稀代のコント師小林賢太郎氏引退によせて
2030年、12月1日。
今ではすっかり珍しくなった純喫茶で一人の青年が熱っぽく語っていた。
「昨日動画見てたら発見したんだけどさ。小林賢太郎って知ってる?昔すごいコント師がいたんだよ、どの動画もめちゃくちゃ面白くてかっこいいんだ。調べたら引き際も見事でスパッと引退してさ。君も見てみなよ!」
向かいに座っている彼女は、笑顔で相槌をうっている。
一昔前のコント師のことより目の前にいる彼のことが気になっているようだ。一緒に見ようよという一言が言い出せずに時間ばかりが過ぎていく。
ぬるくなったコーヒーを一口飲み、彼は続ける。
「もともとはラーメンズってコンビだったんだけど、そのあと他の役者さんと一緒に舞台をやったり、一人だけでやるコントとかも作ったんだって。KKP名義の舞台があってそれもyoutubeで見れるから見ないとなー。また徹夜だわ」
面白そうだね、すごいねといえるけど、一緒に見たいのひと言がいえない。彼はもう少しでコーヒーを飲み干してしまい、二人のデートの時間も終わってしまう。
・・・
ひとしきり昨日見た動画の話をし終わった彼は満足そうにコーヒーを飲み干した。
喫茶店をでて、駅の方まで歩きだしたとき、後ろから二人を呼ぶ声がした。
「これ、焼き菓子なんですが、作りすぎてしまいました。よかったら二人で食べてください」
マスターは彼に紙袋を手渡した。
「ありがとうございます!ラッキー。またお店来ますね」
「ぜひ、お待ちしております」
二人はいつもよりゆっくり駅まで歩いていく。
次の角のコンビニを曲がれば駅が見える、その時彼が立ち止まって言う。
「焼き菓子はんぶんこする?あ、よかったらこれ食べながらうちでさっき話した舞台の動画見る?」
彼女はぱっと花が咲いたような笑顔でうなづく。二人のデートはまだ終わらない。
振り返るとマスターはまだ喫茶店の前で二人を見送ってくれていた。
彼女がぺこりと頭をさげると、マスターはハットを少し持ち上げ、ウインクした。
「作りすぎちゃったもんで」
喫茶店の名前は純喫茶カジャラ、美味しい焼き菓子とハットの似合うマスターがいる店。
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