町屋ハイビジョンルームに通い続けたあの日々はとても幸せな時代だった。観劇における青春時代だった、とはっきり言える。鎌田さんの訃報を知ったとき、「鎌田さんともう会えない」と「あの爆発をもう経験できない」という2つの寂しさに襲われた。大げさではないんだよ。脳がしびれるような、集団催眠にかかったような爆発的な笑い。あれを経験できることは、たぶん今後の人生でないだろう。そうはっきり書きつけることはとても寂しいけれど、それくらい彼の作る舞台は特別だったということだ。奇しくも、ムーブ町屋ハイビジョンルームは昨年、フロア改装により廃止となっていた。鎌田さんはムーブ町屋ハイビジョンルームごと去っていったということにしておく。

 そういえば。

 コロナ禍の2020年11月、ナカゴー初の配信作品『にっかいろとはっかいろ』が制作された。「客席と地続きの緊張感がない状況で、どんな作品を作るんだろう?」と期待と心配の両方を感じていたのだが、フタを開けてみると、ステージが「この世」、客席が「あの世」になっていて、この世とあの世が地続きになっているという作品で、なんだか「へえーーー」と思ってしまった。それはもちろんフィクションだし、そもそもそれが鎌田さんの死生観であるとは限らないのだけど、彼のいない寂しさを埋め合わせるため、あえてこう書いてみる。

 われわれは地続きである。

前田隆弘

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